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旅のジェラール  作者: ローリング蕎麦ット
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第九十九話


 時が止まったようだった。


 心臓を打つジェラールも。


 心臓を打たれたユーグも。


 それを見守るアスモデウスの使徒達と、ベルゼブブの使徒達も。


 たださざ波の音が静かに場を満たす。


「殺せ」


 やがて潮風に乗って、ユーグからそんな言葉が零れた。


 勝敗は決した。


 オウルの巡りにおける要穴である、心臓にジェラールのマナが撃ち込まれたのだ。


 それはまるで川の流れが、土石によりせき止められるに等しい。


 これでユーグはオウルを運行しようとも滞り十全な力を発揮できない。


 すでに、背に光り輝いていたふたつのダァトも消え失せていた。


「それはできません」


「あそこにいる教皇特使に引き渡すというわけか」


「はい。どうか、教皇聖下の裁きに身を委ねていただきますよう」


 そんなジェラールの言葉で弾けたように、咆哮がふたつ鳴り響いた。


 ガズーとダズーの兄弟が、突っ込んでくる。


 しかしジェラールが剣を構えるより、アスモデウスの使徒達が対応するよりもも先に、ユーグ自身が手で制する。


「導師ユーグ!」


「導師ユーグ!」


「……下がれふたりとも。お前たちに、最後の命令を言い渡す」


 ガズーとダズーが、二の足を踏んで悲痛なまでの顔になる。


 悲しさと、悔しさと、切なさと、やるせなさと、嘆きと。


 あらゆる感情がないまぜになった顔。


「ガズー。略式だが導師の印可を与える。速やかに、場の者を纏めて撤退せよ。ダズーよ、お前は副導師として兄をよく補佐するのだ」


「導師ユーグ!」


「導師ユーグ!」


「命令だ!」


 オウルを封じられれば、およそ力を込めるということも難しくなる。


 だというのに、その大音声は腹に響いた。


 しかし次に漏れたユーグの言葉は、一転して女々しいまでのものだった。


「……すまなかったな、お前達。俺の痴情のもつれに付き合わせて」


「謝ることなどありません!」


「導師ユーグの行いは、アスモデウスの使徒達にも赤天派にも大いに打撃を与えました。これほど痛快なことはありません!」


「我らは導師ユーグに救われた者達! ならば地獄まで……」


 ガズーも、ダズーも、ベルゼブブの使徒達は全員が涙を流していた。


 この場にいる者達は全員、ユーグに目をかけられていた者だ。


 しかし順風満帆な道行だったわけではない。


 前任の導師に冷遇された者、見捨てられていた者達。


 それをユーグが掬い上げらた。


 あるいは既にできていた派閥に対抗するための人選だったかもしれない。


 それでもこの場にいる者達にとって、ユーグは希望を授けてくれる旗手であったのは間違いない。


 だがユーグは、断固として首を横に振った。


「駄目だ。お前達は俺の教えを……絶やさずにつなげ」


 ダズーや、何人かは膝を屈しそうになる。


「……再びベルゼブブ様の御許にてお会いいたしましょう」


 ガズーの言葉に、ユーグが微かに頷いた。


 ベルゼブブの使徒達が、意を決して踵を返してゆく。


 その去り際は、一糸乱れぬ統率されたものだった。


 アスモデウスの使徒達の中には、追撃をしたそうな者もいたがララは首を振って制する。


 ジェラールも安堵をした。


 どちらかを、徹底して叩くよりは均衡を保っていて欲しいところだ。


 もっとも、この地方において勢威ある赤天派、アスモデウスの使徒、ベルゼブブの使徒の首魁がそろって失われたのだ。


 いやでもしばらくの間は、静かにならざるを得ないだろう。


「では師兄……ユーグ殿をお願いします」


「もうお前の兄弟子ではない」


「あっ……失礼しました」


 ギィが動き出す。


 緋色の僧衣に、アスモデウスの使徒達の反発した視線が集中していた。


 ベルゼブブの使徒達と戦ったのは、自分達であるのに。


 教会に手柄をかすめ取られる、という感覚だろう。


 もっとも、今回の功労はジェラールあってのもの。


 異を唱える者はいない。


「納得いきませんな」


 そう思われていた。


 セドリックが、ギィの前に立ちふさがる。


「メルルナ様を殺されて、このまま導師ユーグを連れ去られてはアスモデウスの使徒の面目が立ちません」


「では導師ユーグを半分に割って分け合うか? 我らは右半分を審問にかけ、貴様らは左半分をアスモデウスに捧げるがいい」


「冗談を!」


「だが貴様らアスモデウスの使徒のみで成した戦利ではあるまい」


「……そうだ、誰が見てもジェラール殿の手柄だ」


「そのジェラールが、良しとしているのだ」


「ならばジェラール殿が連行するのは、見過ごそう。貴様ら教会がしゃしゃり出るのは、気に食わん」


 ギィが涼し気に苦笑した。


「事情がある。奴が連行するには、導師ユーグは少し重いのだ」


「……ジェラール殿」


「はい、あのぅ……ギィ殿の言う通りでして。どうか、このような決着では……」


 ご納得していただけないでしょうか?


 と、先ほどまでの死者の静けさと生者の精気を併せた、圧倒してくるようなたずまいも霧散してジェラールの腰が低くなる。


「納得いきませんな」


「あの、ではどうすれば……?」


「ジェラール殿がアスモデウスの使徒に入門してくだされば、身内の願いを聞き届けましょう」


 ギィが弾けるように笑った。


「破門されて即座に勧誘されるとはな」


 ジェラールは、目をつむって天を仰いでいる。


 本気で、悩んでいる様子だった。


 その服の裾を、


 くい


 と控えめに引く手があった。


 ララ。


 淑やかに、ジェラールの耳元へと口を近づけて小さく言葉を届ける。


 それにジェラールが、軽く目を見開いて、


「……分かりました。アスモデウスの使徒に入門いたします」


 砂浜に、女達の喝采が響き渡った。


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