9 スプラー山脈の麓の町(一) ③
ルーカスたちは、少しずつシーナと和解し始めていた。それは具体的に何かに起因するものではなく、彼女との議論中にいくらか味方と感じてしまっていたからだった。言い換えれば、それは理由のない安心感だった。
「世界皇帝の家系が交代したのはどうしてだと思う?」
シーナはソファに座ると再び口を開いた。
「イレージュ村でイザベルという女から聞きました」
「うん。セリウス家の末裔、ハワード・セリウスを殺したのはラム。知ってのとおり、あなたたちがアイザック教会群遺跡で出会ったあの男。そして、イールス・ダランが彼に世界皇帝を殺すよう指図した」
「そこまでは聞きました」
「なら、どうしてその次にルードビッヒ家が世界皇帝に選ばれたと思う?」
「ダラン寄りの人間だったから?」
「そうね。そして、一家揃ってアールベストの役人よ」
シーナは新しい水を少しだけ口にした。
「けど、ルーカス、もしあなたなら、敵に近い人間がトップに立つとすれば、あなた自身は何をする?」
「そのときの混乱とルードビッヒ家の人望の厚さを考えると、ルードビッヒ家を殺そうとは思いませんね。アールベストの人間や他の人々から白い目を向けられる可能性が高いですから。……とすると、私なら、自分の考えを通しやすいような場を設けるようにします」
ルーカスの答えに、シーナは深く頷いた。
「正解。ダランによって世界皇帝がルードビッヒ家に移り、カクリスは魔法運用協議会を設けることを提案したの。あなたたちも学校で習ったでしょう、魔法運用協議会について」
「もちろん習いました。つまり、ダランに魔法の運用の主導権を握られそうになったため、カクリスは自校の主張をなんとか反映させようと協議の場を設けることで対応した、ということですね」
「そういうこと。それに、ほとんど一存で世界皇帝の家系を選んだダラン側は断れるわけもなかった。……これが魔法運用協議会の成り立ちよ」
「……魔法運用協議会についてはわかりました。それで、どうして父は、ハワード・セリウスがオームであることを知ったのですか?」
「ヘルベルト・ルイスよ。あなたの父は、いち早くヘルベルト・ルイスの動きをキャッチして、その事情を確認した。すると、ハワード・セリウスがオームだと。……正直言って、ハワード・セリウスがオームだと知って、ヘルベルト・ルイスが何をしたかったのかは不明だけど」
「なるほど。……というか、シーナは本当によく知っているんですね」
「ほとんどの教員も存在を知らない校外調査員だったからね。それに、過去を知らないと自分の命を落とすことになるわ」
他の3人は、ルーカスとシーナの話を聞いているばかりだった。
建物の外の音にしばらく何も思わなかったルーカスだったが、今になって外が意外に賑やかだということに気が付いた。
ルーカスは再び注意をシーナに向けた。
「そういえば、こちら側の現代魔法研究所で、あなたとナッツ・マーシーの記憶を見ましたよ。そこであなたは、研究所の人間が気付いてしまった、と言ってましたよね。それは何ですか?」
シーナは、そういえばそうだった、という顔を見せた。
「私の目的をよ」
「目的とは?」
「私は校外調査員として現代魔法研究所に入ったことは言ったとおり。けど、その中で、グレート・トレンブルが起こらないよう、彼らの研究を邪魔するのが目的だったの」
「邪魔をするとは、具体的には?」
「彼らを端から消していくことよ」
「それはつまり、研究所の内部から少しずつ研究員を殺していく、ということですか?」
「うーん、少し違うわ。私は、別に、研究員を殺すのが目的だったわけではないの。そうではなくて、研究員を研究所から出すのが目的だったの」
「つまり、研究所の規模を縮小させようとしていた、ということですか」
「簡単に言うとそういうこと」
「でも、それって結構難しくないですか? 研究所に入るのも出るのも、それなりに理由がないとできませんよね。何しろ、グレート・トレンブルの研究をしていた人間を、簡単に外に出してくれるとは思いませんし」
「ルーカスの言うとおりよ。だから私は早いところ実力を見せつけて指導官になり、研究員の思想を操ったの」
確かに、ネモ・ニードルの記録の中に、シーナは厳しいようだ、などと書かれていたことをルーカスは思い出した。
「研究所に残る気持ちをさせないように、実力の差を見せつけた上で、出ていくよう仕向けた、というわけですね」
「そう。おかげで、多少の研究員は出ていったわ。半ば無理やり逃げる者も現れた。たとえば、陰でヘルベルト・ルイスの助手をしていたヘッセル・バンとかね」
「彼は少々現代魔法研究所を恨んでいるような感じもありましたが……。おかげで、嘘をつかれて、ヘルロンの洞窟で大蛇と戦う羽目になりました」
「あら、そうだったのね。それは悪かったわ」
シーナは水を飲むと続けた。
「でも、こっちの思惑がバレたのか、先に未完成のグレート・トレンブルが起きることとなった」
「研究所からすると、シーナを危険人物として前世に落とそうと考えたんでしょうかね」
「それもあり得る。まあ、私は後世に残ったんだけどね」
「ところで、前世の現代魔法研究所にあったカクリス魔法学校学長室にメモを残したのは、シーナですか?」
ルーカスの問いかけを聞き、まるでその質問を待ってましたと言わんばかりにシーナは微笑んだ。
「そうよ。わかってもらえてよかった」
「何だか、私たちにヒントを与えるようなメモ書きだったので、ダランの関係者が書いたものだと思いましたから。……当時は謎が深まるばかりでしたが」
「仕方がないわ。あそこにすべてを書くなんてできないもの」
シーナはそう言い終えると、背伸びをした。一方で、ルーカスは彼女を見つめるのみだった。
「結局、グレート・トレンブルって何なのでしょうか」
「それは、私もわかっていないの。何の魔法で、どうやって発動しているかは、現魔研所長、副所長、カクリス魔法学校学長と総合指揮官しか知らないはず。下の人間は、直接グレート・トレンブルの研究はしていなくて、そのための基礎研究しかしないの」
「指導官でも聞かされていないんですね」
「もちろん、あるいは、最初から私のことをマークしていた可能性もあるわ。いずれにせよ言えることは、今後2回目のグレート・トレンブルが起こる可能性があるということと、カクリス魔法学校が1つのキーであることね」
「わかりました、ありがとうございます」
ルーカスはそう言うと、水を全部飲み切った。アオイ、ベン、ユーもいつの間にか水を飲み切っている。
「じゃあ、私たちはこの辺で……」
「待ちなさい、ルーカス」
ルーカスが立ちあがろうとすると、シーナがそれを制止した。
「他に何か?」
「他の、もっと大事なことよ」
シーナは手早く水を飲み干すと立ち上がった。
「もっと大事なこと?」
「ええ。だけど、こちらの3人とはしばらくお別れよ」
「ちょっと待ってください」
話を切ったのはベンだ。
「それはいくら何でも強引じゃないですか? 敵か味方かわからない人間とルーカスを2人にさせるのは、あまりにも納得できません。ルーカスもそうだろ?」
ベンはルーカスに向いた。だが、ルーカスの答えは決まっていた。
「ううん、大丈夫。ありがとう、ベン。3人はここで待っていて。私たちは外で話してくるわ」
ルーカスがそう言うと、彼女とシーナの2人は立ち上がり、建物から出ていった。残された3人は、沈黙のまま2人を見送った。




