9 ウラノン城(二) ①
ルーカスはかすかな水の音で目覚めた。
真っ暗だ。何も見えない。下には何か冷たいものがある。濡れた岩か。しかし、牢というには暗すぎる。第一、殺されるはずだったのに、どうしてこんな場所にいるんだろう。……それとも、これはもうあの世の夢だろうか。
次第に意識がはっきりしてくると、周りに誰かがいることに気が付いた。誰かはわからない。少し遠くからだが、話し声が聞こえる。
あちこちで声が響いていて、どこにその声の主がいるのか正確にはわからない。それほど近くではないことはわかる。
さらに意識がはっきりしてくると、彼女にはそれが誰の声だか容易にわかった。
「ベン、どこにいるの?」
「しっ、静かに。まだ寝てろ」
暗くて彼の姿はよく見えないし、どこにいるのかもわからなかった。
「ルウ、起きたのね。よかった」
アオイの声だ。
「ねぇ、アオイ。ここはどこ? 手の傷もないし」
「ここは王がいる建物の地下。……地下とは言っても、地下と地上との間の空間だけど。あ、それと、手の傷は直したわ。ほんの少しだけ毒があったから、それも念のため抜いておいた」
「え、どうしてそんなところにいるの? 2人とも捕まったんじゃ……」
「うん、捕まった。1度はね。けど、ある看守が私たちを解放してくれたんだ」
「解放? そんなことありえないわ」
「けど、実際ありえたの」
「それで、その看守は今どこにいるの?」
何者かの足音が頭上のどこかから響いてきた。3人は咄嗟に息を潜めた。
しばらくして足音が過ぎ去ったのを確認し、またアオイは口を開いた。
「今は、彼は元の場所に戻っているわ」
「ここまで連れてきてもらったんだ」
ベンが続けた。
「どういうこと?」
「いろいろあったんだが、結局は奴もここの王のことをいいように思っていないことがわかった。だから手伝ってくれたんだ」
「じゃあ、どうして私を助けられたの?」
「それは、……たまたま通りかかった」
「ふーん。で、これからどうする予定?」
「まずは、ここから王のいる場所まで行くのが先決。それは私たちだけで行くから、ルウはここで休んでいて」
「ダメよ、私も行かないと。それに、そもそも私のせいでここにいるのに……」
「ルーカスのせいじゃない。ユーのせいだ」
ちょっと、とルーカスは言いかけそうになったが、やめておいた。とにかく、今は安全にここから帰ることが優先だと思ったからだ。
「もうすぐしたら、私たちは行くから。ちょうど、ここの建物の入り口の兵士の入れ替えが行われるタイミングよ。私たちはそのタイミングで行く。……それから、私たちが帰ってくる保証はどこにもない。もし、2時間経っても私たちが帰ってこなったら、ルウはここから逃げて。ルウだけでも助かってほしい」
「そうだ。この城を出て、なんとかしてアールベストに戻るんだ。そうすれば、足は戻らなくてもしばらく生きていくことはできるだろう」
「ちょっと待って」
ルーカスは見えない2人を呼び止めるように言った。
「それは、やだ。……2人とも帰ってこないなんてことあったら、きっと私もここで死ぬ……」
ルーカスは思わず涙をこぼしそうになっていた。
「ダメ。誰かはダランに戻って、この現状を伝えないと」
「そうだ。……きっと戻ってくるさ。もう行くからな。……ルーカス、2時間後に、また会おう」
「えっ。……絶対、戻ってきてね」
「わかってる。絶対にな」
物音から、暗闇に紛れるベンが近付いてくるのがわかった。その直後、ルーカスは彼に軽く抱かれ、一瞬頭が真っ白になった。しかし彼はすぐに離れ、暗闇の中を遠ざかっていった。
見えない彼を見つめようとするルーカスは、まるで懸命に暗闇の中の希望を見つけようとしているかのような瞳をしていた。しかし、もちろん2人にそれは見えなかった。
それから数分後、また声がした。アオイの別れの声だ。
「じゃあ、行ってくるからね」
ルーカスは、うん、とだけ告げ、ベンは何も言わないまま、暗闇に向かって別れを遂げた。
真っ暗な中、彼女は誰もいない中で、ただ1人、彼女らを待つことになった。
それにしては、一体、どうやって、2人は自分を助けてくれたのであろうか……。彼女の頭の中はそれでいっぱいだった。
アオイとベンは鉄製のマンホールに手をかけていた。
「いいか? 行くぞ」
「うん。早く帰ってこよう」
マンホールをそっと開けた。兵士たちが歩いているのが見える。ちょうど、通路の端っこに位置するのだが、それ以上開けると気付かれそうだった。
「なかなかいいタイミングがないな」
「うーん、そうだ」
アオイは1度暗闇に姿を消したが、すぐにどこかから小さな石を拾って戻ってきた。
「これを向こうに投げて、気を逸らすの。古い方法だけど、効果はあると思う」
そう言うと、アオイは石をずっと遠くの方に向かって投げた。カラン、カラン、という音が廊下中に響き渡った。それに気が付いた兵士たちが、石に走り寄った。
「今よ」
2人は静かにマンホールから出て、急いで柱の陰に身を隠した。
兵士たちは石の周りに集まり、辺りを警戒している。
「とりあえず、地下からは出られたね」
