13 ハルセロナの港(一) ④
その頃、ルーカスとアオイは走り疲れて噴水前のベンチに座っていた。
「水はないけど、噴水っていいよね」
「そうそう。なんとなく心が落ち着くというか」
「そういえば、アオイ、昔、噴水に落ちちゃったことあったよね」
その言葉に、アオイはキョトンとした顔をした。
「え? そうだっけ? どこで?」
「ほら、ダランの正面に噴水あるじゃん、あそこに4歳ぐらいのとき落ちなかった?」
「あー、確かにあった気がする。私が縁のところ歩いていたら、落ちちゃったんだよね」
「そうそう。それで助けてあげたのに、アオイはしばらく泣きじゃくってた」
「ルウが助けてくれたんだっけ。……というか、私そんなに泣いていたっけ?」
ルーカスとアオイは昔話に耽っていた。
「ずっと泣いていたよ。アオイはあの頃泣き虫だったもんね」
ルーカスは笑っていた。
「逆に、ルウは全然泣かない子だったよね」
2人は周りを歩く人々に見向きもせず、ただ昔話を楽しんでいた。
ルーカスたち4人は家に戻ると、真っ先にキッチンに向かった。アリアが早くもテーブルの準備をしていた。
「アリー、手伝うよ。今朝も準備してくれてありがとう」
アオイはそう言うと、アリアの横に立った。ルーカスもアオイに続いた。
「ありがとう。でも仕事をしてもらうんだから、悪いでしょ?」
「ううん、何も悪くないよ。あそこで突っ立ってる男2人はどうなのか知らないけど、私とルウは一緒にしたいと思ってる」
アオイがそう言うと、ユーもルーカスの後ろに続いた。
「自分たちが食べることも全部やってもらっている方が悪いや。僕にも手伝わせて」
それを見て、ベンも付いてきた。
結局5人は並んで夕食の準備をした。会話をしながらの準備は、実に楽しい時間だった。
テーブルには4人分のポテトサラダ、鴨肉のローストが並べられた。アリアは入り口付近の棚に置いていた自分の分をとって自室に帰ろうとしたが、ルーカスが彼女を呼び止めた。
「アリア、一緒に食べない? せっかくだし、何か話さない?」
アリアは振り返った。半分暗い顔をしていたが、逆の半分では希望の光を見つけたような顔をしている。
「え? ……気を遣ってくれてありがとう。でも大丈夫だよ」
アリアはルーカスに笑顔を向けた。そして、再び立ち去ろうとした。
「アリア、一緒に食べるのは嫌?」
「……じゃあ、一緒に食べる……」
アリアは振り返りテーブルに戻ってきた。
「じゃあ、今日はアリアも一緒に、みんなで食べよう」
ルーカスたちはアリアを歓迎した。5人は楽しい夕食を共にした。
◇◆◇
翌朝、ルーカスは早速港に来ていた。この日はアリアにも一緒に来てもらうこととし、アリアは常にルーカスの後ろに立っていた。
港には何艘か船が停まっていた。船長らしき人物も見えた。
ルーカスはその人たちに会いに行くと、挨拶をした。
「昨日からこちらの貿易商人となりましたルーカス・ダランです。本日よりここに立たせていただいています。以後、お見知り置きを」
「あなたがマージの貿易商人か。お目にかかれて光栄です」
ルーカスは頭を下げ、先ほどまで立っていたところに戻った。
「これでいいんだよね?」
「ありがとう。その調子でいいわ。今日は最初だし、もう帰ろっか」
ルーカスとアリアは一旦家に戻った。まだ今日は昼と夜も行くのか、とルーカスは半ば疲れていた。全く何もしていないのと同様なのであるが、彼女は単調すぎる作業に呆れたということだった。
ルーカスはこの退屈な仕事を毎日やってのけた。面白いことは何もなかったが、とにかく自分たちの目的を果たすためには、やらざるを得なかった。
1ヶ月が経った頃、朝、アリアは4人を応接間に通した。
「ありがとう、1ヶ月間。約束どおり、報酬よ」
