22 現代魔法研究所(七) ①
「ルーカスさん!」と叫んだのは戦闘訓練場から出てきたばかりのレベッカだ。
「レベッカ、……来ないで。……もし私が死んだら、みんなでなんとしてでも後世に向かって。私たちの求めていたものが、きっと……そこにあるから……」
「ルーカスさんは……?」
「この状況を見て。……せめて、レベッカだけでも後世に行って……」
「賢い選択だな」
ルーカスの頭上で、ベンジャミンが話し始めた。
「自分が死んだとしても、目的は達成しようという、素晴らしいリーダーだな。だとすれば、お前はこの雑魚いリーダーを見捨てて、今すぐにでも走って逃げるべきだな」
レベッカの方を見たベンジャミンはニヤついていた。
「それとも、この小娘が死ぬのを見てから逃げるか?」
さらにベンジャミンは汚い声で、ニヤつきながら話した。
「いや……」
レベッカの声が震えていた。それは、恐怖や不安ではなかった。
「逃げないから!」
レベッカは駆け出すと、ベンジャミンの右サイドに向かってきた。
「なんだ、目が見えていないのか?」
ベンジャミンはせせら笑ったが、レベッカの目的は違った。空間を切り取り突然左側に移動し、ベンジャミンがそちらにルーカスを盾として向けると、次の瞬間レベッカの姿が消えた。
「おい、どこに行った?」
ベンジャミンが辺りを見回すと、レベッカの声は背後から聞こえてきた。
「こっちよ!」
後ろからレベッカが男のうなじに踵を振り落とした。
「なにっ!」
ベンジャミンはよろめいた。その隙に、ルーカスはベンジャミンの手から離れることができた。
「ありがとう、レベッカ」
ルーカスはその後レッグホルスターに手を当てたが、そこには何もなかった。
「そっか……」
ルーカスはベンとロレアが戦っているところを回り、戦闘訓練場内に駆け込んだ。しかし、すぐにベンジャミンが後ろから追ってきた。
ナイフを選別する暇もなく、1番近くにあった刃渡りが10センチメートルに満たない程度の細いナイフを手に取った。
「ちっさ!」
ルーカスはすぐに交換しようとしたが、ベンジャミンが追いついたのが先だった。魔法陣をルーカスに向けて出現させ、強力な風が吹いてきた。そのまま反対側の壁まで飛ばされた。
「いったたた……。って、ここ右側なのね……」
左側を見ると、扉がある。そう、この部屋にある2つの扉のうち、シーナ・ダースの部屋の近くにある方のものだ。つまり、ルーカスは部屋の端から端まで飛ばされたということだ。
ルーカスは立ち上がったが、ナイフはずっと向こうで落としてしまった。再び無力な状態となった。向こうを見ると、レベッカがベンジャミンと争っている。空間をうまく使い、比較的優位に立っている。
ルーカスはすぐに走り戻ったが、思った以上にかなり遠かった。さらに、レベッカたちの右横に目をやるとユーが背中から刺されている。
「ユー!」
ルーカスは方向を変え、そちらに駆け寄った。
セロがアオイの方を向いているのを見て、横から腰を蹴り飛ばした。それにより、彼は数メートル飛ばされた。
「ユー、大丈夫?」
ルーカスはユーに駆け寄り、背中に刺さっているナイフを引き抜き、遠くに投げ飛ばした。
「アオイ、来て!」
ユーは声を出さなかったが、意識はあるようだ。アオイはすぐに駆け寄ってきた。
「ルウ、こっちは任せて」
アオイはすぐにユーの傷を治療し始めた。
ルーカスは「わかった。頼んだわ」と、後ろを見返すことなく立ち上がった。
「セロ・ゴスね。あなたのことは私が相手する」
ベンはロレアと炎のぶつけ合いをしていた。しかし、ベンは少々押され気味だった。
「くっそ、俺の炎じゃ歯が立たねえ」
「ははは、まだまだだな! ここまで来たことだけは褒めてやる!」
ロレアは笑いながら、さらに炎の勢いを強め、廊下は火の海となっていた。
「もっと、もっと燃やしてやる!」
ベンはさらに強い炎を繰り出した。血が手の平から流れるように出ている。それにルーカスは遠目に気が付いた。
「ベン! ダメよ! 逃げて!」
「仲間のことを気にしている場合ではないだろう」
