6 涙流るるハルセロナの港(二) ②
この話を聞いたルーカスは、幾分感じていた不信感を思い出すこととなった。
前世のことを何も知らないこの両親が、数年越しに会えた実の娘と再会し、まるでキョトンとした顔をしているのだ。強く抱擁して再会を喜ぶのが本来の姿ではないのだろうか。
ベルガーはアリアの話を聞き、大きなため息をついた。その様子を見て、アパテーがベルガーの右膝の上に左手を添えた。
「アリア、君は本当に賢い。その頭脳が怖いほどにね」
「ということは、彼女が今話したことは、本当だったということですか?」
ルーカスはすかさず切り返した。
「ああ、本当だよ。全く、困ったものだったんだ」
ベルガーが再度ため息をついた。
「ここでオームの女が生まれてくるほど不名誉なことはないんだ。冷静に考えれば、君にもわかるはずだ。ここで商人としてやっていくには、彼女には無理があった」
「だから、アリアが前世に落ちたことをいい機会として、新しく子を儲けたということですか」
「うむ、まあ、そういうところだ。やむを得なかった」
ベルガーは咳払いをした。アオイは父親を睨みつけるアリアの背中を優しく撫でていた。
「もし、彼女が前世から戻ってこなかったら?」
「特段問題はないだろうな。現にこうして戻ってきてはいるが、あの子がもっと大きくなれば、なおさらアリアは不要になる」
「それをあの息子さんはご存知なのですか?」
「いいや、まだ何も伝えていない。姉がいることもな」
「……あんまりにもひどくないですか? アリアは、あなたたちが自分を認めてくれると思って、ここまで来たんですよ」
ルーカスは少々ソファから身を乗り出していた。
「そうだろうな。けど、簡単に人々の考え方は変わらない。わたしらが認めたとしても、ここではやっていけないんだよ」
「だから、実の娘でも切り捨てよう、ということですか」
ベルガーは口を閉じた。アパテーはベルガーの膝を撫でているだけだ。
「アパテーさんはどうなんですか? あなたの旦那さんはこんなこと言ってますけど、反論すべきじゃないですか?」
「いいえ、彼の言っていることは本当よ。あなたが考えているほど、世間は甘くないの」
「……正気ですか? あなたもオームなのでしょう? 本当にあなたはそれでいいんですか?」
「そうよ、私はオーム。けど、アリアはここの子、つまり、私たちを継ぐ立場にあるの。私とは全く立ち位置が違うのよ」
ルーカスはため息をついた。
「……本当に残念に思います。前世ではたくさんの人が亡くなっている。そんな中、アリアは意を決して、私たちと一緒に、困難を乗り越えながらここまで来たんです。彼女は確かに女性だしオームです。でも、彼女の心や実力は、あなたたちよりずっと優っていますよ」
ルーカスは言い切ると、呆れたように再度ため息をついた。
「……ごめんね、アリア。ちょっと言い過ぎたかも。ごめん」
「2人は、もう私のことは不要なのね?」
アリアは久しぶりに声を出した。その声は確かに震えていた。
「……いいや、不要ではないよ。商人としてやっていくのは無理だと言っただけだ」
「なら、私はどの部屋で暮らせばいいの? 前世に落ちてこなかった私の大事な物はどこにあるの? 以前は玄関にいろいろ置いていたよね? 今は? 教えてよ」
アリアの声は震えたままだ。ルーカスは横目でアリアの顔を見たが、口が震えて閉じ切っていなかった。
「……部屋は、用意していなかったし、君の幼い頃から大事にしていた宝物はもうここにはない……」
「それはなぜ? 私に戻ってきてほしくなかったのでしょ? 前世に落ちた私を心配するどころか、男の子を産むチャンスかもしれない、と思ったんでしょ?」
ベルガーは口を閉じた。ここで彼が何を言おうと、アリアの言っていることは正しい。そうでなければ、今ここで話しているような状態になることはなかったはずだ。
「……私は、自分の親であれば、私のことを信じてくれると思った。認めてくれると思った。だから、ここがどれほど卑劣な街であろうと、努力してきた。……だからこそ、あの日、あなたたちが話していたことを聞いて、私は目から溢れてくる涙を止める方法なんて思い出せなかった」
アリアは唾を飲み込み、さらに続けた。
「私の努力は、誰にも認められずに消え去っていくんだと思った。自分がやってきたことの意味がわからなくなったし、これから先を生きていく理由もわからなくなった」
「アリー、落ち着いて」
アオイが横から声をかけたが、それには全く反応しなかった。彼女の目からは、すでに涙が溢れ出ていた。
「もし私が、これからこの家で暮らしたとしても、あなたたちはきっと、私が生まれてきたことを悲しんでいるんでしょうね。お金は稼げないし、でも食費はかかるし、私がここにいることでいいことなんて、何一つないもんね」
アリアの言葉が途切れたが、誰も口を開けることはできなかった。
すると、突然、こちらの声がうるさくて目を覚ましたのか、あの男の子がパジャマ姿で部屋に入ってきた。
「ダメよ、寝てなさい」
アパテーがすぐに歩み寄り、息子を外に出そうとした。
「だって、声がうるさかったから……」
「うるさくしてごめんね。でも大丈夫よ。部屋に戻って寝てなさい」
アパテーが息子の背中を押すようにして部屋から出した。そして、すぐに戸を閉めるとソファに戻ってきた。
「あの子からしたら、私は家族ではなくて、うるさい客人なのね」
「客人だなんて……」とベルガー。
「でも、私のことをあの子は知らない。でしょ?」
「…………」
ベルガーは再び閉口した。
※1話が長かったため、分割しました。




