21 カクリス魔法学校(五) ③
「出ろ」
ベンの牢が開けられた。
「誰だ?」
「お前は知らないだろうな。俺はヘッセル・バン。ヘルベルト・ルイスの書斎以降、お前のところの小娘がうまい具合に俺の行きたい道を整備してくれたから、ここまで難なく来ることができたよ」
「……それにしては、爺さん、よくここまで来れたな」
「こう見えても、アープを使えるコントロール系魔術使いでね」
ヘッセルは笑った。ベンはゆっくりと牢から外に出た。
「それもそうだし、前世からここまでの道は知っていたんだな」
「俺は現魔研の人間だったからな。途中で研究所を抜け出してきたんだ、やばい奴らと一緒になってしまったと思ってな」
「現代魔法研究所か」とベンは呟いた。
彼の横にいるのは、現代魔法研究所を逃げ出してきた人間ということだが、本当に信用していいのかと半ば疑念を抱いていた。
「俺のことをわかったということは、ずっと後を付けていたということか?」
「お前のことを覚えたのは、ヘルベルト・ルイスの書斎をお前たちが出ようとしていたときだ。井戸から離れていくお前たちを眺めていたんだよ。それ以降は、確かに後を追う形で移動したが、随分遅れてスタートして、お前たちが残した足跡を辿った程度だ」
「なるほどな……。それで、どうしてここまで来た?」
ベンとヘッセルは並んで地下を歩いていた。彼らのいる場所はエマのいる場所からは離れていた。
「現魔研の奴らをぶっ飛ばそうと思ってな。1発殴ってやるだけでいいんだ」
「俺たちの開いた道を伝って、多少なりとも数の少なくなった研究所の怖い人々を殴りたいということか。復讐か?」
「この歳になれば、復讐なんてことはどうでもよくなる」
ヘッセルは高らかに笑った。
「ただ、お前たちのやっていることは間違っているんだ、って言ってやりたいだけだ。それ以上でもそれ以下でもねえよ」
ベンは無言でヘッセルの横顔を眺めた。
彼が現代魔法研究所に入ったことが本意だったのかどうかは不明だが、なんらか間違った道を辿りそうだと感じ、早い段階で抜けてきたのだろう。そして、世界をこのような形にした彼らを、説教くさく殴ってやりたいと言うのだ。
その願いが叶うとは到底思えなかったが、ベンは彼を止めようとはしなかった。いずれにしても短い人生だろう。最後にやりたいことぐらいさせてやればいいと思っていた。
「鍵はどこから手に入れた?」
「あっちを歩いていたここの生徒から奪った。地下は自分たちの秘密基地だと思っているのか、まるで警戒心がなかったから、奪いやすかったよ」
ベンたちが歩いていると、角を曲がるところでアレックスと鉢合わせした。ベンは即座に両手を後ろで拘束すると、フィーレをアレックスの目の前に灯して見せた。
「俺の仲間はどこにいる?」
アレックスはベンに恐れながら、ルーカス、アオイ、エマ、ユーの場所を告げた。もっとも、この時点ですでにエマ以外は外に出ていたのであった。
ベンとヘッセルは、アレックスの言った場所に1つずつ向かい、とうとうエマを見つけると、彼女を牢から出したのだった。
校舎が落ちたときの轟音を聞きつけてか、ルーカスたちの周りには数名のカクリス魔法学校の生徒たちが集まっていた。そのためか、シーナは攻撃範囲を狭めているが、一方で、ネモ・ニードルは周囲を気にすることなく攻撃していたため、犠牲者も多数出ていた。
シーナはネモとほとんど互角に戦っており、その実力は、彼女がダラン総合魔法学校校外調査員と現代魔法研究所指導官を併任していたことを頷かせるものだった。
ルーカスとアオイは遠くからそれを見つめているだけだったが、とうとうシーナの血が足りなくなってきた様子だった。彼女の動きが次第に遅くなっていることがルーカスにも理解できた。
「まずい、助けに行かないと」
ルーカスは走り出そうとした。だが、アオイが彼女の手を捕まえた。
「危ないよ、ルウ」
「でも、このままだとシーナを見殺しにしちゃう」
「逃げてって言われたじゃん、行こ」
2人は立ち止まっていたが、アオイは再び本校舎に向かって走ろうとした。
だが、ルーカスは彼女の手を振り切り、シーナの方に一目散に走り出した。
「ルウ、ダメだよ!」
アオイの声に気が付き、シーナはルーカスの方を向いた。
「ダメよ、私は大丈夫だから!」
「でも、もう血が足りないでしょ! 私もそいつをやっつけるの手伝うから!」
ルーカスはそう言いながら走り続けた。
シーナはルーカスが向かってくることを確認すると、ネモの足元から巨大なフィーレを炎上させ、彼の頭上には先に切り取った瓦礫を空間系魔術で出現させ炎の中に落下させた。
