13 ハルセロナの港(一) ②
30分ほど経ち、ルーカスは自然に目を覚ました。気付かないうちに眠っていたらしい。
アオイは寝ていた。ベンもまだ寝ていた。
一方で、ユーはまだ起きている。何やらぼんやりと天井を眺めている。
「ユー、私、アリアの部屋に行ってくるわ。2人が起きたら伝えておいて。あと、私のことは気にせず寝ててね、ってこともお願い」
「わかったよ。階段暗いし、気を付けてね」
ルーカスは、ありがとう、と言い残すと、ゆっくりと部屋を出た。
部屋の扉を開けてみたが、家中あまりにも暗かった。部屋の中は蝋燭があったためそれなりに明るかったが、外の蝋燭はすでに消したようだ。
ルーカスは暗闇の階段を進みアリアの部屋の前に立つと、ゆっくりと3回ノックした。
「アリア? ルーカスよ、今大丈夫?」
中から「入って」との声があり、そっと扉を開いてみた。
押し扉を開いて、右側に椅子が置かれていた。その正面にベッドが置かれており、アリアはそこに座っていた。
彼女はルーカスに笑顔を送ると、正面の椅子を顎で指し示し合図した。ルーカスも笑顔で応え、そっと扉を閉めた。
椅子に腰掛けると、アリアが先に話し始めた。
「それで、どうしたの?」
「私の考えすぎかもしれないけど、教えてほしいことがあるの。私たちに貿易商人の顔をしてほしいっていうのは、本当はどういう目的?」
アリアの顔から笑顔がスッと消えた。
「どういう目的って、さっき言ったとおりよ。とにかくマージであることを見せつけてくれたら、それでいいの」
「その裏に何か意図は?」
「……どうして?」
ルーカスはため息をついて続けた。
「本当に私の考え過ぎならいいんだけど、なんとなく、あなたの個人的な理由があるような気がして。それが利己的って意味じゃないけど、何か意図がありそうな気がするの」
ルーカスは一瞬アリアの顔を伺ったが、さらに続けた。
「だって、私たちは、いずれここを出ていくのよ? 一時的に貿易商人になるだけの人に、マージという顔をしてというだけの理由でお金を払うとは、どういうことなのだろうと思ってしまう。実は、それ以上に留まってほしいとか、あるのかなって考えてしまう」
「……考えすぎだと思うわ。……ルーカス、あなたは優しいのね、私にはわかる。けど、大丈夫。……そんな理由なんてないから」
アリアは笑みを浮かべた。ルーカスには、その微笑みがどことなくぎこちないように感じた。
「アリアがそう言うなら、私はあなたを信じる。けど、何か悩んでいるとかだったらいつでも教えてね。私たちはあなたの味方だから」
「ありがとう。……ありがとう」
ルーカスは部屋を出た。
一体、何が彼女にまとわりついているのか。
ぼんやりとそんなことを考えていると、ふと、上階から水の流れる音が聞こえてきた。風呂にでも入っているのだろうか。
前世では、後世にあったようなシャワーのようなものはない。そもそも水がないからだ。そこで、前世では、マージがアテールで生み出した水を地下に貯め、それを必要な量だけバケツで汲み、浴室の上部にあるタンクに入れておく。タンクの下の蛇口を捻れば、重力で水が落ちてくる、という仕組みを採っている。
アテールは初歩的な魔法であるし、ほとんど血を使わないため、多くのマージがオームに協力している。ルーカスたちが行ったように、魔法学校の生徒が「実習」のような形で村々に赴くことも多々ある。
ルーカスは上階に戻る前に、最初に入った応接間に再度入ってみた。
今回は真っ暗だ。ルーカスはフィーレを手に出し、部屋内を見て回った。
壁には2枚、海の絵画が飾られている。スペース的にはもう1枚あったのだろうが、後世に残ってしまったのであろうか、壁に留め具の穴だけが残っている。
陳列棚も配置されており、古そうな腕章や旗が置かれていた。一体何を表すものなのかルーカスには全くわからなかったが、ここがそれほどまでに重要な家であったことは容易に推測できた。
アリア、彼女の両親は後世でどういった生活をしているのであろうか。可愛い1人娘がいなくなってしまい、狂気じみた性格に変わっているかもしれないし、あるいは悲しみで途方に暮れているかもしれない。全く逆の観点で考え直すと、何かしらの難点があり、いなくなってくれてよかった、などと思っている性悪な場合もある。
