6 ミサちゃん 5歳 色々と察する。
前置きが長くなってしまいましたが、いよいよ本格的にミサの日常が動き出します。
ソルベの姫、ソルベの宝石、そう称される女性の名を問われれば、王国の人間は現領主の奥方であり、国内切っての才媛であるローズ・ソルベの名をあげるだろう。しかしソルベ領、とりわけ領主の城で働く人間たちにとっては、愛娘であるミサ・ソルベの名が真っ先にあがる。
「立ちなさい、この程度で音をあげない。」
「はい。」
4歳の時に作られた訓練のための部屋、そこで向き合う母娘の姿を一度でも目にしたならば、ローズのことを姫や宝石と称することはないだろう。
「素直すぎます、相手の視線や剣先だけを追うのではなく、予想しなさい。持っている手札で無意識かつノータイムで最適解をだせるように繰り返すのです。」
言いながら娘の繰り出した木刀を容赦なく弾き飛ばす。その姿は鬼そのものであった。
「奥様、さすがに厳しすぎませんか?」
顔を引きつらせながら苦言を呈するマリーに、ローズはあえて厳しい顔で睨み返す。
「けがはさせていません、それに、武で身を立てるならこれくらいは必要です。」
実際に戦場にも立ったことのあるローズの言葉に、マリー以下使用人たちはそれ以上の追及はできない。が、その苛烈な教育方針は目をそむけたくなるほどだった。
一日の大半は、貴族としての学習と母親や父親による訓練。空いた時間は遊びの域を超えそうな体力づくりの数々。子どもらしく甘えたり、だだをこねるといったものはこの一年で見られなかった。
「母様、もっと、もっと。」
ただ、ミサはそのすべてを楽しんでいた。むしろ周囲が止めないと体力づくりと称していつまでも駆け回るし、木刀を振り回す。それでいて貪欲に知識をため込もうとする姿勢に周囲は感心しつつ、その期待に応えようとする。
要するに、どこまでも努力するミサに対して、どこまでできるか楽しくなっているのだ。一年もたつ頃、背格好こそ年相応だが、ミサは見違えるほどに成長していた。最初の棒は、特注の木刀となり、その身体裁きも剣による一撃もローズや大人たちが舌を巻くほどにまでなっていた。
「今のはよかったよ、ミサ、そうやって動きを組み合わせて、最高の一撃を出す流れを作るのです。技だけでも、魔法だけでも意味がないのです、使えるものをすべて使う。それが大事なのです。」
そして小一時間ほど打ち合いを続けたのち、ローズはそう締めくくり今日の訓練は終わる。
「ありがとうございました。」
ニコニコと頭を下げるミサ、疲れてはいるがその顔には喜びが満ちていた。
「じゃあ、母様、私、見学に行ってきます。」
木刀をマリーに預け、タオルを受け取った足で、ミサは部屋から飛び出していく。
「本当は、湯あみをしていただいて、御髪も整えてほしいのですが。」
木刀を片付け、ローズにもタオルを用意しながら、マリーは苦笑する。もっとも一日の終わりにはもっとドロドロになっているので、その時は容赦なくお世話をする予定なのだ。
「今はあれよ、できることが増えていくのがうれしくてたまらないのよ。」
仕方ないと楽し気に笑いながらローズは、そんなメイドをねぎらいつつ、疲れをとるようにタオルで汗を拭く。子どもの相手とは言え、ケガをさせないように細心の注意を払っていたのだ、気づかれもする。
「奥様、実際のところ、ミサ様はどれほどお強くなられたのでしょう?」
「そうね、少なくともうちの兵士じゃもう相手にならないかもしれないわ。いや、下手に組手なんてさせたら自信を無くすわ、相手のほうが。」
開け放たれた扉の向こうを見ながら、遠い目をしている主人に、マリーたち使用人たちは先ほどまで感じていた恐怖を忘れていた。親の心、子知らずとはまさにそれであった。と思ったのか否かは知らない。
ミサ・ソルベにとって、日々は色づいていた。剣をふるうことは楽しいし、周囲には真似してみたい技や動きがたくさんあった。父や兵士たちは日々の訓練に彼女が見学したり、真似したりすることを微笑ましく見守ってくれる。身体を鍛えることはどんなことも楽しかった。できることが増えるのは楽しくてしょうがなかった。勉強にしてもそうだ、特に礼儀作法や魔法では、母親が真剣に向き合ってくれることがうれしかったのだ。
