8 ウラノン城(一) ⑤
ルーカスは捕まることは逃れたものの、痛む右腕を押さえながら螺旋状の階段を登っていた。
しばらくすると、広い踊り場に行き着いた。階段はさらに上に続いているが、横のパラス側に続く廊下に出ることもできる。
ルーカスは、そっと、続く階段を覗いてみたが、そこには誰もいなかった。
続いて廊下側を覗き込んでみると、すぐ目の前に、彼女の反対側を向いた2人の兵士がいた。
今2人を相手にするのはちょっと大変ね……。ルーカスはそう思い、しばらくそこから2人の様子を伺ってみることにした。
「なあ、俺たちいつになったらここの勤務終わるんだろうな」
「確かに。前世に落ちてきたんだから、むしろ解雇でもよくね? 敵なんてそんなにたくさんいないだろ。今も1人だけここで這いまわっているらしいけど、それも時間の問題だろうしな」
それ、私ですよ、などとルーカスは思っていたが、無論口には出さなかった。
「そうだよな。俺たち、ここにいる意味あんまりないよな。それより、家族がどうなっているか確認したい」
「そのくせ、王は宴ばっかり。食料が減ってきていることが目に見えてるんだよ」
「本当それだ。ここ数ヶ月、給料もロクにないしな」
ルーカスは、この城の中で問題が起こっていることに気が付いた。前世に落ちてきて皆が大変な生活を送っているのに、王はそれを全く気にかけていないらしい。
……上手くいけば、兵士たちを自分たちのものにできる――
ルーカスはよろよろと陰から歩み出た。足音に気が付いた兵士たちは、即座に振り返った。
「あ、貴様! 侵入者か!」
「待って待って、私はあなたたちと戦うつもりはないわ。それに、あなたたちだって、いろいろ不満を抱えているんでしょ?」
兵士は顔を見合わせ、しかしまたルーカスの方を向いて言った。
「全く信用ならないな」
「私は本当に戦う気がない。片足を失い、片手を怪我しているのよ。勝てっこないわ」
勝てるけど、と内心思っていたことは、ここでも無論口には出さなかった。
「確かに……。ならば何をしに来た?」
「あなたたちのカウンセラーになろうかと思って」
「何を言っている?」
「今の話、少しだけ聞いていたわ。あなたたち、不満があるんでしょ? 解決できなくもないかもよ?」
「どうやって?」
「……一緒に王に説得する?」
彼女は首を傾げたが、兵士の様子は全く変わらなかった。
「バカか。王のところになど近付けない。玉座を見るなど不可能だ」
「どうして?」
「マージが囲っている。戦って勝てる数じゃない」
「でも、あなたたちはさっき、食料が不足している、って言ってたよね? そのマージたちも、生きることに苦労してるんじゃないの?」
「それはオームの兵士の分だ。マージの兵士の食料は別に用意されている」
「あー、なるほど、わかった」
ルーカスは目を背け、呆れた表情をした。
「ちなみに言っておくと、私もマージ。だから、もしかすると、そのマージの兵士たちに勝てるかもしれない」
「やめておけ、お前のようにチビの子どもには無謀だ」
「は?」
一瞬は声を荒げたものの、すぐに彼女は上辺だけ平静を取り戻した。
「あら、侵入者に対して優しいのね。今2人で襲ってきたら、私をほぼ確実に殺せるというのに」
「……確かにそうだろう。しかし、俺たちも好きでここにいるわけじゃない。しばらく故郷で暮らしたい。……こっちにあるのかは知らないが」
「なら、簡単じゃない。出て行けばいいのよ、この城から」
「できるはずがない」
ルーカスはため息をついた。
「あなたたちって、ネガティブね。出て行けるかもしれないのに」
「それとも、作戦があるのか?」
「なくはないわ。私がしばらくここでマージの兵士の注意を引きつける。あなたたちはその隙に出て行けばいい」
