17 現代魔法研究所(二) ④
レベッカは、彼女とルーカスの間にあるテーブルに本を置き、ソファから立ち上がった。ルーカスは彼女を目で追った。
彼女はソファの後ろに回ると、ルーカスの目を見て言った。
「私は、ずっとここで生きてきた。だから、あなたが言うことよりも、自分の思っていることの方が心に沁みている。それゆえ、残念ながら、あなたの言うことを信じたくても信じられない」
「私たちも同じよ、レベッカ。あなたの言っていることを信じたいけど、それはできない。私たちには、私たちの知っている歴史がある」
「でも、それが真実かはわからない」
「ええ、そうよ。でも、あなたの知っているものが真実かどうかもわからない」
「……歴史は1つなのに、併存してしまっているのね」
「それはつまり、どっちかは嘘、あるいは、どちらも嘘」
ルーカスとレベッカは見つめ合った。ベンは2人の対峙する様子を遠くから見つめ、いつでもルーカスを守れるよう身体を緊張させていた。
「なら、私とあなたたちが仲良くする必要はない。あなたはあなたが知っている歴史に心酔しておけばいい。私は私の知っている歴史を信じている。そうであれば、私たちが対立することは真っ当なこと」
「そうね。でも、私はあなたを助けたい」
「助ける? 意味不明」
「あなたに真実を知ってほしい」
「……馬鹿ね。あなたはもうわかっているんでしょ。私が考えを変えることはないって」
ルーカスは口を塞いだ。ここまで言われては、彼女にもどうしようもなくなってきた。
「……わかったわ。ベン、もう行きましょう」
ルーカスはソファから立ち上がると、出入り口に向かって歩いた。顔を顰めているベンがいる。
ルーカスがドアを開けると、後ろからレベッカの声がした。
「グラン・ドールに行くのね」
「さあ。私たちがどこに行くか、それはあなたには関係ないでしょ」
「……私には仕事がある」
「私たちには私たちの信じる歴史がある。あなたにそれを否定することはできないでしょ」
ルーカスは部屋から出て行こうとした。
「否定はできないけど、仕事には従う必要がある」
「仕事、仕事と言うけど、あなたは本当に簡単に人を殺せるの? 私にはそうは見えないけど。そんなに殺したいなら今殺せばいいじゃない」
ベンと揃って廊下に出ると、ルーカスは扉を閉めた。ルーカスはベンの顔を見た。
「どうしようもないわね」
向かいの部屋に入ると、ユーはドアの目の前に立っていた。
「どうだったの? 何か進展は?」
「いや、なかったわ。それより、私たちは早くグラン・ドールに行こう。ここでもたもたしている理由はないわ」
ルーカスはそう言うと、再び廊下に出ようとした。
向かいの部屋の扉が開いている。そして、すぐそこにレベッカが立っている。彼女の長い黒髪はひどく傷んでいる。
「どうしたの? ようやく私たちを殺しに来た?」
ルーカスがそう言うと、レベッカは彼女の目を見据えた。
「私には何が真実かわからないし、真実だと言って聞かされた内容が真実なのかどうかもわからない。これまでは言われたことを受け入れていたけど、……あなたの話を聞いていたら、少し考えてみようかなと思い始めた」
周りの4人は静かに佇んでいる。ルーカスとレベッカの間には、細くわずかな理解の線が生まれていた。
「……そう。なら、そこに座って」と言い、ルーカスは部屋に置かれているソファを指差した。
「こっちの部屋は向こうよりもずっと質素だけど、まあ、それは気にしないでね」
レベッカが部屋に入ってきたので、ルーカスは彼女の後ろを追った。
レベッカがルーカスの示したソファに座ると、その横に彼女は腰を下ろした。
「え? 前じゃなくて?」
レベッカが目を丸くしたが、ルーカスは笑みを浮かべて答えた。
「そう。横の方が距離が近くていいでしょ?」
「うん……」
ルーカスは、彼女が知っていることを話した。アイザック教会群遺跡でのハワード・セリウスの件、昔のアーム教とシャトー教の対立の件について。レベッカはじっくりと聞き入り、時には疑問を投げかけた。時間はゆっくりと流れていた。
「……もし今の話が本当なら、ダラン総合魔法学校の人たちが悪い人、って言い切るのは難しいのかも」
「そうね。……悪い人もいるかもしれない。けど、悪くない人もいるのよ。一方向から見ないで、一つずつしっかり見極めてほしいかな。……少なくとも、私たちが悪い人ではないと思ってほしい」
ルーカスはそう告げると、レベッカの顔を覗き込んだ。レベッカは俯いていた。自分の知る世界とルーカスから聞いた世界に乖離があり、整理をしているのだろう。
レベッカの深刻そうな顔を見て、膝の上で拳を握る彼女の手を、ルーカスはそっと両手で包み込んだ。
「真剣になるのはいいこと。でも、深刻にはならないで。あなたが悪い人じゃないことは、もうわかったから。ちょっと、考えすぎちゃったのよね」
わずかにレベッカの手が震えていた。年齢は同じぐらいであっても、レベッカはここでずっと暮らしてきた。自分の教養を高める機会はあまりにも少なく、彼女はまだ幼い思考の持ち主だった。そんな彼女にとって、自分の信じてきたことと現実が違うことを目の当たりにすることは、これまでになくストレスだったのだろう。
室内はユーのフィーレで穏やかに照らし出されていた。ルーカスはレベッカの手を暫時包み込んでいた。レベッカとルーカスは、敵同士でありながら、少しずつ友情を築いていた。




