第三十三話
夜の闇に浮かぶ白いかんばぜが、うっそりと媚笑する。
「来てくれると思っておりましたわ、ジェラール様」
「やはり昼に見たのはララ殿でしたか」
「ええ、伯母上に会うためですわ」
それは嘘ではなかったのかと、ジェラールが少し意表を突かれた。
だがおそらくそれはただの事実で、真実を明らかにしていない。
「私に何の御用ですか?」
「まずはお礼を申し上げたくて」
途端、ララが恥じらうように視線をそらす。
そしてその恥じらいを懸命に我慢して告白するような仕草。
一挙一動が男の心をくすぐる媚態の演出。
だが、それでもつい心の中に保護欲や情欲が鎌首をもたげるのを、ジェラールは懸命に堪えた。
ララが指先で髪先をいらうのなど、そんな、大したことない……そうだ、全然大したことないはずだ!
ジェラールの目は釘付けであった。
「ベルゼブブの導師まで引き付けてくださって、本当に助かりました。もしもジェラール様がいらっしゃらないと、確実にわたくしは捕まっていたと思いますわ」
「……フォルセウス様へ通報をしてくださったのは、ララ殿ではなかったのですか」
「はい。これでも心が咎めておりましたのよ。だって、」
頬に手をあて、ララが頬を桜色に染める。
「本当にわたくしジェラール様をお慕いしておりますのよ、うふふ」
「戯言は結構です」
「睦言ですのにぃ」
すげなく返されて裾で目元をぬぐう芝居は、わざとらしいくせに可愛らしいものであった。
「……ララ殿、もう良いでしょう。あなたの本当の目的を教えてください」
「そうですわね。ああ、でも、ねぇ、ジェラール様。その前にわたくし、ジェラール様に確認したいことがございますの」
「……なんですか?」
「ジェラール様はベルフェゴールの使徒ですね」
夜が張り詰めた。
静寂が、ふたりの間に横たわる。
それを先に押しのけたのはジェラールの声だった。
「……だったら、どうだと言うのです」
絞り出すような声。
その様子にララは、小さな子供が拗ねるのを愛でるような気持になり、身を震わせて熱い吐息を零した。
「悪しざまにののしるつもりではございませんわ。むしろ、そうであることを歓迎いたしますの、わたくし」
ジェラールが、大きく息を吐く。
ララの真意を問い質すためには、まずは己から腹を割るしかあるまい。
「……そうです。私はかつて、ベルフェゴールの使徒に使われる、道具だった」
ちらりと、ララが唇を舐めた。
「やはり、あの体術はそうだったのですね」
「当時の導師に学びました」
ベルフェゴール式の武術は、効率を突き詰めて練り上げられたものである。
体の仕組みを論理的に破壊し、効率的に制する。
達人になればマナを使う必要すらなく関節を粉砕し、内臓を破壊するのだ。
いや。
子供であろうともその理論を完璧に修めれば、達人にすら勝てる。
それがベルフェゴール式の武術の神髄であった。
媚香の毒に中てられた弱体化状態で、最も適切な武術と言えるだろう。
あの夜にジェラールから逃げたララは、分析してベルフェゴール式体術に行き着いた、といったところか。
「ねぇジェラール様、そのベルフェゴール式の技で教会の方々をたくさん害しましたの?」
「……だから今、私は各地を巡っております」
ああ、とララが納得したような顔になる。
ジェラールの巡礼とは、つまりベルフェゴールの使徒であった贖罪の旅なのかと今ようやく察する。
「そして教会の側に回って、今度はわたくし達を?」
「違います。そうではありません。私でも回心ができた。だからララ殿達にも……聖なる教えに帰順して心晴れやかに生きる欲しい。私はそれを望んでいるのです」
「ならば、わたくし達アスモデウスの使徒が、ベルゼブブの使徒に蹂躙されるのを、見殺しにしませんか?」
ララがジェラールの懐へと踏み込んで来た。
そしてしゃなりと、胸にもたれかかり、上目遣いに切々とした声をささやいてくる。
保護欲をそそらせてくる、いじらしいまでの乙女の声音。
「そ、それは……はい、回心をしていただくためには、悪魔の教えに堕したまま死するのを見過ごすわけには……」
「では最初にお会いした時のように、助けてくださいますか?」
「え……は、はい……え? あれ?」
なんだかどんどんとララに流されている気がする。
だがはいと返事をしたところで、花咲くようにララが微笑んで頬を胸板に摺り寄せてくる。
「嬉しい。ジェラール様ならば、きっとわたくし達を助けてくださると信じておりました。今のお言葉、きっと、きっと守ってくださるとわたくし疑いませんわ」
「ラ、ララ殿、あなたは私に何をさせたいのですか……」
「うふふ、ついてきてくださいまし、こちらへ」
ララが、身を翻して壁際へと歩み寄る。
本棚が、そこにあった。
そこに並ぶ書の一冊をララが押し込むと、本棚が横に滑り始めた。
「なっ……これは!?」
そして隠れていた、洞窟の入り口がぽっかりと姿を現す。




