24 ダラン総合魔法学校(二) ④
ベルの話によると、ルーカスがグレート・トレンブルを逆向きに発動することに、すでに賛同している生徒が多数いるという。さらに、協力してくれるというところまで話が進んでいるのだとか。
「いつ行う?」
「明日でどうですか? 早い方が気分が楽ですし」
「もちろん」
「ところで……」
ルーカスはため息をついた。
「今回の魔法は、コントロール系魔術であって、コントロール系魔術をそれそうに扱える人であれば、誰でも発動できるはず。それが、どうして私に?」
「いい質問だ。……まずは紅茶を」
ベルは総合指揮官室の横にある給湯室から紅茶を持ってくると、テーブルに並べた。
「ルーカス、君の言うとおり、この魔法はコントロール系魔術の一種。したがって、それだけ聞くと、誰でも使えるような気がする。ただし……」
彼は一口だけ紅茶を飲んだ。カップがソーサーに置かれたときのコンという音が、部屋の中を印象的に響き渡った。
「この魔法を使うには、とても多くの血液を必要とすることはわかっただろう。だが、その血液を誰が分け持つか」
「賛同者が必要だということか」
ベンが言ったことに、ベルは静かに頷いた。
「私の兄、モーリスは、その血液をカクリス魔法学校の地下牢の人々から調達した。もちろん賛同者でも何でもなかったが、カクリスや現代魔法研究所からすれば、1番扱いやすい人間たちだったからな」
「あの広い地下構造は、負の意味で活躍したということですか」
ルーカスは紅茶を飲むと、カップを勢いよくソーサーに戻した。
ベルが「そういうことだ」と言う頃には、彼女はハンカチで口元を拭いていた。
「昔、カクリスに捕まったここの教員がいたらしい。今頃は年老いていて、その人だとわからないだろうし、生きているのかもわからない。……こっちに地下構造の情報を流してもらっていたところ、カクリスに気付かれたようだった」
「それはいつ頃の話ですか?」とルーカス。
「前ロマンス時代の初期の頃だ。当時その教員は30歳半ば程度で、今頃は70歳か80歳だろうな。死んでいてもおかしくない」
「女性ですかね? もしそうであれば、お会いしたかもしれません」
ルーカスは、地下牢で話した老婆のことを思い出していた。
「そうなのか?」
「ええ。名前は聞きませんでしたけど、ダランに情報を流していたらバレたとかで、死ぬまで牢だろうと言っていました。……随分と弱々しい声でした」
「なるほどな。本当にそのときの教員なのかはわからないが、きっとその女性も血を使われたんだろうな」
閉められたカーテンの隙間から見える外の景色は、朝の眩しい陽の光に照らされ、あえかに美しかった。
「ところで、今回魔法を発動したとして、うまくいくという確信はあるのですか?」
ルーカスは甚だ疑問に思っていたことをベルに打ち明けた。そろそろランチを食べたい時分だったが、これを聞かずにはうかうかと食べてなどいられないと思った。
「確信はない」
「なら、どうして?」
「やるしかないからだ」
「その不確かな情報で、生徒に頼み事をするということですか……」
ベルは首を横に振りながら俯いた。仕方がないんだ、と言いたげな仕草だ。
「今回は、いつまで待っても確信にはならないからな。少なくとも、モーリスは逆向きに発動することは想定されていないと言っていた」
「本当ですか……」
ベルの話を聞いただけで疲れてきたルーカスだった。
「だが、あれ以来、私もぼうっと過ごしてきたわけじゃない」
彼は、これを見てくれと言いながら、部屋の奥のデスクから何やら大きな紙を持ってきた。黒字に加え、赤や青のペンで注意書きも施されている。
「これは?」紙を手にしたルーカスは、少し眺めてから言った。
「私の家に残っていた、モーリスのメモだ。彼の部屋で見つけた。隅々まで見てわかってきたが、どうやらグレート・トレンブルの起こし方らしい」
確かに、魔力の向きや他人からの血の供給方法が書かれている。ベルが言うには、最後にフォトンで地面を動かすときの魔力の向きを、記載とは反対側にすればできるのではないか、とのことだった。
「微妙に詰めが甘いな。ルーカス、やらなくてもいいと思う」
ベンが斜め前からルーカスに告げた。だが、彼女の答えは決まっている。
「ありがとう。でも、やる」
「無理するなよ」
「大丈夫。使命感でも義務感でもないから」
わずかに震えていた彼女の手を、右隣に座っていたアオイが優しく包んだ。
総合指揮官室から出た彼女らは、前世に落ちた食堂の半分もない程度の大きさの新食堂で昼食をとり、すぐに帰宅することとした。コントロール系魔術を使うエマはアープでリラに戻り、ベンはヘイリーが紹介してくれた前世に残っている学生寮の空き部屋に1泊することとなった。
魔法の発動期日は明日。ルーカスは、食堂で話したたわいない会話の記憶をローブの内ポケットに入れていた手帳に書き留めながら、ゆっくりと歩みを進めた。
別れ際、ベンがルーカスに家まで送ると提案したが、彼女は「ありがとう、でも大丈夫。私にはアオイがいるから」などと言い、やんわりと断っていた。このことも手帳に書くかどうか少しばかり考えたが、後から見返したときに恥ずかしくなるだろうと思い、結局書かないことにした。
「ルウ、その手帳は?」
一緒に帰っていたアオイが手帳を不思議そうに見ていた。
「この前、シーナがまだ家にいる頃に日記をつけていたのを見つけて、私も同じことをしてみようと思ったの」
「それはいいね」アオイは嫣然と笑っていた。
「新しい世界が始まろうとしているんだし、いい機会だと思って」
ルーカスも笑顔を返した。
だが、手帳が手から滑り落ち、冷たい音を立てて地面でうつ伏せになった。
「あっ、せっかくの新しい手帳なのに……」
彼女はゆっくりと拾い上げると、手帳の表紙に付着した土を手で忙しく払い落とした。
アオイはその様子を見て艶笑していたが、その顔は陰になっておりあまりにも暗かった。