「けど、ここからどうやって向こうまで行くかだな」
アオイとベンは顔を見合わせ考えた。
「そうだ、いい考えがある」
ベンはそう言うと、小さな炎を手の上に作った。
「ちょっと、何するの?」
「いいから見てろって」
ベンは手の上の炎を、廊下の端に並べられていたランタンに灯した。すぐに炎が大きく燃え上がった。
「火事だ! 侵入者か!」
兵士たちが騒がしく消火しに集まってきた。しかし、もちろんそれは魔法の炎であるから、簡単には消えない。その隙に、アオイ、ベンはさらに奥へと入っていった。
途中で、アオイがベンに尋ねた。
「ねえ、さっき、どうしてルウに嘘ついたの? ベンくんが自分でルウを探しにいったのに」
「そんなこと、言うわけないだろ。たまたま見つけたってことにしておくんだよ」
アオイはしばらくして、また尋ねた。
「ベンくん、ルウのこと好きでしょ?」
「は? ……そんなこと、ない……。ほら、集中するぞ」
「嘘。わかるよ」
アオイがベンの顔を覗き込んだ。
「で、なんでもいいけど、この先どうしようかな」
ベンが続けようとしたとき、兵士たちの中から先ほどまでの兵士たちとは全く違い、ローブを羽織った女が現れた。
アオイとベンは咄嗟に柱に隠れた。
「……あいつ、マージだな。見るからに違うし、兵士たちが、ほら、みんな頭を下げている」
先ほどまで騒いでいた兵士たちがその女の方を見て頭を下げ、1人の兵士が前に出て彼女に事情を説明した。
「そうか、ご苦労。ここからは私が処理する。王も、侵入者たちを殺すことに同意している。見つけたら即座に私に連絡せよ」
女は兵士にそう告げると、辺りを見回して叫んだ。
「ほら、出てこい。何が目的かは知らないが、私が相手をしてやろう」
金切り声のような、耳が嫌う声だった。
アオイとベンはその場から動かなかった。
「行くなよ、アオイ。あいつはまだ俺たちがここにいることに気が付いていないはずだ。ここでやり過ごそう」
しかし、女は全くその場から動かなかった。
「ここの近くにいることはわかっている。今すぐ出てくるのだ。そうでなければ、ここら一帶を丸ごと消し去ってもいいのだからな」
「待ってください、シャファ様。それは……」
「黙っていろ」
シャファと呼ばれた女が鋭い目線で睨みつけ、兵士は頭を下げて引き下がった。
「まずそうね。先に攻撃しかけた方がいいかもね」
「まだダメだ。あいつがどれほど強いのかわからない現状、安易に出て行くことはできない」
「でも、この辺すべて消すって……」
「……それでも、もう少し様子を見てみよう。俺たちは戦いたいわけじゃない。何もせず帰れるなら、それが一番だ」
2人は柱の陰にしばらく隠れていたが、シャファはそこから動こうとしなかった。
「出てこないのか? あと十秒だけなら待ってやる。大人しく出てくるなら今だぞ」
「やってしまった方がいいかも……」
「そんなことはない。もしここら一帯を一掃してくれるなら、それはそれでこっちとしたらメリットだ」
シャファはカウントダウンをしていたが、あと2秒と言ったところで兵士のうちの1人が言った。
「シャファ様、やはりそんな滅多なことはやめた方がよいかと……」
しかし、最後まで言い切る前に、彼女は魔法でその兵士のいる空間をそのまま消し去った。
「見ろよ、空間系魔術だ。厄介だ」
ベンがそう呟いた直後、シャファが叫んだ。
「どこにいる! 出てこなかったな、残念な侵入者ども!」
叫び声に合わせ、薄く青みがかった半球状の空間が広がってきた。兵士たちが必死でその空間から出ようと走るが、全く速さが追いついていなかった。
アオイとベンも、それを見て危険を察知し、柱から飛び出し空間から出ようと走った。
「やばい! これはやばい気がする! 走れ!」
ベンが叫ぶのに合わせてアオイも走り出した。
「おや、お前たち、そんなところにいたのか。だが、この私の空間から逃れることはできるまい。……消えてしまえ!」
ぎりぎり空間の外に出られるかどうかという危険なところで、アオイとベンは、飛んできた岩のようなものに背中を押され、弾かれるように空間の外に出た。
直後、後ろから聞こえていた叫び声がいきなり止まった。
何事かと思って2人は振り返ったが、そこにはこの女以外、誰もいなかった。柱や壁や床の一部は綺麗に消え去り、まるで最初から何もなかったかのようになっていた。
2人がまるで完全に変わってしまった状況を眺めていると、偶然にも岩を動かした主を発見した。ルーカスが壁と床の隙間からこちらを見ており、その顔は笑顔だった。
アオイ、ベンそれに笑みを返したいというのが本心だったが、状況が状況のため、一刻も早く王のいる場所に辿り着くため城の内部へと駆け出した。
シャファは離れていく2人を追ってこなかった。追えなかったのだ。
空間系魔術の高等魔法は血を大量に消費する。したがって、魔法を連続して繰り出すことはできないし、魔法の規模によっては走って追いかけることもままならない。
「よかった、ただの短気な奴で」
「ね。運良く中に入れた」
2人はまた暗い廊下へと入った。




