10 エビルの森 ①
4人は真っ暗な洞窟の中を、ただまっすぐ歩いていた。彼女らの足音だけが洞窟中をこだまする。
もうかれこれ数時間は歩いただろうか、4人はほとんど疲れ切っていたが、ここまで来てようやく上部からわずかに差し込む光を見つけた。
「あそこから外に出られそう」とルーカス。
「その前に、ここの洞窟内は安全だし、しばらく休もう」
一同はベンがそう言ったのに同意し、そこでしばらく休むことにした。
「そういえば、食料は確保した?」
ルーカスがベンに尋ねた。
「あ、できてない……」
「まあ私もきっちり言ってなかったけど……。缶詰は……もう無いわね」
ルーカスは小さい声だった。
一方、マリアは先ほどまでよりもずっと回復しているが、それでも完全ではない。早くベール地方に行くことが望まれる。
そのマリアは、アオイと馬が合うようだ。ずっと何かを話している。
一方で、ベンはユーのことを思い出した。
……別に、ユーとそんなに仲が良かったわけでもなかったかもしれない。が、今頃どうしているのだろうか。ルーカスが許可するなら、早くきっちり謝ってもらいたい——
「なあ、ルーカス」
「なに?」
「ユーの奴、どうする?」
「どうするって?」
「探すか?」
「探す……かもね。自分から去っていった人を探せるほど、私たちには余裕がないわ。状況次第ね」
「まあ、そうだよな」
「どうしたの? 急に」
ベンはルーカスに顔を覗き込まれて、いよいよ顔が赤くなったが、暗闇が彼の気持ちを隠していた。
「いや、たまたま思い出して……」
「違うよ。ベンくんはルウのことが大好きで大好きでたまらないから、ずーっとルウのことを考えちゃうんだよ」
突然横からアオイの声がして、ベンはハッとした。
「え? ……アオイはすぐ冗談言うよね」
ルーカスはそう言って艶笑したが、ベンは顔を隠していた。
どうしてコイツはそんなに簡単になんでも言っちゃうんだ……、などと彼は考えていた。
しかし、両隣のルーカスとアオイが話しているのを聞いていると、少しだけアオイを羨ましく思う部分もあった。
「じゃあ、そろそろ行こっか!」
ルーカスは、アオイと話が盛り上がった後は、いつものように極端なほどの冷静さは一時的に失われる。そのギャップにベンは少々気を取られていたが、アオイに肩を叩かれて早く彼女に続くよう催促された。
外に出ると、彼らが思っていたよりも辺りは暗かった。さらに、高い木々が彼女らを睨むように立っていた。
「どうしてこんなに暗いんだ?」
「わからない……」
2人は困惑しながら洞窟から出た。
「ここ、どこかの森じゃないか?」
ベンが続けた。
「ルーカス、とりあえず北へ行けばベール地方に行けるんだよな?」
「うん、そう。だから、コンパスを見ながら……」
ルーカスはそう言いながらコンパスを取り出したが、北を指す向きが揺れていた。
「これじゃあ、どこが北なのかわからない……」
「大丈夫だ、俺も持っている」
ベンはそう言って自分のコンパスを取り出したが、それも同じように針が揺れていた。
「どうなっているんだ、一体……」
「たぶん、私たち——」
マリアがか弱い声を出した。
「エビルの森にいます」
「……どこだ、それは」
3人とも全く理解していなかった。
「エビルの森は、ウラノン地方の東側に位置する森です。どこの地方にも属しません。そこに行った人は誰も帰ってこない、とも言われています」
「……マリア、つまり、俺たちはかなり危険な場所にいるってことか?」
「そういうことですね……」
ベンが先ほどの洞窟の入り口を指しながら言った。
「でも、俺たちはまだ戻ることができる」
「確かに。でも、戻ってどうするの?」とルーカス。
「別のルートからベール地方に行くんだよ」
「ありね」
ルーカスが同意して戻ろうとしたとき、アオイがルーカスの袖を掴んだ。
「待って、今、あっちに誰かいた」
アオイは森の奥を顎で示しながら言った。
「誰か? 一体誰が?」
「わからない。でも、確かに誰かがあそこにいた。そして、こちらをしばらく見た後、奥に消えていった」
「俺たちがいることに気が付いたかもしれない。それなら、逃げ場のない洞窟に入ってはなおさら危険だろうな」
4人はしばらくアオイの指した方を見ていたが、とうとうルーカスは決心した。
「わかった、この森には何かあるんだわ。そして、私たちはここに来てしまったのではなく、来るように仕向けられた。そう考えましょう」
ルーカスはそう言うと、アオイの指す方向に向かって歩き出した。他の3人が続く。
◇◆◇
洞窟の入り口から離れるにつれて、森は一層暗くなっていった。そして、足元には倒木が何本も倒れていた。
どこからともなく葉が擦れる音がするが、それは自分たちが歩いているからなのか、それともほんのわずかな空気の流れのせいなのか、あるいは誰かがいるのか、全くわからなかった。耳に四方八方からの音が突き刺さる。
すぐにでも敵に攻撃されそうな危険を感じながら、森の中を歩き進めた。
前世では風がほとんど吹かない。しかし、ここは他より気温が低いため、多少風が吹くようだ。
しばらく進むと、円形の開けた場所が見えてきた。その中央に、小さな湖がある。
4人は木々に隠れながら周りの様子を観察していたが、誰の気配もしなかったので、とうとう湖に近付いた。
「この水、一体どこから……」
ルーカスが呟くと、アオイが横に並んだ。
「アテール……?」
「……マージがいるってこと?」
