24 ダラン総合魔法学校(二) ①
またゆっくりと毎日が過ぎていき、ある日のことだった。
家の郵便受けに、ベル・シュタインバーズからの「学校に来てほしい」という手紙が入っており、ルーカスは久しぶりに登校することにした。しかし、自身の着ていたローブはカクリス魔法学校に置いてきてしまったため、代わりにシーナの着ていた教師用のローブを着ていくことにした。
ダラン総合魔法学校の生徒用のローブは、黒の生地で、布の縁の部分や背中に描かれた紋章は濃い紫色だ。一方で、教員のものは、紫色の部分がピンク色になっており、遠目で見たときにすぐにそれとわかる。
ちなみに、カクリス魔法学校の生徒用のローブは、白の生地で、布の縁は太くて黒いパイプラインが施され、背中の紋章は青色で描かれている。教員用は、紋章が赤色になっており、ダランのものよりずっと派手だ。
ダラン総合魔法学校に到着すると、校門のところにベル・シュタインバーズが立っているのが見えた。その姿を見るなり、ルーカスは彼に駆け寄った。
「久しぶりだな、来てくれてありがとう。それで、そのローブ、どうした?」先にベルが声を出した。
「お母さん……シーナのものです。私のものはカクリスでなくなったので。……それで、今日はどういったご用件で?」
2人は並んでダランの校舎に入っていった。
「あのときに言ったことだが、兄さんが、世界を戻せと」
「覚えていますよ。今まで聞いた中で、1番理解不能でしたから」
「悪かった。それで、その方法を言いたかったんだ」
「先に聞いておきますけど、その魔法を使ったら死ぬ、なんてことはありませんよね?」
「もちろんない。というより、ある意味、この魔法は他のものよりずっと安全だろう」
「……どういうことですか?」
ベル・シュタインバーズは新しくできた校舎の総合指揮官室にルーカスを入れ、扉を閉めた。続けてソファに腰を下ろすと、ルーカスにも座るよう促した。
「この魔法は、発動者だけでなく、他の人の血を共有することで発動する仕組みだ。もちろん、そうであっても、発動者が大量の血を必要とすることに変わりないのだが、すべて1人で成し遂げる必要はないということだ」
「おっしゃることはわかりました。ただ、誰が協力してくれるんですか? ベル先生がしてくれるんですか?」
「そうだな、私も協力しようと思う。だが、それだけでは不十分だろう」
ベルは立ち上がってカーテンを閉めると、またソファに戻ってきた。部屋が暗くなったことで、そこら中の影が一層深く見えた。
「ルーカス、君の友達はどうだ? 協力してくれると思うが」
「私の友達……?」
ルーカスはぼんやりとアオイとベンのことを思い浮かべた。さらに、もしかするとエマも協力してくれるのかななどと考えた。
だが、すぐに彼女は問題点を理解した。
「それって、協力した人もそこそこ血を使うってことですよね? 発動者以外にもリスクがあるんじゃないですか?」
「多少は使うだろうが、それでもやはり、1人でするわけじゃないから、大きな危険ではないだろうな」
「どこからの情報で?」
ベルはルーカスから目を逸らし、顎をかいた。
「モーリスからの言葉と、家に残されていた彼のメモとか」
委曲を尽くして説明しようとしない彼に、ルーカスは疑懼の念を抱いていた。
「……もう1つだけ。モーリスが現代魔法研究所に入った理由は?」
「私も詳しくは聞いていない。ただ、これが部屋に残されていた」
そう言うと、彼はデスクの引き出しから汚れた封筒を取り出してきた。そこには「俺が死んだら開けてくれ」と書かれていた。
ルーカスはそれを受け取ると、封筒から中の手紙を取り出した。中の手紙も封筒と同じように非常に汚れている。
「……モーリス・シュタインバーズもここの人間だったんですね。で、現代魔法研究所に入ってしまった」
「だが、どうして彼は研究所に入ったのか」
「それはわかりませんね。ただ、考えられるのは、誰かが彼をその地位に就かせた、ということもあるかもしれません」
