8 ウラノン城(一) ④
アオイとベンは静かに守衛の様子を伺っていた。何か弱みを握ろうと思っていたのだ。しかし、すぐにそんなことがわかるはずもなく、しばらく無益な時間が過ぎていった。
「見ている感じだと、1人の守衛がこの廊下を監視する時間はおよそ2時間。しかし、ほとんど向こう側に立っているだけで、他の守衛を何と話しているのかが聞こえないし、何をしているのかもよく見えないな」
ベンの解説に、アオイは小さく頷いた。
「こっちに来させるか?」
「ここのお城、きっと古いよね」
「なんだよ、いきなり」
彼女の唐突な言葉に、ベンは戸惑った。
「一度前世に落ちてきたお城で、きっとここは地下。けど、そんなに深くは沈んでいないはず」
「つまり?」
「ここから出るには、鍵を開けてもらわなくても、自力で外に脱出する方法があるかもしれない……」
「待てよ。名案だが、それはできない」
「どうして?」
「ルーカスが中にいるじゃないか」
「いるわ。でも、また中に入ってこればいいじゃない。そもそも、この城の城壁の外がどうなっているのか、私たちはあのとき見た程度でしか知らないのよ」
アオイは静かに、そして目を細くして言った。
「ああ、確かにそうだ。でも、この城がどのような場所にあって、どんな形なのかも知らないのに、安易に出ることが困難だということは事実だ」
「でも、とにかく私たちが一度ここから出ないとどうしようもない……」
「……アオイ、こんな狭いところに閉じ込められて、気がおかしくなっているぞ。しばらく休め」
ベンの鋭い視線の意味を理解し、アオイは牢の奥で座り込んだ。
その間も、ベンはひたすら守衛の様子を伺っていた。
しばらく沈黙が続いてから、ベンはアオイに告げた。
「よし、外出準備だ。なんとかなるかもしれない」
「え? そうなの? どうやって?」
「話は後だ。今すぐ脱獄計画を実行する」
ベンはそう言うと、石の床を叩いて、守衛がこちらに来るように誘った。すぐに守衛は彼の異変に気が付き、こちらに歩いてきた。
「どうした? 何か用か?」
「ああ、用だ。それも、とびきり面白いな」
「面白い? おちょくるなよ」
守衛は、こちらに来るときは鍵を手に持っていたが、ベンたちの前に来ると、ズボンのポケットの奥深くに入れた。
「それで、何の用だ? 簡潔に言えよ」
「ここの兵士さんって、誰のために働いているんだ?」
「王様のために決まっているんだろ。そんなこともわからないのか」
「ああ、わからないな。どうしてそんな血縁関係もないような奴のために命捧げて城を守っているんだ?」
「は? お前は何を言っている? 血縁関係なんぞなくても、王を守るのが俺たちの役目だ」
「へえ。そんなこと言ってるけど、ちょっぴり王に対する不満もあるんじゃないのか?」
ベンは、守衛が、秘密がバレたような驚きをしたのを見逃さなかった。
「たとえば、家族を置いてきたとか。……置いてきたのではなくて、置いてくるよう仕向けられたとか?」
「な、何を言っている? やはりお前はよくわからない奴だ。ここで殺してやってもいいんだからな。軽率なことは言うんじゃない」
「図星のようだな。何があったんだ? 俺が話を聞いてやる」
「だから、貴様は一体何を言っているんだ。俺には何も理解できない」
男はベンの言うことには全く耳を傾けないようでいたが、彼の観察結果は間違ってはいないようだった。
「ほら、周りには誰もいないぞ。今こそ話を聞くから。ここで雇われるまで、何があった?」
男は周りに誰もいないことを確かめてから、渋々語り出した。
「俺が来る少し前までは、ここの城で雇われているのは、皆オームだった。しかし、グレート・トレンブルの後、王はこの城を強固にする必要があるとか言い始めて、マージのリクルートを始めた。それまで上級兵士として働いていたオームたちも、全員マージに取って代わられた」
「ほう。それで、あんたもその一員だったんだな」
「ああ、そうだ。それは俺にとっては本当に不満のあるものだったし、実際、仲間の何人もが不平を漏らしていた」
「それで、その後の雇用は?」
「下級兵士として働くよう命じられた者は、ここに泊まり込みで働くよう命令さられたんだ。何人かはそれに従わず故郷に帰る者もいたが、そういうことをする者たちは皆マージによって殺された……家族も一緒にな。それで、俺は家族が殺されることはまっぴらだから、今もここに残っているってわけさ」
「あんたの話によると、ここの城の中には、マージの兵士がたくさんいるということか」
「全くそのとおりだ。マージが雇われるようになってから、そのほとんどは王の側近となり、俺たちオームは城郭の警備に当たった。だから、俺自身もほとんどマージの兵を見たことはない」
「それで、あんたはマージを憎んでいるのか」
兵士は一瞬顔を曇らせたが、またすぐにベンの方を向いて語り出した。
「いや、俺はマージを憎んではいない。俺は、昔、マージに助けられたことがあるからな」
「そうなのか」
兵士はもう1度周囲を見回して他に誰もいないことを確認すると、ベンの前に座り込んだ。
「俺がこの城に来た頃だった。休暇中で城の周りを散歩していると、大きな虎のような魔物が現れたんだ。俺はそのとき休暇中で、何の武器も持っていなかった。だから、俺はもう終わりだと思った。しかし、そこに彼が来た。彼は何も言わずその魔物を追い払うと、そのまま立ち去ろうとした。俺はそのとき彼を呼び止め、名を尋ねた。すると、彼はイールスと名乗った。彼は、ただ近くを通りかかっただけだと言っていた。しかし、彼の装備を見ると、とてもそういうふうには見えなかったんだがな。それまでマージはオームを卑下するクズばっかりだと思っていたけど、彼に会ってからはそういう優しいマージもいるんだと心が変わった」
「イールスって奴に助けられたのか。なるほどな」
「彼の名をそう簡単に口にするのではない」
兵士は彼を睨みつけたが、ベンは躱すようにして告げた。
「それがだな、そういうわけでもないんだよ」
彼は立ち上がった。
「俺たちと一緒にここに来た1人の女の子がよ、そのイールスの娘なんだ。彼女もイールスのように、オームやマージなど関係なく優しい心で接する。ここから出してくれたら、あんたらの不満も解消するようにできるはずだ」
兵士は一瞬目を大きく開けたが、すぐにまた我を取り戻したかのように低い声で言った。
「そんな冗談はやめてくれ。そもそも、その女が彼の娘だとわからない。証明はできるのか?」
「それは彼女に会わないとわからない。しかし、俺たちはそのイールス学長の元で育ってきた。このローブがその証だ」
ベンは自分のローブを見せた。
「汚れていてわかりにくいかもしれないが、こういうことだ」
「嘘か本当かわからないが……約束しろ。俺たちオームの兵士の境遇が改善されると」
「確かに」
兵士は周りを注意深く確認し、ベンとアオイがいる部屋の鍵を開け、続けて腕輪も素早く外した。
「付いてこい。ここは城の地下だ。足音が地上よりもはるかに遠くまで響くから、いつも以上に注意深く歩くんだ」
「わかってる。それより、どこに行くのか教えてくれよ」
「……すぐにわかる」
ベンは兵士に連れられるがままに足音を殺しながら歩いた。アオイは無言のまま2人の後を追った。