ルーカスは咄嗟に辺りを見回した。しかし、葉がざわついているだけで、それ以外変わった点は見られなかった。
「もしここにマージがいたとして、それは誰だと思う?」
ベンに対して、マリアが答えた。
「それはわかりません。第一、さっきも言ったように、このエビルの森自体がどこの地域にも属しないので……」
「しかし、もし誰かがいて、生きているとしたら、たまたま生き残っていた人、あるいは、かなりやばい奴、ってことになるな」
ベンはため息をついた。
「洞窟の中で休んできてよかったね……」
アオイがそう言ってその場に座ろうとしたそのとき、後ろから誰かが歩いて来る気配がした。
「誰?」
アオイは振り返って叫んだが、誰の姿も見当たらない。
「どうした、アオイ? 誰もいないじゃないか。まだ疲れているか?」
ベンはそう言ったが、アオイが素直にそれを聞き入れることはなかった。
「いや、絶対誰かいる。私たちを監視している」
アオイは目つきを変えて周りを見渡した。
しかし、やはり何も変わったことがない。だからこそ、4人は迫り来る危険に気付いていないのだ。
アオイは何者かに見られている感覚を覚えながらも、それがどこからなのか、また誰なのかがわかっていない。ルーカスとマリアは何かを話しているし、ベンは眠たそうにしている。
そんな中、アオイだけは危険に気が付いていた。
「みんな、この湖から、ゆっくり離れよう。私たちが悪いことをしに来たわけじゃないことを示すの」
「アオイ、何を言っているの? さっきから誰もいないじゃない」
ルーカスはアオイの表情を見て不審そうな顔をしていた。
しかし、彼女はすぐに血相を変えて黙った。何かを感じ取ったからだ。
「いや、いるわ。それも、とても近くに」
ルーカスはそう言って首を左右に回し、今度は湖の上を見上げた。
「やあ、気付かれちゃったか」
そこには黒いローブを羽織った若い男がいた。湖の上で、まるで翼があるかのように浮いている。
「誰!?」
4人は身構えた。
「いやいや、そんなに怖がらないでほしいな。なんせ、僕は戦いたい人じゃないし、そもそも戦う理由もないしね」
「なら私たちを監視していただけと言いたいの?」
ルーカスが問いただした。
「そうだね、そういうことだ」
「……あなたは誰? どうして私たちの動きを監視しているの?」
「僕はレン・オレイン。現代魔法研究所の広域監視をしているのさ」
「現代魔法研究所……。なら、あなたには聞きたいことがたくさんあるわ」
「ああ、そうだろうな。それに、君たちはこれを探しているんだろう?」
そう言うと、レンは1冊の本を見せた。
「その本は、もしかして——」
ルーカス、アオイ、ベンは、その本を見て驚きを隠せなかった。ラムから見せらられた偽物の魔法創世記とは、似ても似つかぬ表紙だ。
「本物の魔法創世記だよ」
「どうしてあなたがそれを持っているの?」
ルーカスは身体の緊張を強めた。
「なんでだと思う? 以前ここの森に来たときに、偶然にも落ちていたのを見つけたんだよ」
レンは苦笑した。
「本当に偶然だった。広域監視でここに来たとき、見つけたんだ。まあ、ここが昔のアーム教の聖地だったんだから、おかしな話でもないんだけどな」
「ここがアーム教の聖地……。私たちはグレート・トレンブルが起こった理由を知りたいし、それを知るための一端として、魔法創世記が歴史的な観点からの一助となると思っている。だから、それがほしい。見てみたい」
ルーカスは彼にはっきりと伝えた。
「だろうね。わかっていたよ。ほら」
レンはそう言うと、ゆっくりと地面に降りてきて、ルーカスに魔法創世記を手渡した。
「……何が必要?」
「何も必要じゃないさ」
「なら、どうしてこんなにあっさりとこの本をくれるの?」
「僕にとって、それは全く価値のないものだからさ。僕は単純にこっちの世界の監視をしているだけ。だから、そんなものに興味はない」
「そうなの、ありがとう。受け取っておくわ」
「それより、君たちはどうしてこうまでして後世に行きたいんだ? ……いや、むしろ前世を出たい、と言った方が適切かな?」
「私たちはこの前世の世界がそう長くは持たないだろうと思っている。だから、一刻も早く後世に行く……戻る方法を見つけたいの」
「なるほど、それはいい考えだ。しかし、少し違うな」
レンは頷きながら言った。
「こっちの世界は、たぶんそう簡単には終わらない」
「どういうこと? あなたも知っているでしょう? 地方では作物が獲れず、水さえ底をついている。長くはないことは目に見えているわ」
「本当は君たちも気付いているんだろう? 魔法の恩恵を受けているのは、他でもない、オームだってことを」
「まさか……」
ルーカスは1歩引いた。それに合わせてレンは1歩彼女に近付いた。そして目を見開いて言った。
「そうさ、マージはこっちの世界でも十分やっていくことができるんだよ。オームの口を閉じれば、なんの問題もないのさ」
「……わかった、わかったわ」
ルーカスは少々怯えていたが、さらにレンから離れると本を開いた。
「それで、この魔法創世記には何が書いているの? 言語が理解できないわ」
「ああ、そうだろうな。僕が教えてあげよう」
レンは続けた。
「そこに書かれていることは、大きく分けて2つ。1つは、魔法の誕生についてだ。そして2つ目は、不老不死の魔法についてだ」
「不老不死の魔法?」
「ああ、そうだ。とにかく、順を追って説明しよう」
レンは語り始めた。




