第百十話
「血ですって……!?」
「死んでしまったまま動く。それは、血が自分で作れなくなったということ」
ポリーヌの視線が、手当したばかりのジェラールの手に結ばれる。
その瞼を、意識して閉ざした。
「私は人から血を飲まねば、息絶えてしまう……化け物になってしまっていました」
「それは……」
「神父様の首筋に噛み付いて、血を飲んでからすぐに異常に気付きました。聞こえなかった音が聞こえて、見えなかった闇の中が見えるようになって……力が……力が、強くなりすぎているのです」
「力が?」
「はい」
ポリーヌが砕けた石畳の欠片を拾い上げる。
拳大の石だ。
それを、一握りで粉々にしてしまった。
「なっ!?」
「……それから力加減を覚えるまで日常生活にも支障をきたしました。何よりも……日が、日の光が……火傷してしまう程に強烈に感じてしまうようになったのです」
「それで折りたたんだ完全鎧の中に……」
「肉体の全てが、鋭敏になりすぎている。神父様はそうおっしゃいました」
「松明の火は大丈夫なのでしょうか?」
「はい……太陽の光というのは、実は複数の光が束になっているのです。その中に、人の体を強く刺すものがあり、私にはそれが堪えるのです」
「どうして、そんな……」
「人の体には、制限がかかっています。強すぎる力は、自らの肉体を痛めかねません……私は、死んでしまったことでその制限が取り払われた、というのが長い旅から得た推論です」
なるほどと、ジェラールは無意識に納得の言葉を零した。
教会者の修行も、悪魔教の修行も肉体の限界を引き出す修行でもある。
その、自らの肉体を痛めかねない損傷を防ぐのもマナやオウルの役割だ。
「そしてこの体になってから、老いていません。ずっと、生きつないでいるのです」
話の流れから、そうだとは把握できていた。
しかし実際に言われてもジェラールの胸中は驚愕に染まる。
「ルシファーの使徒が、その理由を知りたがるわけだ」
「はい。ルシファーの使徒にとって、衰えるということほど耐え難いものはないでしょうから。だから私に永遠を見出し、自らのものにしようと襲い掛かってくるのです」
でも。
今にも泣きそうな顔でポリーヌが声を震わせる。
「でも……私に永遠なんてなかった……太陽に怯えて、人のやさしい営みから疎外されて……孤独な絶望しか、なかった……戻りたい。老いたいのです。私に手を差し伸べてくれたけど、先に天に召された方々に、追いつきたいのです……私はずっと、置き去りにされてばかり……」
ポリーヌのまなざしは、冷たい。
だがその心の中で涙と血を流しているのは、良く見えた。
「……よく、頑張りましたね」
ふと零した言葉に、ポリーヌが面食らう。
しまった、気安すぎたかと思ったが、違ったようだ。
ポリーヌが頬を綻ばせて、微苦笑になった。
「……オーギュスタンさんにも、同じように言われました。よく頑張ったな、って」
「そうですか……ふふ、言いそうですね、彼ならば」
「この三十年くらいは、もう諦めて人里から離れて暮らしていました。でもある日、ルシファーの使徒に追われて満身創痍のオーギュスタンさんに出会って、その……力を使ってしまい、身の上を話して……」
そう慰められたのだとポリーヌは恥ずかし気に言う。
「それからオーギュスタンさんに、元に戻る方法の手伝いを買って出てもらいました。そして今の体のままで、だけど人間と同じようになる、という方法を考え付いたのです」
「それが」
「はい。ベルフェゴールの使徒のオウルの扱いに着目したものです。突き詰めて言えば、この体は効率が良すぎるのです。血などという栄養で力を発揮する効率。暗闇ですら見るために必要な光の効率、太陽の光を吸収する効率」
「なるほど、だからその逆を」
ポリーヌはある意味でベルフェゴールの使徒の理想だ。
怠惰の極みへとつながり得る肉体。
故に、その逆。
ようやく話が自分につながった。
ベルフェゴールの使徒というのは、おそらく悪魔教で最も見つけにくい。
ほぼほぼ自分の手を汚さずに済むように、暗躍をするものだ。
そうでなければ、対外的に活動をせずに引きこもっている。
加えて入門して身の上を慮ってくれる者などいるかどうか。
見つけやすく、話しやすい。
なるほど、ジェラールは適任だと思った。




