第八十八話
聖ミカエルの外套。
大天使ミカエルが遺したと言われる、真紅の外套である。
他の聖遺物や伝説の武器にもいくつかあるように、扱う者のマナを増幅する機能を持っていた。
即ち、使用する者のダァトがひとつ増えるのと同義であった。
最初の出会い、つまりジェラールがユーグに殺されかけていたのを助けた時。
メルルナの脱出に追いついた時。
これまでに二度、フォルセウスが聖ミカエルの外套を纏って戦う姿を見ている。
その出力はメルルナの心臓を飲み干したユーグと互角に戦えると見て良かった。
「……最初に会った時、私は貴様を見込んでいた。よくぞユーグにあそこまで食いついて粘っていたとな」
フォルセウスが、ジェラールに視線を注ぐ。
唐突な言葉に、ジェラールが目をしばたいて、後頭部をひっかく。
「は、はぁ……恐縮です」
「だが次に、アスモデウスの使徒に手を貸した事実で、大いに見下げ果てた。メルルナを脱出させた一事で憎悪すら湧いた」
「それは……」
「そして今、私の過ちに対する直言や、ベルフェゴールの使徒から回心をしたという過去に対しては、感謝と経緯を覚えている」
自身に向けられる紆余曲折の複雑な感情に、ジェラールが居心地悪そうにする。
それをフォルセウスはふっと微笑した。
「私の中で今、好感が悪感情に勝っていると言っているのだ」
「では、お力を貸していただけるので?」
「それは違う」
きっぱりと断言するフォルセウスの顔は、修道院で見た頃の様に雄々しく威風あるもの。
「そもそも、このような状況に陥ったのは私の優柔不断が招いたのだ。ならば貴様らに力を貸す貸さぬではない。これは私が決着をつけるべき話だ」
「それは違います。フォントノワの戦いで、ユーグ殿を斬った私が今回の騒動に責任あります」
「違う。かつて私がメルルナを斬る決意ができていれば、こうも錯綜した状況になどならなかった。私にこそ、責任がある」
「いえいえ、ユーグ殿は私を越えるために、メルルナ殿の心臓を狙って動いていらっしゃいました」
「私とユーグ、そしてメルルナはフォントノワの戦い以前からの関係だ。ユーグの出奔をみすみす許し、その過ちを糺せずにいた清算を私はせねばならぬのだ」
お互いがお互いに責任の所在を自分に帰結させるため、声に熱がこもってくる。
それをララは、なんともいえぬ顔で見ていたが、つい口をはさんだ。
「あの、ジェラール様、フォルセウス様もこうおっしゃっておりますから……その、お任せするのはいかがでしょうか? お言葉ですが……もうすでに、ジェラール様では勝ち目はないのでは?」
ダァトがひとつのユーグに、殺される寸前まで追い詰められていたのだから。
それにジェラールはゆっくりと首を振る。
「そこは問題ではありません。私はベルフェゴールの使徒であった頃の罪と、きちんと向き合わねばならぬのです」
「しかしみすみす死に飛び込まずとも……他の善行であがなえないのでしょうか?」
ララが、すがるようにフォルセウスへ視線を向けた。
厳めしくフォルセウスが頷く。
「そうだ。主は自殺を認めておらぬぞ。過去の罪に囚われ、自らの命を絶つなど主は望んでおられぬ。貴様の責任まとめて、私が引き受ける」
しかしジェラールは首を縦に振らなかった。
「フォントノワの戦い以前から私は一切の思考を放棄して、何ひとつ自分で考えず答えを出さず感じることすらなく、命令だけに従い斬り続けてきました。最低の怠惰の形で、人を殺し続けたのです……ならば今、私は自身の考えで歩みべきだ。もしもその結論の先が殉じるという結果であってもです。それそこそが真の回心の証明ではないでしょうか」
フォルセウスは、咄嗟に否定の言葉を突き付けられなかった。
古の聖人達も、異教徒達に力こそ足らずとも凛然と挑んだ伝説は枚挙にいとまがない。
ララもまた、唇をわななかせて上手く言い返せずにいた。
悪魔を信奉していた頃の悪逆については分かる。
しかしそれを神の教えの元に清算する場合の想定ができない。
ふたりが口を紡ぐのに、ジェラールは満足そうに微笑する。
「そういうわけです。私がまずはユーグ殿と剣を交えます。少しでも、力を削ぎますから……どうかフォルセウス様、その後はよろしくお願いいたします」