その間に、走り寄ってきたルーカスを抱き抱え、彼女の頭を撫でた。
「ダメよ、今すぐアオイのところに戻って」
「でもお母さんが……」
「こっちは大丈夫だから」
「1人だったら死んじゃうよ……」
「きっと大丈夫。早く」
「あのメモにも書いてくれていたじゃん。私が成長したって。がんばって、努力して、偉かったねって……」
ルーカスがそう言った矢先に、ネモが瓦礫を2人に向けて飛ばしてきた。シーナは空間で切り取り、その攻撃を無効化した。
「親子の会話を楽しむのもあと少しだけですかね。シーナ・ダラン、もうかなり限界に近付いているのでしょう」
「ここまで来たんだよ、だから一緒に戦える」
シーナはルーカスの顔を見てため息をつくと、彼女から離れネモに向き直った。
「次に私が逃げてと言ったら逃げること。約束できる?」
「うん」
シーナは腰からナイフを1本取り出すと、ルーカスに投げ渡した。
「彼は近接戦は苦手。だから、私がこっちに気を引くから、ルーカスは近付いて戦って。本気で殺す気でしないと、ちょっとでも隙を見せたら逆に殺されるから」
「わかった」
ネモは左手で右手の袖に触れ、右手をシーナに向けて伸ばした。
「コントロール系魔術なのにありえないことだけど、彼は空気も操る」
シーナの言葉に、ルーカスは身構えた。彼女にはそんなことまでできるはずがなかったが、特殊魔法と合わせてそれを可能にしているのだろうと考えた。
「……ルーカス」
横からシーナが呟いたので、ルーカスは彼女の方を向いた。しかし、彼女はまっすぐネモを見据えていた。
「今までごめんね」
シーナがそう言った直後、ネモは空気を矢のように彼女に向けて飛ばしてきた。ルーカスは何も答えることができず、ただネモに近付くよう前進した。
しばらくシーナとネモの攻防が続き、ルーカスはその間にかなりネモに近付いていた。
あと数メートルで手が届くという距離まで来たところで、フォトンでナイフを飛ばした。
だが、ネモはルーカスより遥かに実力が上回っていた。彼は瞬間的に数回空間を切り取りルーカスを自身のすぐ横まで寄せると、ナイフが飛んでくる方向に彼女を盾にするように向けた。
ほとんど距離もなく、その瞬間ルーカスは「もうダメだ」と悟ったのであったが、ナイフのあった空間が切り取られた。
「…………!?」
さらに、ネモの腕がルーカスから解けたため、彼女は瞬時に距離をとって振り返った。
そこには、シーナがネモを背後からナイフで刺している様子が見えた。
「やった……!」
ルーカスは喜ぼうとしたが、次に口から血を吐き出したのはシーナの方だった。
「やれやれ、近接戦が弱いのは確かですけど、不意打ちには強いんですよ」
そう言ったネモの腰からは血が噴き出したが、シーナが先に倒れた。
「シーナ!」
ルーカスは自身のレッグホルスターから出したナイフでネモの首筋を掻き切ると、地面に横たわっているシーナに抱きついた。後ろからは鈍い音がしたが、振り返ることはしなかった。
「アオイ! 来て! 早く!」
彼女は急いでシーナの腹部の刺傷に、自分の着ていたカクリスのローブを充てがった。しかし、そこから溢れ出てくる血は止まる素振りを見せなかった。
シーナがネモの腰を突き刺したと同時に、彼は右手でシーナの腹部を刺したようだった。シーナのナイフは少し刺さった程度だったが、ネモは抜かりなく刺したナイフの先を捻り、確実に仕留めるようにしていたようだ。
アオイは走ってきて、すぐにシーナの傷口を治すよう魔法を発動したが、しばらくしてから、アオイは魔法を止めた。
「アオイ! ちゃんと治してよ!」
ルーカスは自分でも気が付かないうちに涙が溢れ出ていた。だが、アオイは再びシーナの刺傷部分に手を当てようとはしなかった。
「どうして!? どうして治してくれないの!?」
「ルウ、……ごめん、…………これ以上は、もう、……できない」
アオイのその言葉が何を意味するかは、ルーカスはすぐに理解した。あるいは、すでに彼女は理解していたのだが、その言葉で納得してしまったのだった。
「どうして……。……どうして、お母さんが……? ねえ、どうして……?」
ルーカスはアオイに言っていたのだろうが、彼女は何も答えなかった。ルーカスの問いかけに対する正しい答えを見つけることは、彼女にはできなかった。
周囲に数名のカクリスの生徒が集まっていたが、2人はそちらに気を配ることができなかった。夕暮れの風が慰めるように頬を撫でる中、ルーカスはただその場でしばらく泣き続けていた。
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