第三十五話
ジェラールが、顔をそむけながら囚われの美女へ挨拶をする。
「は、はじめまして、ジェラールと申します」
「……あなたが、ジェラール様?」
メルルナが、鉄格子ぎりぎりまでやってきて、ジェラールの顔を見詰めてくる。
吸い込まれそうなその瞳に、しどろもどろに視線を彷徨わせた。
メルルナが、嘆息する。
「はじめまして? 十年ぶりではございませんこと? 随分と冷淡な挨拶ですこと。わたくしをお忘れですの?」
「…………いやー、その……」
「ベルフェゴールの使徒から足を洗ったのは、見ればわかりますわ。しかし、どうして誤魔化そうとなさるのかしら」
「いや、ほら、あの、私、もう、洗礼を受けておりまして……」
「足を洗ったとおっしゃる? 過去は消せませんわよ」
「……はい。それを、ユーグ殿のお話を聞いて痛感しております」
ララが、目をしばたいてふたりを見比べる。
「お知り合いだったのですか、おふたりは?」
「はぁ、まぁ……その、十年前に少し」
「ララちゃん、この殿方はベルフェゴール式剣術の天才ですわ。機械仕掛けの凶剣とあだ名された、フォントノワの戦いで最も恐れられた剣士のひとり」
「まぁ!」
目を丸くするララだが、ジェラールは渋い顔だ。
「……やめてください、メルルナ殿」
「褒めておりますのに。ですが、よろしくてよ。あなた様が味方になってくださるならば、万事安心ですわ」
両手を合わせて頬に添え、満悦の笑みを浮かべるメルルナ。
だがその両目が、儲けが出た時の商人の鋭さに光っていたのをジェラールは見た。
ジェラールが深く溜息を吐き、観念したように声を絞り出す。
「メルルナ殿、私は無為な人死を避けるためにララ殿についてきました。しかし、未だに経緯を把握しきっておりません。何故あなたはこんなところにいるのですか?」
「……事情が込み入っておりますわ。十年前の話と、三年前の話がございますの。十年前の話はララちゃんの疑問が、三年前の話はジェラール様の疑問が解けることでしょう」
メルルナが、ジェラールという名を強調して微笑みかけてきた。
それになんとも居心地が悪くなる。
「ジェラール様の疑問が氷解に至れば、わたくしの脱出のお手伝いをしていただけますね?」
「……人の死が少なくなる方策に至るならば」
「本日はフォルセウス様がアヴランシュの町へ行っていらっしゃる日ね?」
「はい、そうです。明日までは戻らぬと」
「なら、まずはここで話を聞いていただいてご納得して……いえ、お待ちになって」
メルルナが、少しだけ考える仕草をする。
「ララちゃん、本当に今日誰にも見つからなかったわね?」
「え? あの……ジェラール様に怪しまれましたわ。しかし、途中で完全に撒いたはずです」
ねぇ? とララがジェラールに可愛らしく上目遣いをする。
その可憐さに胸キュンしそうになってたまらず視線を逸らした。
「はい。昼は後を追いましたが、結局見失いましたよ」
「……それをフォルセウス様には報告なさった?」
「お話しましたが、見間違いだったかもしれないとは申し上げています」
「だからアヴランシュの町へ行く前、わたくしの様子を見に来た時に、少し様子がおかしかったのね。ジェラール様、時間が惜しいわ。もしかするとフォルセウス様が帰ってくるかもしれませんわ」
「え、しかし潮が……あっ」
「ええ、夜中に引くはずよ。あの方ならば、夜のうちにまたアヴランシュの町に往復して帰ることもできましょう。ジェラール様、先にどうかわたくしの内に施されたフォルセウス様のマナの封印を解いてくださらないかしら?」
「……あの、やはりメルルナ殿を監禁しているのは……」
フォルセウスなのだろうか。
この牢が院長室から通じているのだ。
無関係なはずはない。
だが解せない。
あれほど苛烈な思想の男が、どうしてアスモデウスの導師を監禁して、誅滅せぬのか。
だがその思考が、メルルナの小さくも鋭い声に遮られる。
「! ふたりとも、隠れて」
鉄格子越しに、メルルナが袖を翻せば、ララの持っている燭台の火が掌風で消えた。
そのまま、洞窟の奥を指し示す。
ごつごつとした岩肌が残っており、ふたりが隠れるくらいはできそうだ。
それと同時、メルルナからむっと甘い匂いが立ち上る。
媚香だ。
ララが道具を使って起こした毒を、メルルナは自ら発することができるらしい。
驚いていると、入り口の方から微かに音がした。
誰かが、来る。
慌ててララともつれ合うように洞窟の岩陰に隠れた。
靴音が近づいてくる。
「……何をしゃべっていた?」
果たして現れたのは、フォルセウスであった。




