第九十七話
混戦となった。
ベルゼブブの使徒達とアスモデウスの使徒達の攻防が、砂浜で入り乱れる。
ジェラールはアスモデウスの使徒達の囲いの奥で、ララからオウルを注がれていた。
これで少しでも回復できる。
ユーグもまた、ベルゼブブの使徒達の囲いの奥でダズーに同じ介抱をされていた。
「申し訳ございませんわ、遅くなりました」
ジェラールの傷へオウルを注ぎながら、ララが申し訳なさ気に言葉を落とす。
「いえ、絶妙な時分でした。流石ですよ、ララ殿」
「まぁ、うふふ、惚れ直してくださいましたこと?」
「ええ、惚れ直しました」
「……今なんと?」
「向こうも小休憩が終わったようです。行って参ります。どうか、私とユーグ殿の戦いには、介入なさらないようにお願いしますね」
赤らめた頬を嬉しそうにひくつかせたララを、やんわりと押しのけてジェラールが前に出る。
そして、再び剣を構えてダァトを頭上にあらわせば、みるみる生気が失せてゆく。
亡者の剣勢。
その変貌にララが息を呑んだ。
瞬間、蠅の羽音めいた不気味な空気の振動を伴い、暴風がジェラールに襲い掛かってくる。
暴風の名はユーグ。
音速を越える剣尖が、縦横無尽の乱舞となってジェラールへと振るわれる。
対するはベルフェゴール式剣術。
効率を突き詰めて、無駄を削ぎ落し続けて生まれた剣。
人間性をすら無駄と排したこの剣に速度は必要がない。
一方のベルゼブブ式剣術は、速度を究めようとすればするほどユーグ自身に無駄や非効率、隙がどうしても生まれた。
ジェラールは音を越えるの剣速が放たれる前に、ここに付け込んで剣を先回りしてどうにか攻防を紡いでいるわけだ。
およその事象において、速度と精度というものは両立しない。
いわんや、ふたつ目のダァトを手に入れて日の浅いユーグの修行では、精密な高速の剣というものを望むべくない。
ベルフェゴール式剣術は、ユーグの超速の剣術の天敵であった。
だというのに、
「ぬぐ……!」
ざくり
と、ジェラールの右肩が裂けた。
ベルフェゴール式剣術で、凌ぎきれなくなっていっている。
ジェラールは感じていた。
ユーグの中で様々なものが融和している事を。
メルルナを食って得たダァトが馴染み、フォルセウスから攻撃に使われたマナを取り込んでいる。
ユーグはこれを、大切なものを棄てたと表現していた。
しかしジェラールには、大切なものを腹の中に仕舞ってるようにしか見えなかった。
ベルゼブブの使徒としての奥義という以上に。
きっとユーグという人間は、そうやって何かを自分の内に押し込めたがるのだろう。
そうやって強くなっていく人間なのだろう。
血風に吹きさらされながら、ジェラールは冷静にそう分析する。
「ジェラール様!」
さらに右脇にユーグの剣が走った時、ララが悲鳴と共に飛び込んでくる。
「いけません、ララ殿!」
介入するなと言い含んだが、そもそも介入できる速度ではないはずだった。
それでもなお、ララは身を呈そうと躍り出る。
自分が盾になって、せめてその隙に。
そう考えているのがひしひしと伝わってくる。
だがララを心配する、という人間性でジェラールのベルフェゴール式剣術が霧散した。
咄嗟に、黄天派の身ごなしに切り替えてララを抱きかかえて地に転がった。
斬と、背中に痛烈な灼熱感。
そんなふたりをかばおうと、アスモデウスの使徒達が囲いとなってくれる気配。
だがそれもすぐに蹴散らされるだろう。
すぐに剣勢を立て直さねば。
「ジェラール様! わたくしなど捨て置いて、メルルナ様の仇をどうか!」
「駄目です、次の導師でしょう、あなたは!」
「力を併せねば、勝てないではありませんか!」
「力を併せても、勝てません!」
「っ……!」
ララが、傷ついた顔をする。
痛いほどにララの真心は分かるが、アスモデウス式武術の速度ではこの攻防についていけないのは目に見えている。
きゅっと、ララがジェラールの血まみれの服の裾を掴む。
「……本当に、力を併せても勝てませんか?」
縋ってくるようなその眼差しに絆されそうになる。
否定を言葉にしようとした。
その瞬間だ。
力を併せるという一言が、ジェラールの脳裏に様々な意味で広がりを持つ。
ララのアスモデウス式武術と相乗して、黄天派武術を使った。
メルルナとも、黄天派武術で肩を並べた。
そしてユーグは己の中にメルルナとフォルセウスの力を蓄えた。
これらの事実が、ジェラールの頭の中で結びついてゆく。
だができるか?
