23 後世の家
あれから、もう何週間も過ぎた。
陽が眩しいほどに照りつけ、地上では涼しい風が微かに吹いているある日のことだった。ルーカスは後世の自分の家の中で、その家にシーナが残したものを見て回っていた。
2階建ての家は彼女1人には大きすぎたが、静かにそこで暮らしていた。久しぶりに部屋着になれば、その身軽さに驚くばかりだった。
シーナの部屋にある本棚の奥から、何やら古い手帳が出てきた。埃をかぶっており、紙は少し黄ばんでいた。この薄い手帳に、シーナは日記をつけていたようだった。
日付を見ると、毎日つけていたというわけではなく、1週間に1回程度の頻度で日記が書かれている。最終日までページを送ってみると、ちょうど、シーナが家を出ていった年のことだった。
「今日はこの家にいるのが最後の日になるかもしれない。この仕事は重要であるけど、すべてを捨てていかないといけない。ルーカスのことはイールスに任せるしかないけど、いつか、また、ルーカスの顔を見たい。そのときは、大きくなっているのかな。どこで出会えるかわからないし、もう出会えないかもしれない。……こんなところに書いても伝わらないけど、ルーカスを愛している。私の宝物なの。だから、ルーカス、あなたのことを、離れたところからずっと見守っているわ」
さらに、その1つ前に書かれたものを見た。
「来週、家を出る。持ち物チェック。ルーカスが本を読もうとしていた。あの本は難しいから、まるで内容がわからなくて眺めている程度だったけど、その姿が可愛らしいの。イールスにも見せてあげたいけど、なかなか家に帰ってこないから仕方がないわね」
1行置いて、続きが書かれていた。
「ルーカスが私の膝に乗ってきた! いつものことだけど、とても可愛くて可愛くて、もう……。イールスには乗っていかないから、私の方が好きなのかな、なんてね。そんな可愛いルーカスには、今夜は大好きなシチューを作ってあげよう! きっと喜ぶよね」
ルーカスはさらにページをめくった。
「明日、正式に派遣が決まる予定。緊張する。派遣が決まれば、数週間後には家を出ることになる。とても大変な仕事だけど、やっていけるかな……。今更緊張してきちゃった。でも、ルーカスのことを思い出せばなんとかやっていけるかな。ルーカスも連れて行きたいけど、それは無理だし、今のうちにたくさん面倒を見てあげたいな。いつも厳しくしてごめんね、あまり面倒を見ることができていなくてごめんね。でも、ルーカスは私の宝物だよ。一生の宝物で、私が死んでもあなたは私の宝物。私の子でいてくれて、ありがとう。生まれてきてくれて、ありがとう」
彼女はその前もいくつか見てみたが、気が付けば頬に涙が流れており、手帳に落ちてじわりと染み込んでいた。
どのページを見ても、ルーカスのことが書かれていた。
「お母さん。……気付いてなくて、ごめんね……」
ルーカスは手帳を閉じて、その場にうずくまって咽び泣いていた。いつの間にか独りの時間ではなくなっていた。
シーナの遺体はカクリスに置いたままだったため、きっと、イールスの最後の魔法により完全に燃えてなくなっただろう。最後に見たシーナの顔を今でもよく覚えている。両目を瞑り口も閉じていたが、とても悲しい表情だったことを覚えている。この世界に残したものが多すぎたのだろう。
突然、玄関の扉を叩く音が聞こえた。ルーカスは重い腰を上げ、足を引き摺るようにして玄関に向かった。
無言でゆっくりと玄関を開いたところ、そこに立っていたのはアオイだった。
「ルウ、大丈夫? 今いい?」
「……大丈夫。上がって」
ルーカスは目を擦りながらアオイを出迎えた。
聞くところによると、アオイの家はほとんどこちらに残っているらしく、アールベストの役人として働く両親もまたこちらに残っていたようだ。アオイと話すのはあのとき以来だった。
「ごめんね、急に来て」
「ううん、大丈夫。それより、何かあった?」
「ないよ。ルウに会いたかっただけ」
「そっか。……ありがとう」
何かあったのかと思ってしまうのは、まだ前世からの旅の感覚が身体に染み付いていたからかもしれない。
「この家、何か減った?」ルーカスが紅茶を淹れたカップをテーブルに置いたとき、アオイが声を出した。
「うん。ここに帰ってきてから、どうせ1人だし、いらないものは捨てようと思って。そこに置いていたソファも捨てたし、あそこにあった本棚も捨てた」
ルーカスは指を差しながら説明した。昔アオイはこの家に何度か遊びにきていたため、彼女がものを捨てたということに気が付いたようだ。
「確かに本棚あったよね。難しい本ばかりだった気がするけど」
「そうなの。何にもわからなかったわ。けど、シーナはその様子を見ていたみたい」
アオイは、へえ、と声を出すと、紅茶を一口飲んだ。
「ベンくんはプラル地方に戻ったけど、最近どうしているんだろうね」
そうだ。ベンは故郷であるプラル地方に戻った。アールベストへの帰路の途中で、彼は「一旦帰る」と告げると、その場から足早に去った。それからというもの、一体彼がどこで何をしているのか全く知らない。
「元気にしているといいけどね……」
「会えなくて寂しい?」
「寂しいよ。だって、ついこの間まで一緒にいたんだもん。急にいなくなると、心に穴が開いたみたいというか」
「だよね。ルウは余計に」
「何で?」
「だって、好きでしょ? ベンくんのこと」
ルーカスは目を丸くして沈黙した。手に持っていたカップから紅茶が流れ出して、足が火傷しそうになってからようやく口を開いた。
「わからない。少なくとも、そういうふうに思ったことはないわ」
「わからないってことは、そうなんじゃない?」
「それもわからない」
「じゃあ」
アオイは紅茶を飲み干すと立ち上がった。
「今度ベンくんと会ったときに、また考えてみてよ」
彼女は笑っていた。ルーカスも無理矢理口角を上げて笑って見せた。
その後、アオイに誘われ、2人は家の外を散歩することとなった。学校の反対側に歩いたところにある公園にやってきて、2人で歩き回っていた。
久しぶりの和やかな時間だった。アオイといることは、ルーカスにとって、とても居心地の良い時間だった。最大の友情であり、最高の友達だった。
外が暗くなってきたところで、2人は帰路についた。彼女ら以外に誰も歩いていない静かな道を、ゆっくりと談笑しながら歩いた。
アオイと別れたところで、ルーカスはふと空を見上げた。星が眩しいほどに輝いていた。
お読みいただきありがとうございます。
引き続き、どうぞお楽しみください。