ベルは目を丸くした。
「そんなことはないだろう。彼はこっちの人間だったんだ。逆にカクリスや現代魔法研究所の情報を持って逃げるリスクも考えるはずだ」
しかし、ルーカスは顔色を変えなかった。
「……たとえば、『忘却の魔法』なんて代物が存在していたら?」
ルーカスとベルは中途半端に話を終え、世界を戻すということについて考える時間を与えられたルーカスは、特に用事もなく、後世の校舎を歩き回っていた。
競技場だけは立派に残っているが、よく見ると、一部は崩壊している。新しく建てられた講義棟は、見栄えは綺麗であるが、前世のものよりもずっと廊下が狭く、また、ダラン独特の荘厳さも感じられなかった。
この退屈な学校にため息をつきたくなるルーカスだったが、ヘイリー・フローレンスが前からやってきたためそれはなされなかった。
「あ、ルーカスじゃん! 久しぶり!」
ヘイリーは遠くからルーカスに手を振った。彼女は手を振り返して答えた。
「前はあまりゆっくりできなくてごめんね」
「ううん、大丈夫。それより、聞いた? カクリスの陥落のこと」
実際にはカクリスは陥落していないが、そう言い広められていたことは容易に納得できた。
「……カクリスの本校舎がなくなったってこと?」
「そうそう。詳しくは知らないけど、カクリスが休校になるとか。ルーカスはカクリスに行ったんだよね? 現場を見たりした?」
ヘイリーが言っている話が本当なのか嘘なのか、ルーカスはすでに興味がなかった。そもそも、後世で出回っている情報の多くは、その流出源がカクリスにある。したがって、最初に嘘をつけば嘘が広がる。
「そうなんだ。カクリスには行ったけど、全然知らなかった。……最近カクリスの生徒はこの辺で見る?」
あー、とヘイリーは考えていた。歩きながら話す彼女らは、知らない人から見れば教員と生徒だ。一部の生徒たちは、あまりにも親しく話す2人に違和感を覚えていただろう。もっとも、そもそも生徒たちはほとんどいないのであったが。
「ここしばらく見ていないかも。カクリス陥落の噂を聞く前によく見たってわけじゃないけど、多少は見ることあった気がするし」
「ということは、カクリスは生徒の展開を畳んでいるのね」
「え?」
いや、何でもないわ、とルーカスは誤魔化した。
「……ところで、たとえば、世界が1つに戻るとして、ちょっとぐらいなら魔法の発動に協力する、とか思ってくれたりする?」
「急な質問だね」
ヘイリーは笑った。だが、ルーカスが笑っていないことを確認すると、真剣な表情になった。
「……世界が、1つになるならね。前のような生活が戻るなら」
「戻るよ、きっと。世界が分かれたのは、私の問題なの。だから、私が戻す。それに協力してほしいと思ったの」
「ルーカスの問題?」
ルーカスはグレート・トレンブルの事件の全貌を手短に説明した。
「じゃあ、違うのね」とヘイリー。
「何が?」
「それはルーカスの問題じゃないよ。それを起こした人の問題だし、その発端を作ってしまった人の問題だよ」
思わず、何かが心の中でざわめいた。ヘイリーはまっすぐ前を見て黙っていた。
「……やらないといけない」
夕刻になり、家に帰るため校門を通ろうとしたが、彼女は足を止め空を見上げると向きを変え、また校舎に戻っていった。
「ベル・シュタインバーズ先生。やります」
本当か、と驚いたベルは、イールスがルードビッヒ家から圧力を受けていたことを話した。彼なりに、ルーカスがすべてを背負う問題ではないということを伝えたかったのだろう。あまりにも婉曲的すぎて、気付かない可能性もあったことは問題だが。
「ありがとう、ルーカス。……君は英雄だね、本当に」
「やめてください。私は英雄ではありませんから」
言下に否定したルーカスはベルに背を向け、総合指揮官室の出入り口に立った。
「また、来ます」
彼女は一言だけ残すと、ダラン総合魔法学校を背にし、足早に帰っていった。




