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旅のジェラール  作者: ローリング蕎麦ット
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第九十五話


 心臓と右肺を貫いた剣を伝い、赤い血が手を汚す。


 ジェラールをかばったフォルセウスの心臓と右肺を、貫いた。


 それにユーグは、感慨らしいものが湧かなかった。


 既に心の中で、フォルセウスとの決別は終わっていたのだろうか。


 では殺す意味は。


 本当にあったのだろうか。


 薄くそんな考えを浮かべていたユーグの肩を、フォルセウスが掴んだ。


「……すまなかったな」


 フォルセウスの声は、老人のような疲れが凝っていた。


 赤子めいた無垢さで、ユーグが不思議そうな顔になる。


 刺された者が、刺した者に謝罪をするなど。


「知らず、お前の心に負担をかけていたのだろう。好敵手として思っていた。それすらも、もしかすると……」


 フォルセウスが身を引く。


 ずるりと、剣が引き抜かれた。


 血が、胸部と口からあふれ出るのをユーグが浴びた。


 熱い血が自ら出て冷え固まった血の上を流れていくのを、掌に受け止める。


「私は、器用ではなかったからな……人の心を、慮るべきだった……」


「それは、もうお前ではない」


「はは……そうか……」


 声が、ひび割れてゆく。


 それがユーグには遠く聞こえた。


「お前は炎の様に自分の道を往き、人を率いるべきだ。慮るなど……」


 ユーグは夢の中の心地で、言葉を零していた。


 殺したという実感はない。


 今、命の灯が消えかかる目の前の男が、遠い気がする。


「その末路が、これではな……」


「やっと、俺はお前を越えたのか」


「そうだな」


 肩を掴むフォルセウスの力が、強くなった。


 消えかけた命の灯が、熱を増す気配。


 死にかけて遠のいていたフォルセウスが、急速に近いてくるような。


「だが……ここで止まってもらう。お前はジェラールを越え、そして私を越えた。メルルナも手に入れたのだ。ここで満足してくれ!」


 最後の力を振り絞ろうとしている。


 フォルセウスから、赫灼たるマナが迸る。


 掴まれた肩が熱い。


「おおおおおおおおおお!!!」


「ぐ……あああああああああ!!」


 フォルセウスのマナが激流の様に注がれる。


 溶岩が体内に流れてくるような灼熱感。


 五体が焼け焦げるような激痛に、ユーグの絶叫が響き渡る。


 オウルの巡りに逆らうように叩きつけられるマナによる内部への攻撃。


 自身のマナを全て使い切るつもりだろう。


 聖ミカエルの外套の機能を全開にしてやってのけるマナの増幅は、フォルセウス自身の身をも焼き尽くす威勢だ。


「ジェラール! 今だ! 私ごと刺せ!!!」


 フォルセウスのその断末魔に、ジェラールがひるむ。


「早くせよ! この男を……どうかこの男をここで止めてくれ!」


 大音声には、切ないほどの哀しみがこもっていた。


 悲壮と罪悪感と後悔と慚愧にまみれて、ジェラールが剣を取る。


 ユーグが脱出しようともがけども、フォルセウス最後の力がこもった手に捕まれてどうしても逃げられない。


 ジェラールが、意を決する。


「フォルセウス様! 御免!」


「先に逝っておるぞ!」


「よ、せえええええ!!!」


 ぞぶり


 フォルセウスの背を貫いて、ユーグの心臓に向けて過たず切っ先が突き付けられた。


 その肉に、切っ先が届く。


「うおおおおおおおおおお!!!」


 瞬間、ユーグから強烈な熱風が吹いた。


 剣越し、ジェラールは凄絶な熱量を感じて手を離しそうになる。


 ばぎん


 それに及ばず、途中で剣が折れてしまった。


「なっ!?」


 荷重がかかる。


 力尽きたフォルセウスの体を受け止めれば、その向こうにいたユーグが十歩を離れているではないか。