ともすれば異常とも言える環境である。だが、ミサ・ソルベにとって強くなるための行動は娯楽であり、ご褒美でしかないのだ。
「たのも―。」
少なくとも一般的な令嬢は、嬉々して兵士たちの訓練場に飛び込んだりはしない。
「げっ、お嬢。」
そして、愛し守るべく姫君の登場に対して、兵士たちの反応は大きく二つに分けられる。
「おやおや、今日もお相手をご所望ですか?」
好戦的な目でミサを歓迎するのは、腕に覚えのある熟練の兵士たち。
「お、落ち着け今日は、ベガ様も、ボスピン兵長も遠征でいないから大丈夫だ。」
ミサの登場によって、張り切りすぎる一部の人間による訓練が地獄溶かすことに恐怖する未熟な兵士たちである。まあ、5歳の子どもが来ることに対して違和感を覚えるたものはいない。馴染みまくっているのだ。ミサもその反応にはわかっているものだ。そして、必要以上に暴れない程度に分別はあるのだ。
「今日は、もう母様と訓練としたから、邪魔はしないわよ。」
言いながら隅っこのベンチに座り、じっと兵士たちの様子を観察する。過剰な訓練は成長を阻害するという大人の教えを忠実に守る。それでいて、兵士たちの動きから新しい発想を得ようと見学に勤しむのがミサの日常の一つであるのだ。
「よし、お前たち気合を入れなおせ、ミサ様に無様な姿をみせるんじゃないぞ。」
特別な見学者がいる緊張感のます時間は10分ほどであった。
「ねえあなた。ちょっといい」
近くで打ち合い稽古をしていた兵士の一人を呼び止めて、ミサはすたすたと近づいていく。
「ど、どうしかしました、ミサ様。」
「じーーー。」
戸惑う兵士を無視して、じっとその身体を隅から隅まで観察する。子どもとは思えない真剣な視線は、それこそ彼女の両親を思わせる迫力があった。
「右足、ケガしてない?」
「へっ。」
兵士はその言葉にドキリとする。確かに先日の任務中に、右足を打撲していたのだ。
「前よりも反応が遅いし、たぶんかばっているから左足も痛めそう。」
「いやいやいや、この程度ケガのうちにも入りませんよ。」
兵士は慌てて否定する。領内の巡回や、獣害対策などでケガをすることなど兵士たちにとっては当たり前だ、多少の不調をおしても万全の動きをするのが兵士には求められるのだ。
「でも、だめ、これ以上は、このケガはちゃんとしなきゃだめ。」
言いながら右足の防具を引っぺがし、その手をかざす。
「ひや、つめてえ。」
「感覚があるなら大丈夫、でも多分骨にヒビがはいってる。」
その言葉と行動に周囲がざわつく。気づけば兵士の右足は氷漬けで固定されていた。
「これは添え木ですかい、お嬢。」
「うん、この前習った。」
添え木は骨折や捻挫などのさいに、歩行を補助する治療法である。5歳にしてミサはその必要性に気づき、稀有な氷の性質変化で再現してみせたのだ。
「あれ、足がかなり楽に。」
「おい、お前はこのまま休め。明日になったら医者に診てもらえ。」
「りょ、了解であります。」
その場の責任者であった兵士は、足の具合を確認し、応急処置として十分と判断してそう命令した。
「そして、申し訳ありません、ミサ様、本日はこのような事態ですし、お帰りいただけますか。」
これ以上兵士たちの様子を見せて余計な心配をさせるわけにはいかない。そう判断した兵士はまた優秀であった。
「うん、わかった、みんなも無理しちゃだめだよ。」
ある程度察したのか、ミサは素直にその場を去っていた。
「いやはや、物分かりがよいというのも困りものですな。お前たち、全員コンディションを確認しろ、些細なケガでももう一度確認しろ。というか衛生担当を呼べ。」
にわかに慌ただしくなる訓練場。結果、3割の兵士が致命的なケガになる前に療養することに成功し、ミサへの信仰度が上がることになる。
「やはり、ミサは天使だな。」
親ばかが親ばかをさらに拗らせたりもした。
母親は厳しくも、ミサにとっては理想の師匠であり理解ある母親。
そして、兵士への関心が高いがゆえに、一つの改変が起こっていたりもする。
次回、いよいよ攻略対象の一人が登場します。