2人の兵士は顔を見合わせた。いけそうだと思ったのだろう。しかし、すぐルーカスの方を厳しい顔で見返した。
「信用ならないかしら? そんなことないわ。すぐ始めてあげるから。……その代わり、1つ教えて。玉座の間には何がある?」
「何って、玉座がある」
「そんなことはわかっているわ。他には? たとえば、金の燭台とか」
「俺たちは新米だから、実際に王の部屋に行ったことはない。けど、金でできた珍しい装飾の燭台がどこかにあるとは聞いたことがある」
「じゃあもう1つだけ。玉座の間はどこ?」
「それもはっきりはわからないが、地下ではない。地下には犯罪者がいるからな」
「わかったわ、ありがとう。……城から出るときは、抜け駆けしないようにね。みんなで故郷を楽しんで」
2人の兵士は唖然としていたが、ルーカスはすでに2人が持っていた槍に手を添えていた。
「ほら、早く行って」
ルーカスに言われるがままに、兵士たちは螺旋階段を駆けるように下りていった。
ルーカスは窓から城を見回した。
どこにあるんだろう……。
ルーカスはより周囲が詳しく見えるように、さらに上階へと登っていった。
次の階には誰もいなかった。人員不足なのだろうか。
その階の廊下の窓からまた辺りを見回した。
私が王なら、あそこに部屋を作る。けど、ここの王はそんな素直そうじゃないから、わからない。……私のいるこの建物には、構造から察するに確実にいない……、などと想像を繰り広げていた。
ルーカスは廊下を端から端まで歩いた。しかし、全く人の気配を感じなかった。
「やっぱり変。私がここにいることはすでに城中に周知されているだろうに、誰もここにいないなんて。……または、罠に嵌められたか」
ルーカスがこの建物から出るために階段に向かったとき、すべてを悟った。
「出てきなさい。誰かは知らないけど、さっきから私のことを監視しているよね」
「気付かれたか。……まあいい。侵入者よ、ここで我によって殺される運命にあるんだ。覚悟はできているか?」
「殺される? そんなはずはないわ」
「お前はもう拘束されることはない。楽しみすぎたんだ。だからお前は死ぬんだよ、ここで」
そう言いながら、1人の男が階段前の部屋から歩み出てきた。体格がよく、いかにも兵士と言わんばかりの男だ。色黒で、鋭い目つきをしている。
「女だろうと、片足を失っていても、容赦はしない。それが俺の戦い方だ。なぜなら、手加減とは侮辱を意味するからな」
男は足音をうるさく立ててルーカスに歩み寄ってきた。
「待って、ちょっと雑談しましょう。どうして私が片足を失っているか、わかる?」
彼女は、戦えば勝てると思っていたが、実際のところ、今は誰とも戦いたくなかった。疲労を感じており、なんとか戦わない方法を模索していた。
しかし、男は全く興味を示さなかった。
「今更命乞いか? それは甘いな。命乞いをしたいのなら、もっと早くにしておくべきだったな。今となってはもう遅い。俺と出会ってからはもっと遅い」
男は歩みを止めず、彼女に近付いてきた。
男がいきなり飛び出してきた。いや、飛び出してきたのではなく、ルーカスとの間の空間を切って目の前に瞬間移動したのだ。想定外に動作が速かった。
そして、それを理解する方が早かったか、男は彼女の鳩尾に深い一撃を加えた。
「うっ……」
声にもならない痛みがルーカスを襲った。
男はさらにルーカスの周りを歩きながら、次の一手を模索していた。
彼女はその場にしゃがみ込んでしまった。隙があるどこか、防御体制を全く取れていない。
男は表情を変えることなく、ただ次の一手を考えていた。
「もう1発、やってやろうか」
そう言った男は、ルーカスの上体を後ろに押し倒し、腹部を踏みつけた。
彼女は意識が朦朧としていた。
その後もさらに何度も踏みつけられていたが、彼女はもう意識の外だった。