アリアは巾着袋をルーカスの前に置いた。ルーカスはそれを一瞥すると、アリアに告げた。
「こちらこそ、いろいろとお世話になったわ。ありがとう。……それで……」
ルーカスは一瞬喉を詰まらせたが、続けた。
「あなたに何があったのか、それとも、何を恐れているのか、今なら話してくれる?」
「……なんのこと? 全然大丈夫だよ、みんな本当にありがとう」
アリアは微笑んだ。頬が強張っている。
「大丈夫は嘘。アリア、本当のことを教えてほしい。私は、きっと誰よりも1番近くであなたを見てきた。けど、私は未だかつてあなたの笑顔を見たことはない。……本当の笑顔を。だから、あなたの胸の奥には何かがあるんだと思っている。聞かせてくれない?」
アリアは黙り込んだ。ルーカスは終始彼女の目を捉えていた。
そのまま数分が経過して、ようやく彼女は口を開いた。
「……ここでは、男女の差別がある。男の言うことは絶対。女は男の言うことを聞くことが当たり前。そういう場所なの。前世に落ちて来てから、さらにそれは強くなった。私も本当に辛い思いをたくさんした」
「詳しく話さなくてもいいわ。……今回は、あなたがここで働くことが嫌で、私たちを雇ったということ?」
「そう。女でも、マージであれば問題ない。というより、男たちが怖がるから。そういう理由で、マージを探していたの。……ルーカス、あなたは本当にしっかりしていて、本当に頼もしかった」
アリアは暗い顔をして続けた。
「でも、あなたたちはもう行くんだよね。……1ヶ月間、ありがとう」
「あなたの言いたいことはわかったし、ここではどれほどくだらない慣習があるのかということを、よく理解できたわ。でも、あなたはこれからどうするの? 次の誰かを探すの?」
「……そうする」
「もし見つからなかったら? あなたがここで働くの?」
「……そうなるかな……」
「それでいいの?」
アリアは俯いたまま答えなかった。
「……ごめん、アリア。脅すつもりはないの。ただ、あなたがここにいる意味がよくわからないと思っただけ。あなたは本当に献身的だし、篤い心を持っている。それでいて、自分自身を守るために行動もできる、本当に素敵な人だと思うわ。だけど、そんなあなたがここにいて得られるのは差別の目。……私には、あなたがここに留まる理由がどうしても見出せない」
「ありがとう……。でも、私、どこに行けばいいかわからない。前世にいるというだけで、無闇に出歩いたら生きていけなくなっちゃう」
「……私たちはこれから後世に行くの。あなたが前世に帰る場所がないと言うのなら、一緒に後世に行くのはどう?」
アリアは目を大きくした。同時に、頬を少し赤くした。初めてこのような眩しい顔を見た。
「いいの? ……本当にいいの? ……私は魔法は使えないし、きっと何も手伝えない。それでもいいの?」
ルーカスは大きく頷いた。
「ここにいる3人で、誰もあなたを拒むような人はいない。むしろ、きっとみんなあなたを歓迎するわ」
「本当?」
「もちろん。……本当は、ずっと独りでここにいるのが辛くて、なんとかマージをお金で繋ぎ止めようとか思っていたんじゃないの? 今回は、私たちがここを発つ予定があったからそうはいかなかったけど」
アリアは再び暗い顔をした。きっと、図星だったのだろう。だからこそ、ルーカスは彼女を連れて行こうと思った。
「いいのよ。それに、アリアの本当に美味しい手料理に飢えちゃうからね」
ルーカスがそう言うと、他の3人は笑っていた。ただ1人、アリアは笑わず涙を流していた。
「あなたたちに会えてよかった。……心休まる場所がなかった私を救ってくれて、ありがとう……」
「私たちもあなたに出会えてよかった。これからも、あなたは私たちの大事な仲間だから」
アリアはしばらく嗚咽を漏らしていた。