 切っ先が突き立った胸に手を添えて、それを引き抜いていた。


 心臓には、届かなかった。


「私のマナを……食った……のか……」


 もはや朦朧とする視界に立つユーグの姿に、フォルセウスが血と共にかすれた言葉を吐く。


「すまぬ……最後の最後で……しくじったか……」


「フォルセウス様……フォルセウス様!」


「ジェラール、お前に……神の、加護が……あるよう……」


 それがフォルセウス最期の言葉となった。


 そっと、ジェラールがその身を砂浜に横たえて瞼を閉ざす。


「死んだ……か」


 それを見下ろすユーグの目から、涙が流れていた。


 その涙に、ジェラールが激昂した。


「涙を流す悲しさを持っているのに、どうして……どうして殺せるのですか!」


「もう迷わず、惑わぬ強さのために」


「それが大切なものを切り捨ててまで得るものですか!」


「得もせずにそれが判断できたはずもなかろう」


「では……今……ユーグ殿、あなたは何を思うのですか……」


 ユーグが掌に目を落とす。


 己の血で汚れた凄絶な姿と、フォルセウスの血にまみれた掌。


 儚いまでの淡やかな微笑みが、ユーグから零れた。


「……全てを棄てた、価値がある」


「嘘だ……」


「もう、黙れ」


 十歩の距離からユーグが剣を一振りすれば、剣気が空を走った。


 咄嗟に剣を掲げれば、真ん中で真っ二つになる。


「ミカエルの刃……!?」


「ベルゼブブの刃、だ」


 フォルセウスのマナを食い、やってのけたのだろう。


 もしかすると今のユーグは、ダァトを三つ備えているに等しいかもしれない。


 ユーグが戯れのように剣を振るう。


 ひゅうひゅうと、風を切って届く剣気だけでジェラールがずたずたになった。


 砂浜に、ジェラールが身を伏す。


「ぐあ……!」


「腹が減った」


 それを冷然と見下ろして、ユーグが物憂げな溜息を吐く。


「お前を殺してから、食いつくそう。聖ミカエルの山の者達も、アスモデウスの使徒達も」


「きっともう……あなたは満腹になることは、ないでしょう、ね……」


 折れた剣を支えに身を起し、流血をぬぐいながらジェラールの呼吸は荒い。


「あなたは棄てたつもりでしょうが、結局大切に自分の中に仕舞っている……それを見て見ぬふりをしている限り……迷い続けるだけだ」


「それが、遺言か」


 ユーグが十歩の距離を詰めた。


 剣を振りかぶる。


「今となっては本当にお前があの時のベルフェゴールの使徒だったか、確証はない。だがもういい」


 何もかもを失ったように、ユーグがうなだれる。


「もう、どうでもいい……」


 剣が、ジェラールの首に振り下ろされた。


 そして、


 ぎぃん


 と、それを阻む剣が飛来する。


 隣に突き立った剣に、ジェラールが瞠目してしまった。


「これは……私の……」


 十年前に使っていた剣。


 ジェラールとユーグが、剣の飛来した方向へと目を向ける。


 そこには馬上からふたりを見下ろす男が、駆けてきていた。


 緋色の僧衣を潮風にはためかせる姿は、教皇特使のものだ。


 ふたりに声がかかる距離で馬を止めれば、涼やかな声が降る。


「まだ生きていたか、ジェラール」


「師兄……」


「いや、遅れてしまったか……」


 フォルセウスの屍に目を向ければ、その男に悼みが伴う。


 男の名はギィ。


 ジェラールの兄弟子にあたる者。


「だがまだ決着はついていない。ならばジェラール、受け取るがいい、聖詔である!」


 ギィが馬上で、一枚の巻物を紐解く。


 朗々とその声が、潮の音を貫いて響き渡る。


「教皇特使ギィより、教皇レオ四世聖下の御言葉を賜す! 教皇レオ四世の弟子、ジェラール! 右の者に破門を言い渡す!」


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