14 ハルセロナの港(二) ②
ルーカスは男と対峙した。
「あんた、私の大事な仲間に怪我させて、絶対許さない……」
「おやおや怖いねえ。許さないのは勝手だが、どうせ死ぬなら変わりないだろう?」
男は右手でナイフを回し、しっかりとハンドルを握った。一方の左手で空間を新たに作り出した。他の空間よりもずっと透明感が低かった。
「それは……」
「これか? 気になるだろう?」
男はそう言って、ルーカスに向かって空間を投げつけた。反射的に彼女はそれから逃れたが、どんどんとそれに身体が引き寄せられる感覚があった。足が今にも浮きそうだった。
「その空間は、側面に接するものをどんどんと取り込んでいくんだ。おかげで、近くの物体はすべて引き寄せられ、空間内で圧縮されてしまう。……お前もその中で潰れてしまうんだな!」
男はそう言って笑うと、空間に引き寄せられるルーカスに走り寄ってきた。ナイフをしっかりと構えている。
ルーカスは次第に強くなる空間の引力により、地面を引き摺られていた。
「ユー!」
彼女は叫んだが、ユーはちょうど巨大な蜘蛛と争っていた。見ると、あと1匹だけになっている。
男の方を見ると、もうそこまで迫ってきていた。
一か八か、とルーカスは思い、その場で飛び跳ねた。無論、すぐに空間に引き寄せられた。そして、空間に触れたその瞬間、フォトンで空間を上空に飛ばした。彼女自身もそれに釣られるように上空に舞い上がった。
危機一髪、男のナイフの先端はルーカスの靴の下を掻き切った。
「危なかった……」
男がよろめいたとき、空間が消滅しルーカスは地面に落ちてきた。
「よく躱したな。やるじゃねえか」
男は、さらに空間を左手に作り出そうとした。
「いや、その空間はもう無駄だよ」
男の背後から声が聞こえた。ユーだ。
ユーは男を完全に空間に留めていた。
「成功」ユーは小さく呟くと、次の瞬間、男は空間の中で消滅した。
「ユー、ありがとう!」
ルーカスが驚きのあまり声を上げると、ユーは笑顔で近付いてきた。
「今のは?」
「空間系魔術の高等魔法だよ」
ユーは誇らしげだった。通常の空間を切り取る魔法とは異なり、空間の内部の物質をすべて完全に消失させる魔法だ。ウラノン城でアオイとベンが目の当たりにしたものである。
まさか、そんな魔法が使えるとは思いもしなかった。
血をかなり消耗し、ユーはその場に座り込んだ。
「ベンは?」
ルーカスはアオイ、ベンの元へ走ってきた。
「大丈夫。かなり治ってきたわ」
アオイは答えた。ベンも笑顔だった。
「声は出さなくていいわ。大丈夫なら、それでいいから。……よかった……」
ルーカスは遠くに隠れていたアリアを手招きし、5人に平穏が訪れた。
◇◆◇
数時間ほど経っただろうか。
5人は変わらずその場に座っていた。ベンが治ってから行動しよう、と考えたのだった。
しかし、それは無理な願望だった。また1人、ハルセロナの港方面から男がやってきた。
「さっきの、確かに見た。君たち、強い。けど、俺にとったら、弱い」
「今度は誰……」
ルーカスは立ち上がった。まだベンは治りきっていない。
男はゆっくりと歩いて近付いてくる。奇妙なほどに、ルーカスが立ち上がっても全く歩みのペースを変えなかった。
「殺す。ここに来る人間、殺す」
よく見ると、それは人なのだろうか、幾分かまるで作られたもののようでもあった。髪はなく、目は赤く光り、生気の感じない目つきをしている。さらに、上半身に何も身につけず、皮膚はつぎはぎで縫いつけただけのように見えた。
「止まりなさい。じゃないと、刺し殺すわよ」
ルーカスはベンに刺さっていたナイフを地面から拾い上げて、握って見せた。
しかし、男はやはり全く歩みを緩める様子もなかった。
ルーカスはナイフを男に向けて飛ばした。男は躱そうとする素振りすら見せず、男の首に当たったが、フォトンの力を持ってしても刺さることはなく、虚しく足元に落下した。
「……固いのね。どうしようかな」
ルーカスは男に合わせ、一歩一歩引き下がった。そして、真後ろの透明の壁に背中が当たり、そこで立ち止まった。
「背水の陣、ね……。ユー、空間を切り取ることはできる?」
「今すぐはちょっときついかも……」
