√ 2話 婚約者の出現
「おっす」
「光一、おはよう」
下駄箱で見慣れた顔を見つける。
矢崎 光一だ。
「チキショー! 相変わらず朝から見せつけてくれるぜ!」
「何がだよ」
「ほら風凪姉妹だよっ! 羨ましいッ!」
ツンツンと立てた髪をしきりに揺らしながら、光一は僕の肩をバンバンと叩く。
「この風吹学園の憧れの姉妹。告白して屍になった数知らずの私怨をその身に受けるが良い!」
「朝一から呪いかけられるとか、どんな業を背負ったの僕は」
うだうだと喋りながら二階へ上がる。
風吹学園は三年生が一階、二年生な二階、一年生が一階となっている。
故に、若い者が苦労しろシステムなのだ。
「……そうそう。なんか今日一階が騒がしくねぇか」
「三年が春祭りの準備してるだけじゃないの?」
「いーんや、そうじゃないとみた。俺のマジカルアイは先輩らのスカートのはためきすら見逃さないぜ」
「アテにならないマジカルアイだなぁ」
にしても、だ。
光一の言う通り確かにいつも雰囲気が違う。
何というか学校自体がふわふわしてるというか、まるで有名人でも来たかのような……。
僕でも察するぐらいには、
「あっ、あっ、あぁあああああ!」
突然隣で光一が震え出した。
指で何かを示している。
「声が大きいって。……何を言って……?」
「俺じゃなくて、あれ、あれ見ろって晴之!」
「 んー? 珍しいね、海外からの留学生かな」
「ばっか! バカ晴之! あの子知らないのか? もうここ通って2年だぞ! 写真部の美少女ガイドぐらい買えよ!」
白銀に波打つ髪にルビーの瞳。
我が校の制服を着ているが、明らかに浮いている子がいた。
廊下がその子を中心にぱっくり割れる。
視線を独り占めする程の美少女。けれど、少しだけ懐かしい気持ちになるのは何故だろう。
「風吹 アリス。この学園理事の一人娘さんだっての! お前も最低限、新入生美少女コレクションの写真ぐらい見とけよなぁ」
「そりゃ知らないはずだよ。買ったこともないし」
「かーっ、これだからラブハンターは違うぜ」
「光一のネーミングセンスってほんと残念だよね」
あっ、目があった気がする。
「おい、アリスちゃんが俺を見てるぜ」
かつかつとゆっくりとした足取りでこちらへ歩いてくる。
「ひょー! キタキタキタ!」
「……久しぶりだね、晴ちゃん」
「へ? 晴ちゃんって」
アリスと呼ばれる少女は僕の手を握ってぎゅっと胸に手繰り寄せる。
「忘れたとは言わせないんだからね。……貴方の婚約者のお帰りですよーっと」
待て、wait、ストップ。
「はぁー?!!」
「ちょっとどいて! 新聞部のお通りよ! スクープ、大スクープなんだから!」
「ってことは?」
「風凪姉妹はドフリー?」
「春風が来たああああ! 春野は腹でもくだせ!」
「また春野くんじゃん! 頭痛に襲われろ!」
——騒つく廊下と、聞こえる罵詈雑言。
そしていつしか僕らを取り囲むように円ができていた。
光一は餌を求める鯉の如く、パクパクと口を動かし、裏切者と、憎しみを込めて握り拳を作っている。
いや待て親友よ、これは何かの誤解だ。
僕は懸命に助けを求めるも、光一は心ここにあらずらしく、虚ろな目で僕を見ていた。
「ぴこーん! こうすれば思い出せるかな」
ゴムで長い髪を二つに結ぶ。
いわゆるツインテールだ。
「まさか、その髪型。アリス、アリちゃん?」
「わーい、思い出してくれた? 会いたかったよー!」
「ちょっ、抱きつかないで!」
わふーと陽気にハグする彼女は、もう僕の知ってるアリちゃんではなかった。
昔はよくちょこちょこと僕の後ろをくっついていたのに。
今ではすっかり色んなところが育ってしまっている。
「ねっ、ねっ、アリス今日からここに通うんだけどね。晴ちゃんに案内して欲しいなーって」
「いや! ほら、それは先生とかクラスメイトの役割だから! それに学年も違うからさ! 積もる話はまた今度に……」
こんな場面、雪華にでも見られてたらと思うと。
うん、美冬姉より怖い……。
「雪華、今日は朝から校門前での風紀委員の活動だよね。ふぅ、良かった」
ぶるっと身震いと共に背中に冷気を感じた。
あれ、おかしいなぁ。
寒気がするぞ。
「挨拶は二度目ですね。おはようございます。……もう、朝から騒がしいですよ。に・い・さ・ん」
「ヒッ」
あぁ、そういう訳か。
うん。僕をそう呼ぶのは、雪華しかいないもんね。
「晴ちゃん、何かすごーい怖い人が後ろに立ってるよ」
「アリちゃんゴメン。今は振り返れそうにないや」
「兄さん何かやましい事でも? さて、アリスさんは私と同じクラスなので案内はこちらで」
「えぇー! アリスは晴ちゃんにして欲しいのに」
「後で、じっくり話をする機会を作りますね。ねぇ……兄さん?」
つまり、逃げたら殺すってことか。
退路はないし、慈悲もないよ(にっこり)
そんな雪華の顔が浮かんで、ツツーッと冷や汗が背に伝う。
「はい、すいません。宜しくお願い致します」
「……逃げたら、許さないから」
ぼそり、後ろから釘をさされる。
「じゃあね晴ちゃん! 後でゆっくり話しようね」
「兄さん、それではまた後で」
雪華と目が合うが、思わず逸らしてしまう。
だって、目が一切笑ってないのだから仕方ない。
多分一年ぐらい寿命を取られる気がする。
それとは逆にアリスは最後まで陽気に手を振っていた。
よほどの大物なのか、それとも単に鈍いのか。
僕は朝から胃がキリキリと痛むのだった。