20 カクリス魔法学校(四) ②
モーリス・シュタインバーズは、シーナをルーカスの前に見せた。
「お前が何と言おうと、この女は死ぬ。見ておけ」
そう言うと、彼は鋭く長いナイフを腰から取り、シーナの首筋に突きつけた。
「優秀だったのに、残念だったな」
モーリスはそう言って、ナイフを振り上げた。ルーカスは止めたかったが、身体が恐怖に負けて動かなかった。
だが、いくら経ってもその腕が降りてくることはなかった。
「いつからそうなった、兄さん」
声の主はベル・シュタインバーズだった。彼はモーリスの振り上げた腕を後ろから掴み、その動きを制止していた。
「ベル、何をしている。邪魔をするなら殺すぞ」
「それはできないだろう。兄さんはそういうことが得意じゃないはずだ」
ベルが合図したのに気が付き、ルーカスはこの隙にシーナをモーリスから引き離し、距離を取った。
「ルーカス、ありがとう……」
「ううん、大丈夫だよ。もう大丈夫だから」
顔色の悪いシーナを励ますように、ルーカスは何度も「大丈夫」だと言った。
そんな彼女らの目の前では、ベル、モーリスが対峙していた。
「何の真似だ?」
「人を簡単に殺すタイプじゃないだろう」
「なかった、が、人は変わるものだ」
「今だってそうだろう」
モーリスは大きく声を上げて笑った。
「グレート・トレンブルを起こした本人だぞ? 人の1人や2人ぐらい、簡単に殺せるさ」
「どうかな」
ベルはそう言って、モーリスの胸に手を押し付けると、フォトンで廊下の端まで飛ばした。壁にぶつかる衝撃音が廊下を響き渡った。
「そっちがその気なら、こっちだってやってやる」
「ここは任せろ。そっちの手当てをしておけ」
ルーカスはベルの言葉どおり、シーナを連れてその場を離れた。イールスはその場に残ると言ったが、代わりにアオイとドリスが合流した。
「アオイ、どうしてここに? それに、そっちは?」
「いろいろあって……。とにかく、まずはここから出ましょう」
「そうだ、集中管理室で鍵を取らないといけなかった……」
ルーカスはそう思い出したが、戻れる空気ではなかった。4人は急いで2階を離れた。
4人は中庭に着くと、すぐにシーナを手当てした。貧血はどうしようもなかったが、傷のあるところはアオイが治療をした。
「貧血はひどいけど、それ以外はそれほど重くないから、すぐに治るわ」
中庭の隅で、あまり人目につきにくいところを選んだ。
「そっちは?」
「ドリス・バーデン。いろいろわけあって、今はここにいる。……あなたたちの仲間ではないから」
ルーカスはアオイに尋ねたつもりだったが、本人が返事をしたのでキョトンとした。
「でも、私たちの敵でもないのね。ならよかった」
ルーカスはそう言って微笑んだが、ドリスは目を逸らしただけだった。
「ベンは知ってる? ……それと、ユーは?」
「2人とも知らない。私は会わなかった」
「そっか……。ベンが捕まっていて、その鍵を取りに行かないといけないの」
「ドリスなら知っているんじゃない?」
アオイがそう言ってドリスを見たため、ドリスは話さざるを得なかった。
「鍵はもう集中管理室にはない。というより、すべての鍵が出払っていた」
「でも、ドリスも持っているんだよね?」
「私が持っているのは違う鍵。だから、あなたたちの仲間のいる場所では使えない。誰が持っているのかも知らない」
「……とすると、鍵を持っている人を探さないといけないのね……」
ルーカスは呟き、ため息をついた。次第に鍵が遠くに行ってしまう気がして、気が滅入ってきたのだった。
エマはただ1人、静かに牢に閉じこもっていた。時々人の足音が聞こえたが、アレックスが立ち去ってからは一言も出していなかった。
だが、そんな彼女にも、とうとう声を出すタイミングがやってきた。
「エマちゃんだね」
「……あなたが来るなんて」
エマは顔を上げた。そこに立っていたのはユーだった。辺りを歩き回って、ここを見つけたようだ。
「どうしたの?」
「ここの牢の鍵は、全部共通だね。そして、僕は今鍵を持っている。つまり、君をここから出すことができる」
「なら、出してほしい」
エマはゆっくりと立ち上がった。だが、ユーは緩やかに微笑んだ。
「交渉したいことがある」
「私が出るには、あなたの条件を呑めということ?」
「簡単に言うとね」
「どういう条件?」
エマはローブの汚れを払い落としながら言った。
「エザールに来てほしい」
「……それは無理」
「ならずっとここにいるかい?」
「どうして来てほしいと思うの?」
「言ったとおりだよ。エザールは小さくて弱い地方なんだ。だから、僕と彼がダランとカクリスに派遣された。その中で、情報を取得するとともに、エザールにとって有益な人材があれば引き抜くと言うのも僕たちの使命なんだ」
エマは汚れを払い落とすのをやめると、腕を組んだ。
「悪い話じゃない。豪華な部屋を用意するし、食事だって何でも食べられる。ここにいるよりも、ずっと素晴らしい生活ができるよ」
エマはため息をついた。
「素晴らしい生活ができるならそっちに行こう、とはならない」
「そっか。……なら、君はずっとここにいるんだね」
ユーはそう言って、鍵を持ったまま立ち去った。
「開けてよ!」
エマは鉄格子に掴まり叫んだが、ユーは「ごめんね、でも君の答えなんだ」と告げて、キールと共に振り返らず歩き去ってしまった。
地上に出てきたユーとキールだったが、キールが口を開いた。
「もう帰ろう。まずは休もう」
「いいのかい、それで?」
その一言に、キールは唾を飲んだ。
「何の成果もなしで帰るより、なんらかあった方がいいよね? それに、一度カクリスに捕まっている君は、すでに肩身の狭い思いをしているんじゃないのかい?」
ユーの視線は冷酷だった。
「誰か1人でも優秀な人を連れて帰れば、僕たちだっていい生活ができるようになるはず。相手にとっても悪くない話なんだから、もっと積極的に行かないと」
そう言うと、彼は微笑んだ。だが、キールは微笑み返すことはできなかった。
「そこまでする必要は……」
本校舎の中庭側から突然男の「おい」叫ぶような声が聞こえ、キールは言葉を切った。
「何だろう、今の」
ユーはそう言うと、声のする方向に向かって走っていった。キールも仕方がなく、それに続く形となった。