目の前のセロが立ち上がり、手の平を向けた。
ルーカスの声はベンには届いていなかったようだ。そのままでは血液を使いすぎて死んでしまう。
ベンはフィーレによる巨大な炎の柱を廊下に並べた。
「やるじゃねえか。だが、俺の方が強い」
ロレアはベンの足元から炎の柱を作り出した。ベンは咄嗟に離れるが、服に少しだけ炎が付いてしまっている。
「やってくれるな……」
ベンはそう言うと、炎を気にせず、ロレアに向かって走った。
「こうなったら直接ぶん殴ってやるよ!」
ベンとロレアは殴り合いとなった。激しい動きで、服についていた炎はいつの間にか消えていた。しかし、ベンの作り出したフィーレの柱がお互いの足を痛め続けている。
殴って殴られての繰り返しで、体術は互角だった。ルーカスからは見えない場所で、ベン、ロレアが争っているのは声と音で伝わってきた。
そして、彼女も体術を使う必要が出てきた。
コントロール系魔術は、何か物体がないと、その魔法を発動させることができない。戦闘時となれば、殺傷力となり、扱いやすいサイズのナイフを用いることがほとんどだ。しかし、現時点で、両者とも武器となるようなものは何も持ち合わせていない。
「仕方がないわね。不得意な分野ではあるけど」とルーカスは構えた。
セロが自らの服に触れ、フォトンで瞬間的にルーカスの目の前に移動した。そして、左からの殴打。ルーカスはすぐに防御し、後ろに飛び逃げた。
さらに、セロと同じように、自身の服を使い、瞬間的に壁側に移動した。そして、刃渡りが長めのナイフを手にした。
「その移動の仕方、いい感じ」
彼女は再びセロの目の前に移動し、ナイフで首を切ろうとした。しかし、すぐにセロはその手を防ぐと、次はルーカスの鳩尾に強打を与えた。
一瞬は怯んだルーカスだったが、すぐにナイフを握り直し、次は殴ってきたセロの手を、手前から肩にかけて切りつけた。
セロは痛みに叫び、ルーカスから離れた。
「もう1発!」
ルーカスはさらにセロの目の前に移動しナイフを振ったが、空気を切っただけだった。セロはしゃがみ、彼女のナイフを下から奪い取ると、次はその腹を横に切りつけた。白のブラウスが赤く染まった。
すぐさまルーカスは後退したために傷は浅かったが、少しでも遅れていれば致命傷ともなりかねなかった。
「やるわね」
「そちらこそ」
突然、横から、レベッカの叫び声がルーカスの耳に刺さった。振り向くと、ベンジャミンに捕らえられている。
「リーダーの言うとおりに逃げなかったのが間違いだったな」と笑い、手足を振り回すレベッカをルーカスに向けた。
「どうだ! 時間がかかってしまったが、そろそろ終わりとしようじゃないか」
ベンジャミンはそう言うと、魔法陣をレベッカの背中に当てた。ルーカスが受けたものと同じものだ。
「レベッカ!」
「おいおい、君はこっちだろう」
ルーカスがレベッカに気を取られているところを、セロはナイフで胸を突き刺した。セロがナイフを引き抜き、支えがなくなったかのように刺創から血を噴き出しながら彼女はその場にうつ伏せで倒れた。
「おお、セロ。先にやったのか。まあいい。なら、次はこっちだな」
ベンジャミンは、先ほどと同じ魔法陣の攻撃をレベッカにも使った。ルーカスのときと違い、合わせて4発の剣を打ち込み、レベッカも無傷の状態で気を失って倒れてしまった。
「そろそろロレアも勝つだろう。こっちは、殺し損ねた空間系魔術使いを片付けないとな」
アオイは血相を変え、唖然とした状態でベンジャミンを見つめていたが、ユーはすっと立ち上がりその顔を見上げた。
「アオイちゃん、ありがとう。治療は一旦大丈夫だよ、また後でお願い。先に、こいつらを倒すから」
ユーの目つきは変わっていた。アオイの知っている穏やかな目ではなく、怨色の帯びた目だった。
「そうそう、アオイちゃん、できれば、そこの壁を開けてくれない? 両サイドのロックを外すだけでもいいから」
「わかった、やってみる」
アオイはユーを後にし、最初にシーナ・ダースの部屋側のロックを外しに走った。




