第7話 希望と現実
僕は学院で、地学の授業を受けていた。僕たちが住む“レムリア大陸”は絶対王政の、ベルナルド王国が支配している。
その周りに貴族が治める領地が点在し、今暮らしているバリスクの街は大陸の南、サンタモンテ公爵領の中にある。国の中では田舎と呼ばれる地域だが、自然が豊かで多くの資源が取れるため、重要な拠点とされていた。
黒板に書かれた内容をノートに書き写しながら、先生の話に耳を傾ける。
灰色熊を追い払ってから三日が経つ。
あの後、アルと一緒に熊が出たことを母さんに話すと、母さんはすぐに父さんに相談し、深刻に受け止めた父さんは役場に報告する。
役場から何人もの狩猟者が派遣され、大規模な捜索が行われた。
幸いなことに翌日には熊は発見され、その場で駆除されるが、念のためしばらくは森に行かないよう父さんに言われて、今に至る。
ガラスの板にも卵は現れないため、コロの能力に変化はない。
相変わらず寝てばかりのコロだけど、母さん曰くこんなに大人しい動物は見た事ないそうだ。僕が学院にいる間、コロの面倒は母さんが見てるのでそれは良かったと思う。
それにしても森の奥にいるはずの灰色熊がこんなに民家の近くに来るなんて……スナアルマジロが森に居たことも変だし、環境が変化してるのかな?
「おい、ルウト! これ見ろよ」
休み時間に、アルが何かの小冊子を持ってきた。
「何、それ?」
「ふふふ……春の武闘祭のルールブックだよ」
「武闘祭?」
この学院では、春に学年別で武闘大会が行われる。これは剣や魔法の成果を披露する一行事にすぎないけど……。
「それ、僕らに関係ないよね」
バリスクの街は周りを広大な森や山々に囲まれており、魔獣が現れることも多いことから、剣や魔法の授業に力を入れている。
学院を卒業した後、騎士や魔導士になる者もいるが、それは特別学級の話だ。
普通学級には、そもそも学科がない。毎年“武闘祭”が開催されても、普通学級の生徒は少数が観戦に行くぐらいで参加することなどはありえない。
「ところが、そうでもないんだ」
アルは不敵に笑って話を続けた。
「この武闘祭に関するルールブックには、特別学級しか参加できないなんて、どこにも書いてないんだ。先生にも確認したから間違いない」
「え? そうなの」
「へへへ、知らなかったろ!」
「それ、たぶん想定してないだけだと思うよ」
「まあ、いいじゃないか。それより、ここ見てくれ! 参加条件の所」
アルに促されて冊子を見ると、参加できるのは剣や槍を使う戦士、魔法を使う魔導士、それに……。
「従魔師?」
「そう、魔獣を操って戦う従魔師って職業があるんだよ。昔は国王軍の中にもいたんだって。“テイマー”って呼ばれてたらしい」
「聞いた事ないけど」
「今はいないみたいだ。この学院でも従魔師が武闘祭に出たことないんだけど、この古い規定が残ってる以上、獣を使っての大会参加は可能なんだ!」
「まさか……」嫌な予感がする。
「コロだよ! コロと一緒に参加できるんだよ。灰色熊だって追い払ったんだから、優勝だって夢じゃないって」
「いやいや、出来る訳ないよ。ルールはそうでも、普通学級から武闘祭に出た人なんて聞いたことないし、絶対無理だよ」
「決めつけるなよ、普通学級だって参加する権利はあるんだ」
アルはかなり熱くなって説得してくる。ここ数日、何か調べてると思ったら、これに関することだったのか……。
「危ないよ、コロが怪我をするかもしれないし」
「大丈夫だよ。剣なんかは刃の無い物が使われるし、魔法も一、二回生が使うものなんて大したことない。回復魔法を掛けてくれる先生や医者だっているんだ。毎年、大怪我した何て話、聞かないだろ?」
「それはそうだけど……」
「一回戦でも突破できれば凄いことだよ! なあ、挑戦してみようぜ、いいだろルウト、な、な!」
「う、う~ん」
かなり強引に説得されたが、確かにコロが強いのは本当だ。武闘祭に出ても、一回戦ぐらいなら突破できるかもしれない。
そう考えて、この後、結局承諾してしまう。
この時、僕はまだ知らなかった。特別学級の圏域に入ることが、どういう意味を持つのかを。
◇◇◇
高等部一回生、特別学級――
パメラは教室の一番後ろにある自分の席に座り、一人本を読んでいた。学院の図書館で借りることが出来る“魔法の本”だ。
身分の違いすぎる彼女に、声を掛ける同級生はいない。
それはいつものことでパメラ自身も気にする事はなかった。ただ、この日は少し違っていた。
「ちょっといいかしら」
パメラが視線を上げると、そこにいたのは同級生のニナ・エバンスだ。金髪のツインテールで、いかにもお嬢様な雰囲気を纏い、派手なつけ爪をしている。
親は貴族で、このクラスの中では一番爵位が上のはずだとパメラは思い返していた。普段ならおよそ話す事もない相手だけに、何の用かと困惑する。
「あなた、武闘祭に参加届を出したそうね」
ああ、そのことかとパメラは得心がいく。
「それが何か?」
「何かですって!? あなた分かってないようですわね。武闘祭は正式な特別学級の生徒が参加するものよ、分をわきまえたらいかがかしら」
高圧的な物言いに、パメラもカチンとくる。
「私も正式な特別学級の生徒なんで、特に問題はないと思うけど」
パメラが言い返すと、ニナの顔はみるみる紅潮していく。
「そう! あなたがそういう態度なら、こちらにも考えがあるわ。後から後悔しても知りませんわよ」
そう言って、ニナは教室を出て行った。ニナの取り巻きの生徒達も、パメラを睨みながらニナの後を追って教室を出て行く。
静かになったと思い、パメラは再び本に視線を落とした。
翌日――
パメラが普通学級との合同授業から帰ってくると、自分の机の下に一冊の教科書が落ちている事に気づく。
「何だろう」と思い手に取って見てみると、ズタズタに切り裂かれている。机の中にある教科書も全部切り刻まれ、落書きされている状態だ。
それは、けして裕福ではないパメラの親が、娘のために無理をして買い与えたものだった。パメラはボロボロの教科書を握りしめ、ニナの元へ向かった。
「こんなことして恥ずかしくないの!」
他の生徒と話をしていたニナは会話をやめ、パメラの方へと顔を向ける。
「あら、何のことかしら。私が何かしたとでも?」
「とぼけないでよ! こんな事、あんた以外誰がやるのよ」
「酷い言い方ですわ、ねえ、みなさん私がパメラさんに何かする所を見た方はいらっしゃいますか?」
取り巻きの生徒は、薄笑いを浮かべながら首を横に振る。
「私は、ずっとみなさんと一緒でしたの。何かしたなら必ず見ているはずですわ、もし私がやったと言うのなら、証拠を持ってきてくださらないと」
パメラは唇を噛み締めた。これ以上追及しても無駄なことは分かっている。
その後もパメラに対する嫌がらせは続き、教師に相談しても貴族の娘であるニナとは仲良くするように、と言われるだけだった。
両親には相談できない。ただでさえ普通学級より授業料が高い、特別学級に通わせてもらっている。
これ以上、心配や迷惑をかける訳にはいかない。
パメラは悔しかった。魔法の勉強を誰よりもして、能力においても貴族階級の生徒よりあると言われていたからだ。なのに――
結局、パメラは武闘祭への参加申請を取り下げるしかなかった。