そんな抑止の言葉が、頭の冷静な部分から滲んで、ジェラールは首を振る。
「やってやる……!」
決死の覚悟で、ジェラールが剣を握り直す。
不安げな顔のララを、勇気づけるように肩を叩く。
「心配をおかけしました。もしかしたら、大丈夫かもしれません」
「……もしかしなければ?」
「死にます。ですから、」
ジェラールが、笑いかける。
「主の御加護があるように、祈っておいてくださいね」
「アスモデウス様にしか、わたくしは祈れませんわ」
「せめてベルフェゴールに!」
そんな軽口を残して、ジェラールが飛び出した。
その足運びは黄天派武術。
疾風の速度で躍り出れば、ユーグへと斬りかかる。
だが疾風では音速に遥か及ばない。
ユーグの剣気が、暴風の様に肌を刺す。
「くっ……!」
咄嗟にジェラールがベルフェゴール式剣術に切り替える。
ぎぃん
と、ユーグの一手をどうにか剣で逸らした。
いや、逸らしきれたと思ったが、届いていたらしい。
左頬がざくりと裂けていた。
今の己の剣を思い返してジェラールは必死に構想する。
理想の剣を。
こうではない。
こうじゃないんだ。
焦燥感でマナを巡らせながら黄天派武術で縦横無尽に砂浜を駆ける。
駆けながら、ユーグの剣の気配に先んじてベルフェゴール式剣術を展開。
今度も直撃は免れた。
だが右腿の外側がざくりと裂けた。
違う。
もっと。
切り替えるという意識ではなく。
ジェラールの頭上のダァトが、明滅を繰り返す。
マナとオウルの巡りを交互に、しかも急激に繰り返しているからだ。
ユーグが奇妙に思っているのを、肌で感じた。
わざわざ黄天派武術の足運びで、無駄な動きをしているようにしか見えまい。
ベルフェゴール式剣術を濁らせてしかいないのだ。
現にそれで深い傷が増えている。
そんなユーグの戸惑いのようなものが、逆にジェラールのおかしなベルフェゴール式剣術でも追いつける要素となり、首の皮一枚残っているようなものだ。
だがそんな違和感によるユーグの剣筋の揺れも無くなっている気配があった。
砂浜を駆けながら、ジェラールはまた補足されたと直感する。
心臓に、冷たい感触。
狙われている。
これが最後の機会になるか。
背筋が凍り付く。
その氷結した心地の向こうに。
ララのアスモデウス式武術と力を併せた時の感覚を、あたたかに思い出す。
「おおおおおお!!」
ジェラールが咆哮する。
完全に頭上からダァトが消失して、ユーグの剣尖が心臓へと直進する。
殷々と、耳障りな音が響いた。
「ハッ…ァッ!」
ふたりがすれ違い様に、止まった。
背中を向け合い、仕留めたはずの剣をユーグが見下ろす。
双剣の一振りが、砕けていた。
ユーグの耳に、ジェラールの荒い息遣いが聞こえる。
何をした。
一拍遅れの激昂で振り返ったユーグは見た。
ジェラールの背に浮かぶふたつのダァト。
「軽妙で快速の黄天派武術と、精妙で緩慢なベルフェゴール式武術は方向性が大きく違っていました」
ジェラールの声が、静かに響く。
ユーグが呻く。
あのふたつのダァトの意味を悟った。
「そして黄天派とアスモデウス式も、そうでした。言うなれば反対方向の武術だ。だけど、噛み合った。お互いを補い合うように。ならば……」
ゆっくりと、ジェラールがユーグと対峙する。
死者の静けさと、生者の快活さが同居したたたずまい。
「貴様……己の中で、併せたな!」
「黄天派武術とベルフェゴール式剣術の掛け合わせ……何とか掴みましたよ」
「馬鹿な! できるはずがない!」
「いいえ、先にこれをやってのけたのは、あなたですよユーグ殿」
ユーグの呼吸が詰まる。
フォルセウスのマナを取り込んで、知らず自在に扱っていた。
あまつさえ、戯れの様にミカエルの刃すら再現して見せたのだ。
ユーグがフォルセウスとジェラールの戦いの中で可能性を開いていったように。
ジェラールが今、新たな可能性を開いた。
「ユーグ殿、十年を越える因縁に決着をつけましょう。父と子と聖霊の御名において、あなたにこれ以上の罪を重ねさせぬよう!」




