第七十一話
「やりましたね」
ベルゼブブの石像の向こうからジェラールがひょっこり顔を出す。
ララが、にっこりと微笑んで応じた。
「さて、それでは皆様を縛らせていただきましょうか」
転がる九人のベルゼブブの使徒達ひとりひとりに縄を打つ。
途中、ララはオウルを腕に撃ち込んで萎えさせておくのも忘れない。
やがて全員を縄で縛り上げた頃合い、ふとジェラールは媚香が途絶えているのに気づいた。
もう焚き終わったのだろうか。
用意した量にしては短い気がした。
そう意識したのと、入口から何者かが踏み込んでくるのはほとんど同時だった。
殺意の冷風を纏った踏み込みは、攻撃である。
背を向けているララの背骨を折る拳勢だ。
「ララ殿、危ない!」
咄嗟に、間に入ってジェラールがかばう。
ずしんと、胸に拳を受けてジェラールが血を吐いた。
「ジェラール様!」
ララが支えるが、襲撃者の拳は連鎖されている。
よろめくジェラールがララと回避行動でもつれて地を転がった。
距離を取り、膝立ちで構えれば果たして襲撃者はダズーの兄であった。
ガズー。
ゆくゆくは導師になる才覚ある、屈強な肉体の大男である。
遅れてきた十人目のベルゼブブの使徒。
膝をつき、震える両手が弟を抱きかかえている。
「弟者、弟者よ! またしてもやられてしまったのか! 無念であろう! 無念だったろう!」
大音声は号泣と共に。
「すぐに奴らを始末して、介抱してやろう! しばし待っておれ! 共にあのふたりの肉を食らって酒を飲みかわすぞ!」
吼えるように言葉を迸らせれば、ガズーが勢いよく立ち上がる。
爛々と殺意の炎を瞳に宿し、ジェラールとララを睨みつけた。
「やってくれたな。卑劣な毒香を用いてこの所業! 許さぬぞ、絶対に許さぬぞ!」
まずい。
ジェラールが胸に受けた痛みに顔をしかめて冷静に分析をする。
今の痛打でジェラールはほとんど動けなくなってしまっていた。
ララの消耗も既に激しく、来る途中でガズーは媚香を排除している様子だ。
この状況でガズーを凌げるか。
ガズーが動く。
地を砕かんばかりの拳勢にて、膝立ちするジェラールの脳天に拳を落とす。
ララの助けを借りてなんとか逃れれば、形容通りに地が砕けてひび割れ、洞窟が揺れた。
「相変わらずの強力ですね……!」
ぱっと、ララがジェラールを押しのけてガズーに相対する。
かばう形だ。
猛然と繰り出されるガズーの連撃は、一手でもまともに受ければ粉々にされかねない。
それをララは、するり、するりと寸前のところで躱してゆく。
紙一重の見切りだ。
いや、違う。
捉えられているところを、命中していながらするりと、滑らせている。
アスモデウスの使徒の奥義のひとつであり、媚毒の使いのひとつだ。
発汗を潤滑剤のように極めて摩擦を軽減せしめる成分にする技。
これを性交の際に使ったり、捕らわれた状態から抜け出すのに使えるが、今回はガズーの拳を滑らせて直撃を免れている。
だが摩擦を殺して威力を逸らしてなお、ガズーの剛拳は骨に響く。
拳を受けているララの腕が腫れ、その表情にも苦痛が見て取れる。
「ララ殿!」
加えて、この技も副導師に昇進してから正式に授けられる技である。
未だ熟達していないララは、この潤滑成分に富んだ発汗を途切れさせてしまう。
拳が、芯に近づきはじめていた。




