第八十六話
「貴様!」
フォルセウスは一瞬で激昂し、掴みかかってきた。
しかしすぐに全身の痛みに呻く。
「お、落ち着いてください、フォルセウス様!」
「黙れ、貴様のせいだ……貴様のせいで……」
「……その通りです」
掴まれた腕を掴み返しながら、ジェラールが悲痛な顔でうなだれる。
しかし傷んでいるフォルセウスでは、そのままねじ伏せることもできない。
そんな両者を、セドリックが引き離す。
「……他の怪我人にも響きます。どうか、お静かに」
低く、押し殺したような声だった。
メルルナを三年も監禁し、シエクスの町を焼いたフォルセウスに対する感情は怨念しかない。
それをひとまず納めてもらうように、ジェラールが懇願に懇願を重ねた状況である。
双眸は射殺すような視線を放ち、ふたりに棘として突き刺さらんばかりだ。
「……どうなった。どうなっている?」
フォルセウスが、憮然と言葉を突き付けた。
「あれから、丸一日経っています。ここは、アスモデウスの使徒の拠点のひとつ」
ベルゼブブの使徒に切り取られた縄張りの奪還のため、この一週間でメルルナはあらゆる手配を尽くしていた。
その最初の役割が、よもや緊急の病院になるとは誰も思いもよらぬことだったが。
「導師ユーグは……どうやらダァトをふたつ、制御下に置いたようです」
「……」
ジェラールの話に、フォルセウスの視線が落ちる。
改めて、メルルナの死に直面しているのだろう。
その態度すら、セドリック他その場にいたアスモデウスの使徒達の癪に障った。
「誰のせいで……」
「セドリック殿、どうか今は……」
憤怒の形相に変じるセドリックに、ジェラールが苦渋の顔でなだめにかかる。
ジェラールを睨みつけて、セドリックが岩肌の壁を叩いて背を向け去ってゆく。
露骨に安堵するジェラールだが、今度はフォルセウスが鋭い目を向けてくる。
「私を助けるとは。どういうつもりだ?」
「どうと申されても……私は教会者ですから」
「アスモデウスの狗め。一時でも目を懸けた私が、愚かだったわ」
「私は……私はただ、無為に人の命が失われる状況に我慢ができず……」
「それでこの状況とはな」
フォルセウスが鼻を鳴らす。
ジェラールは、うつむいて何も言えなかった。
「フォルセウス様とて、導師メルルナ以外を誅する気構えであったのではありませんか」
そこに、ララの声が会話に加わる。
その顔を認めて、フォルセウスが殺気を突き刺す。
それを毅然と受け止めるララに、徐々に殺気を収めて短く言葉を突き付ける。
「そうだ」
「ならばやはり、アスモデウスの使徒にはメルルナ様の奪還が絶対に必要な状況でございましたわ。導師ユーグに縄張りを切り取られ、フォルセウス様率いる赤天派に睨まれていたのですから」
「滅びてしまえば良い、悪魔の徒など」
「メルルナ様もまた、悪魔の徒でしたわ」
「……」
三人の間に沈黙が横たわる。
それを破ったのはジェラールが、ぽつりと落とした言葉。
「私は、ベルフェゴールの使徒でした」
フォルセウスが、怪訝な顔になる。
「フォントノワの戦いにも参加しておりました」
「なに」
「そこで、教会の方に拾っていただき……神の教えに生きる方法を示していただいたのです」
「……」
「悪魔の信奉者には、私のように回心できる者もいます。殺し尽くす必要など、ありましょうか」
「私は……メルルナだけで良かったのだ」
血を吐くように、その名を絞り出す。
訥々としたジェラールの声が、フォルセウスをゆすってその心から言葉を零させるようだった。
「メルルナ殿の帰る場所を滅ぼせば、己に帰属するしかなくなる。そう仰せですか」
「……それしかなかった」
「いいえ、絶対に他に道はあったはずです」
「貴様に、分かるか……! ユーグが出奔して後、メルルナと関係を持ったと知った時の焼け焦げる思いが……!」
「……分かるとは、申せません。ユーグ殿の出奔の責任の一端は、私にもあります」
「なんだと」
「フォントノワの戦いでユーグ殿を斬ったのは、私です」
フォルセウスが、困惑して目をしばたく。
「ユーグ殿を瀕死に追いやったベルフェゴールの剣士は、私でした」
「……貴様!」
再び激昂するフォルセウスとジェラールの間に、ララが壁となる。
「貴様のせいで……! ユーグは……!」
「……そうです。私のせいでユーグ殿は力を追い求めるようになってしまいました。メルルナ殿が死した、原因の一端です」
「ジェラール様、それは……」
ララの悲し気な顔に首を振る。
「事実では、あります。それを誤魔化すつもりは、ありません。しかし、」
ジェラールが、毅然と居住まいを正す。
「しかし、フォルセウス様の恋心がメルルナ殿を監禁した事、ユーグ殿の力を追い求める方法。これらふたつもまた誤っていた」
堂々たる直言にフォルセウスの瞳が揺らぐ。
これまで隠し続けていたメルルナの監禁を、こうして糾弾されたことなどあるはずがなかった。
生来の実直な性根に、ジェラールの言葉は深く突き刺さる。
呻き、フォルセウスがうなだれた。
「……どうすれば、よかったのだ」