これまでの毎日は娘色に彩られていたが、今は夫婦色になったのだろう。それは暗色なのか明色なのか、ルーカスには知る由もなかった。
可愛い1人娘だと思った理由は、いくつかの写真には彼女しか映っていないからだ。
ルーカスは早足で部屋を出た。特に決まった理由があるわけではないが、なんだか複雑な事情を感じてしまうからだ。ここの部屋にいると、とても胸が痛むような気がするのは、彼女だけなのか。
部屋に戻ると、さっき風呂を出たのであろう髪が濡れたアオイと、ベッドの上で足のマッサージをしているベンがいた。
「ユーなら風呂だ」
聞いてもいないが、ベンが答えた。
「そう。おはよう、ベン」
ルーカスはそう言うと、アオイのベッドに座った。
「やっぱり、何も話してくれなかった。でも、きっと何か隠している。私たちを信用していないか、言えないのか、どちらなのかはわからないけど」
「そうなんだ……。とにかく、今日はもう寝ようよ、明日も大事なんだし。ルーカスも早くお風呂入ってさ」
「そうね、そうする。ありがとう」
ユーと入れ替わりで風呂に入ったルーカスだったが、数十分後には全員が部屋に集まった。
「さて、明日はどういうものなのかよくわからないけど、とにかく『それらしく振る舞う』ことにしよう。そうすれば、よくわからないけど、アリアも喜んでくれるんだろうと思う」
ルーカスがそう言ったのを最後に、4人は深い眠りについた。
◇◆◇
翌日、ベンは4人の中で1番最初に目を覚まし、真っ暗な朝を迎えた。
「それにしては、やっぱり前世だよな。こうやって窓から外を眺めても、いつ見ても夜みたいだからな……。でもここは他の場所よりも少し明るいから、夕方ぐらいの印象……か」
独りで呟くと、すぐにベッドから立ち上がった。
さて、他の3人はまだ寝てるし、散歩でも行こうか。
彼は1人ゆっくりと家から出た。薄暗い景色の遠くには、水のなくなったケアノス海峡が浮かんでいた。ケアノス海峡は、ここハルセロナの港に寄港する船が必ず通る海峡だ。というのも、ハルセロナの街はケアノス海峡に面している。
ベンはゆっくりと港に向かって歩いていった。港に近付くにつれ、通りを歩く人が多くなっていった。
今ここにいる人々は、この早朝に起きているのであるから、何かしらの仕事で来ているに違いない。荷物を運ぶ男たちを横目に、ベンは港の奥へと進んでいった。
ケアノス海峡が目前に迫った景色に、ベンは圧倒されていた。
「これを後世で見たら、もっと感動するだろうなあ」
対岸には木々が生い茂り、その静寂は止まったような時間を作り出し、くり抜かれたようなケアノス海峡は緩やかに落ち着いた時間を奏で、こちら側では男たちが荷物をせっせと運びメトロノームを動かしている。
ここには3つの時間の流れが併存していた。それでいて、互いを干渉し合わず、むしろ引き立て合っていた。
ベンはふと、船はどうやってここまで来るのだろう、と思った。ケアノス海峡の海底は緩やかで、それほど深くもないため、ここを歩くことも可能ではある。だが、まさか商人たちが歩いているなどということはないだろう。
遠くから船がやってくるのが見えた。目を凝らして見ていると、その船が宙に浮いているということがわかった。なるほど、船はコントロール系魔術によって動かされている、というわけか。
ベンはそれを確かめると、次は来た道をゆっくりと戻り始めた。
帰り道は、もっと周りの風景に意識してみた。商店は開店の準備を進めている。きっと後世では、もっと賑わっているのだろうと、ベンは想像して止まなかった。いつかきっと、すべてが解決した頃に来てみたいと思っていた。
ベンはゆっくりと歩いていたが、港に行くときよりも心持ち早くアリアの家に着いた。彼は扉を開き、2階の部屋に向かった。
部屋に入ると、すでにアオイとユーは起きていた。
「おう、おはよう。ちょっと散歩してたんだ」
心配そうに2人はベンのことを見ていたので、聞かれる前に答えることにした。
「そうだったんだね。どうだった?」ユーだ。
「のどかでいい街だと思う。もしすべてが解決したら、絶対また来たいと思った。本来の姿のケアノス海峡をゆっくりと見てみたい」
ベンは話しながらベッドに腰掛けた。彼の言葉は寂しげに響いた。