ルーカスは周囲を見回した。海底が露出しているだけで、何も落ちていない。男はまっすぐ歩いてきている。
ルーカスは走り、男の背後に回った。男は立ち止まると、彼女を見続けたまま身体をぐるりと回した。
彼女は足元に落ちていた、先ほど投げたナイフを拾い上げた。
「これでなんとか戦わないと。あれには言葉が通じる気配もないし」
ルーカスは男を他の4人から遠ざけるよう、ハルセロナの港側に少しずつ歩いた。男はゆっくりと歩いて向かってくる。
どこかに弱点はあるはず……。きっちり見定めないと。
ルーカスは右に左に走り回り、男の弱点を探った。しかし、どこにも弱点らしきものは見当たらない。
男は突然立ち止まった。それに合わせるように、ルーカスも立ち止まった。
男はルーカスの目をじっと睨みつけたかと思えば、突然、彼女に向かって走り出した。
「殺す。殺す。殺す」
男は狂気に満ちた顔面で彼女に走り寄ってくる。何も持ってはいない。
ギリギリまで引き寄せたところで、男が殴りかかってきた。
ルーカスはしっかりと動きを見て、なんとか攻撃を躱した。しかし、男はそのまま地面を殴りつけ、海底にヒビが入った。
「……あれで殴られたら死ぬかも……」
男が体勢を立て直す前に、ルーカスは男に駆け寄り、うなじの部分を切りつけた。ところが、全く歯が立たなかったため、次に男が攻撃を仕掛けてくる前にナイフを持ったまま急いで離れた。
「やっぱりダメか。とすれば、膝裏とかかな……」
男は、先ほどよりもさらに鋭い目つきで彼女を見据えた。
「次は、殺す。次は、殺す」
男は先ほどよりも一段と早いペースでルーカスに向かって走り出した。
「早い……!」
ルーカスは右と左のどちらに躱すか考えたが、相手の走る速さに慌て、咄嗟に右側に転げ込んだ。
攻撃を躱すことには成功したが、男は振り返ると躊躇うことなくさらに彼女に襲いかかってきた。
膝裏を切りつけるタイミングは全く見当たらず、彼女は攻撃してくる拳をひたすら躱し続けていた。
「まずい……。このままじゃ、いつかやられる……」
ルーカスは立ち上がると、ナイフを捨て4人の元に駆け寄った。
「……仕方がない。気は進まないけど、アープで飛ぶわ……」
5人は手を取り合うと、ハルセロナの港の方面に向いた。男は走ってきたが、その前にルーカスはアープを唱えた。
「はあ……、なんとか逃げられた……」
ルーカスはその場に倒れ込んだ。血が手の平からかなり流れ出している。
「5人分はちょっと無理があるわ……」
ルーカスは仰向けに寝転がった。空……頭上には太陽など見えない。ただ、いくつかの火の玉が、宙に浮いているのが見えるだけだ。
さっきのは、正直言ってきつかった……。彼女は心の中でそう呟いた。
その後、すぐに目を閉じてしまった。
しばらく後にふと目を開けたところ、視界にルーカスの顔を覗き込むようなアオイの顔が現れた。
「ルウ? ベンくんは治ったよ。ルウは大丈夫?」
「ああ、うん……。今は平気。でも、ちょっと貧血気味……」
「いつもごめんね。助けてくれてありがとう」
「自分の命を助けるのにも必死なの。こちらこそ余裕がなくてごめんね」
ルーカスは目を瞑った。
「それで、あれからどれぐらい時間が経った?」
「3時間ぐらい。さっき、他の3人が食べ物を買いに行ったところよ」
「そう……。一旦アリアの家に帰ろっか……」
「それは無理よ」
アオイがキッパリと言った。ルーカスは目を開けた。
「え? どうして?」
「だって、ここはハルセロナじゃないもん」
「どういうこと? 私はちゃんとハルセロナの方に飛んだつもりだったけど」
「うん。でも、アープはそれほど正確にはできないでしょ? それで、隣のイルケー地方に来ちゃったみたい。ここはイルケーの港だよ」
そうなんだ……。ルーカスは声にならない声を出した。そして、再び目を閉じた。
身体が重い。少し頭がぼんやりした感覚だ。しばらくは立ち上がることも難しいかもしれない。
「少しでいいから、どこかに泊まりたいわ。アイアン島に渡るのはそれからにしよう」
彼女は目を閉じたまま言った。
アオイはルーカスの艶のある髪を指で梳いていた。彼女は無言でルーカスの言葉に頷いた。それを知ることもなく、再びルーカスは眠りについた。




