第百一話
煌々と月の照る夜だった。
雲もなく、月と星の光が静かに地上へ降り注ぐ。
もしもこれが平野の街道であれば、きっと灯りも付けずに歩くのも一興だったかもしれない。
だが森の中はそうはいかない。
うっそうと茂る枝葉は五歩先を闇に隠し、人の目を欺く。
だというのに。
その日、その森に八つの人影が縦横に飛び交っていた。
逃げる影はひとつ。
追う影は七つ。
黄天派の身ごなしで、するりするりと木々を目まぐるしく避けては駆ける姿こそ、ジェラール。
常人には風が通り過ぎただけと誤解しかねないその速度は、森の中でも健在だ。
しかし七つの影は、それにぴたりとついてくる。
じわり、じわりと包囲されているのをジェラールは肌で感じた。
開けた場所に行き合えば、封殺されてしまうだろう。
「くっ……!」
苦し紛れの様に、地を跳んで幹を蹴り、枝を伝う立体的な機動へ移る。
身を叩く枝葉が煩わしい。
視界だけは確保しながら、逃げ続けた。
追跡者達は四人がジェラールと同じ高さを走り、残り三人は地を駆けながら睨みつけてくる。
時折、木々よりも高い位置へ跳躍して速度を稼ぐ。
遮るものの何もない空を、大いに飛翔した。
満月を背に、ジェラールが矢の様に夜空を疾る。
もしも目撃者がいればくっきりと映るその黒い影姿は、高僧から一目散に逃げている悪魔にでも見えたのではないだろうか。
ふと、天空でジェラールは森が途切れているのを見た。
崖になっているのだ。
必死で地図を思い浮かべれば、確か崖の下は川になっているはずだ。
飛び込むしかない。
空を逃走経路にして、地上の三人からは距離を取れた。
だが木々の高さを利用する四人も同じく、空を高く跳び上がって追ってくる。
四人の粛然たる修道士の姿が、月夜に浮かび上がる。
ふたりの位置が、ふたりよりも高い。
「しまった!?」
低いふたりがくるりと天地上下を逆転させる。
高いふたりが、ぐっと足を折りたたむ。
低いふたりが、高いふたりの足裏にさかさまに着地した。
瞬間、低いふたりが高いふたりにより蹴られて、発射される。
ジェラールは寸前で身を躱し、ひとりの直撃を免れた。
だがもうひとりの流星めいた爪先蹴りを、痛烈に腹部に受けて地上へと堕ちる。
「ぐうううおお!」
ずがん
と、したたかに地に叩きつけられるジェラールは、口から血を吐きながらすぐに身を起す。
そこに、突貫を外して先に着地していた修道士が掴みかかってくる。
ばし、ばし、ばし、と三手の掌打による攻防で、お互いを弾き合う。
後退するジェラールは、すぐに身をかがめた。
頭上すれすれを、背後からの蹴りが通り過ぎる。
空中で蹴りをくれた修道士の一撃だ。
前後で連携して掴みかかってくる。
それを、ジェラールは必死の応酬で捌いた。
このままではいけない。
ぶたりでこれだ。
これ以上来ると。
焦燥に駆られ、一手甘くなる。
そこを突かれて、ジェラールの右腕が取られた。
一瞬だけ拮抗。
その拮抗に、もうひとりの修道士が拳を突っ込んでくる。
それで、ジェラールは右腕を折られた。
「っ!!!」
曲がってはいけない方向に曲がる腕を、無理やり振って掴まれた手をどうにか振りほどく。
だがその一挙動をする暇すらなかったようだ。
地上を走っていた三人が追い付いてきた。
五人に囲まれてしまったのだ。
ふたりを相手に、何とか捌いていた掌術ももはや追いつかない。
正面から攻め立てる三人に手いっぱいになり、背後から足を取られた。
浮遊感。
そして、ぶぉん、とジェラールはおもちゃの様に振り回される。
ずがんと、樹の幹に叩きつけられてジェラールが呻く。
内臓が悲鳴を上げ、掴まれている足も折れた。
叩きつけられた木の幹が砕けてめきめきと倒れていく。
「フォントノワの亡霊よ、今こそ重ねた罪に殉じる時ぞ!」
修道士の声が朗々と夜の森に響いた。
ジェラールを麦穂か何かの様に振りかぶり、
「エェェェェェイメェェェェェン!」
渾身の力で振り下ろす。
地に叩きつけられ、頭蓋骨が粉々になる幻視。
「う、おおおおお!!!」
ジェラールはがむしゃらに、しかし的確な武学で以って掴んでくる手の、親指を踏み砕いた。
振られる力を利用する、ベルフェゴール式武術の精華だ。
ジェラールを振り回す力の強さにこの効果が比例する。
そして振り回されている途中でジェラールが、勢いよくすっぽ抜ける形になった。
その威勢を黄天派の身ごなしで整えれば、空中を狙い通り飛んでいく。
そう、崖へ。
「いかん! 奴は落ちてでも逃げるつもりだ!」
「逃がすな!」
七人が慌ててジェラールを追うが、確殺の気勢を込めた一手を利用した逃走だ。
寸前で、ジェラールの方が先に崖の向こうへと消えていく。
高さの確認や崖下に何があるかを確認するため、縁で七人はどうしても足を止めた。
遥か眼下で小さくぼちゃんと聞こえたのとそれは同時だった。




