第百二話
煌々と月の照る夜だった。
雲もなく、月と星の光が静かに地上へ降り注ぐ。
平野の細々とした街道を、馬を伴った旅人の姿がふたつあった。
ひとつは全身を鎧で覆った騎士。
肌の露出のない完全鎧が夜に動く様相は、恐怖譚に謳われそうなものだった。
もうひとつは慎ましげな少女の姿。
馬に行儀よく乗っているのはこちらだが、侍女の格好をしていた。
騎士を差し置いて馬に乗っているわけだが、果たして随分と青白いその肌の色のせいだろうか。
「月の明るい夜だな。調子、いいんじゃないか?」
騎士が馬上へ語り掛ける。
侍女が、控えめに頷いて儚げな微笑をした。
「はい、とても落ち着きます」
「そうか。もし腹が減ったら言うんだぞ。お前は遠慮するからなぁ」
「……はい」
少し困ったように、侍女がうつむいた。
「遠慮してしまう気持ちは、分かるけどな」
自分で言いながら、騎士はこれが慰めになってないと自覚する。
がちゃがちゃと、全身鎧の上から兜を叩いて軽い自戒。
そして気持ちを切り替えて言った。
「次こそは、上手くいくさ」
励ましの熱に満ちた言葉だった。
それに触れて侍女が顔を上げる。
これまで何度も絶望に打ちひしがれたが、この騎士についていけば。
そんな希望を伴った顔だった。
ふと、騎士が馬を止めて剣に手をかけた。
前方から、高速で近づく者達がいる。
ふたりと馬の前で疾駆を止めたのはふたりの修道士だった。
身ごなしから、緑天派かと騎士が予想をつける。
「このような夜更けに旅とは危険だな、騎士殿」
修道士のひとりが鋭い声をかけてくる。
たしなめる色が七割と、気遣い色が三割と言ったところだ。
騎士が首を振り、完全兜から言葉を放つ。
「連れ合いが日中に伏せっておりまして。夜間に急がねばなりません」
馬上の侍女が、恥ずかしげにそっと身をすくめた。
青白い肌は、なるほど調子が悪そうだ。
「それは難儀な旅路」
「よろしければマナを施して進ぜよう」
「いえ、私にも多少心得があります。既に連れ合いの調子は戻っているのですよ。外見では判断しにくいのですが」
修道士が、顔を見合わせた。
「それに、おふたりは緑天派の修道士でしょう。緑天派が駆け回る以上、勤行がおありとお見受けします。お手を煩わせるまでもありません」
「そう言われるならば」
「どこかで教会の裏切り者が出ましたかな?」
緑天派が動く理由の大半である。
修道士のひとりが頷いた。
「獅子身中の虫を追う最中だ」
「悪魔教なのでしょうか」
「ベルフェゴールの使徒と、アスモデウスの使徒を渡り歩いた罪人よ。後一歩追い詰めたが、川を伝い逃げおった」
ぴくりと侍女の眉が動いた。
「騎士殿、もしも腕と足を骨折した男を見つければ、父と子と聖霊の御名において即座に斬り殺すのだ。教会に殺した証を立てれば報奨も出よう」
「それは重畳。その罪人の名は、もしやジェラールというのでは?」
「知っておったか」
「噂に聞いております。なんでも聖ミカエルの山をめちゃくちゃにしたとか」
「そうだ。奴のせいで今、聖ミカエルの山は修道院長を欠いた惨状よ」
「緑天派の方々が追い詰めるに足るだけの仕出かしがあるわけだ」
騎士が、剣を抜いて切っ先を天に、柄を胸元に添えた。
「放浪の騎士オーギュスタン、委細承知仕りました。もしもジェラールめに出会えば、忠実なる神の僕として魂に沿う戦いへ身を投じましょう」
その宣誓に修道士達は感心した様子だ。
そして侍女も、その誓いに目を見開く。
「もっとも、緑天派の方々が勤行を終えるのが先かもしれません。どうか、私達のことは捨て置きください」
「かたじけない」
「おふたりに、神の御加護がありますよう」
「エィメン」
そうして緑天派のふたりが、颯爽と駆け去って行った。
騎士オーギュスタンは十分に距離ができたのを確認してから、侍女へ視線を向ける。
侍女も、真剣な顔で頷きを返した。
「ポリーヌ、先に見つけるぞ」
「はい」
「君は嫌かもしれないが……後で俺を存分に吸い尽くしてくれていい。今、全力を出して欲しい」
「分かってます」
ざわり、とポリーヌと呼ばれた侍女の神が水面にたゆたうようにざわついた。
そして形良く可愛らしい鼻腔を通して空気を捉える。
「まずはあちらの方角にある川へ参りましょう」
「よし。下流側で、匂いを探ろう。血が出ていると良いのだが。いや、致命傷の可能性が高くなるから、良くはないが発見しやすくなるという意味で良い」
「そう説明されなくても、分かりますよ」
オーギュスタンが馬に乗った。
ポリーヌがその背にぎゅっとしがみつく。
「馬鹿な人。あんな誓いをして。私には正しく伝わりました、その意味が」
「騎士たるもの、婦女を貴ぶものだ。俺は、君を貴んでいるだけだよ」
「だからって、場合によっては緑天派と戦ってもいいなんて……」
「言いっこなしだ」
オーギュスタンが馬に拍車をかける。
堂に入った手綱捌きで川の方面へと駆けた。
途中、まるで夜の闇を何処までも見通せるような視線をポリーヌが巡らせ、木の葉の落ちる音すら聞き分ける意気を込めるように耳を澄ませる。
「もう少し右へ」
そして的確な指示がポリーヌから飛んだ。
最短の距離で、馬は川のほとりへとたどり着く。
ポリーヌが神経を研ぎ澄ませて、匂いを辿る。
「います。血の匂いが上流から」
いくつかの支流を適切に取捨選択し、そしてそのほとりにふたりは見つける。
あらざる方向へと手足を一本ずつ曲げ、口元を血で汚す満身創痍の男を。




