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物が捨てられない人が読むと面白いかも。
「不要なモノとはなんだ?」
恐らくこの問いに対し、過半数の人間から肯定を得られるであろう解の1つが、"ゴミ"だ。
単純明快。
しかしそれは、あくまで人間の主観だ。
いや別に、人によって、そのモノがゴミなのか利用価値があるモノと見えるのかという話ではないよ。
そう、ボクは別に、例えば段ボールが家を持つ人にとってはゴミで、ホームレスの人にとっては布団になるからゴミじゃない、なんてことを言いたいんじゃない。
ゴミという感覚そのものが、人間という生き物、もっと言えば『存在』からの主観でしかない。
ところで、ゴミで溢れかえった家を『ゴミ屋敷』なんて言葉で表現するけれど、そんな家に住んでいる人は、"私はいまからゴミ屋敷に帰るのだ。"と前向きに帰れるだろうか?
答えはきっと、ノーだ。
きっと誰もが、自分の帰る場所を蔑ろにしたくはないし、されたくもないだろう。
だってそれはあまりにも、哀しいこと。
だからボクは―――。
1階からボクの部屋へと続く階段の下から、今日もアレは叫んでいる。
「波絃ー!夕飯よ!今日も下りてこない気ぃー?」
足音が部屋の前で止まっても、ボクはリアクションを起こさない。
別にボクは引きこもってるわけじゃない。
ただ、いまのボクの部屋の状況を他人の誰にも知られないために、自宅警備員をしているだけ。
そう、引きこもってるわけじゃない。どちらかと言えば立てこもっているんだ。
恐らくボク以外の人間がこの部屋に入れば、"ゴミ"という言葉をこいつらに吐きかけ、処分を促し、人が良ければゴミの日まで教えてくれることだろう。
ボクにとってはそれは、要らない世話以外のなにものでもないけれど。
だってこいつらは、ゴミではないのだから。
「全く…、これを使いたくはなかったけど、仕方ないわね。」
なんだ?とボクが思ったのと同時に部屋の扉からガチャリという音が聴こえた。
「はぁ、やっぱりこうなっちゃってるのね…。」
廊下からの明かりが差し込んでくるのとほぼ同時に、ボクの部屋にその言葉は投げ込まれた。
目の前で呆れて頭を抱えているのは、ボクの姉。
ボクとの年齢は6つ離れていて、両親と冷戦および別居状態のいまは、ボクの保護者のようなものだ。
「奈鉉さん。ボクはもう18なんだよ?この年の男の子の部屋に合鍵まで作って侵入を試みるのは、さすがにプライバシーに関わると思うんだけど。」
奈鉉は片手で雑に頭を掻くと、ボクに半目の視線を送る。
「そーんなの、時と場合によるわよ。2人姉弟で、下の子が引きこもってるなら、その世話を意地でもするのが上である姉の役割でしょうが。」
それにしても、と奈鉉は台詞を続ける。
「相変わらず、まだこんなもの残してるのね。この奈鉉さんだって、呆れるのを通り越して尊敬しそうな勢いよ、その執念に関してだけは。」
「…いらないよ、そんな尊敬。これは執念なんて大層なものじゃないし。」
ボクはそこに1拍挟み、姉に告げる。
「それより、ボクの部屋にあるものに対して"こんなもの"呼ばわりするなんて。姉さん、祟られるよ?」
ため息と共に微笑をこぼしながら、
「祟るってなにが私を祟るのよ。こんな空箱の山、私に痛みを与えることさえできないわよ。」
奈鉉は応える。
そして突然踵を返し、
「そんじゃ、引きこもりの波絃が下りて来るの待ってたら夕飯冷めちゃうから、もう夕飯持ってくるね。」
言うが早いか動くが早いか、奈鉉は階段を駆け降りていった。
全く、扉くらい閉めていってよ…。
部屋の出入口から差し込む光はボクの部屋の一部を明らかにしている。
それは、家電製品が入っていた空箱や、書店で付けてくれる紙製のブックカバー、ぬいぐるみが入っていたビニール袋といった、人間から見れば不要なものばかりだ。
正直、ボクが生きる上でも不要なものだ。
だけど、捨てることはできない。
突然下の階からガシャーンという金属特有の派手な音が聴こえたが、おおかた、奈鉉がなにか落としたのだろう。
そろそろご飯も届くことだし、部屋の明かりもつけておこう。
10分ほど経ち、奈鉉がボクの部屋の前に戻ってきた。
手先にはなぜか絆創膏。
「よっとっとっといっ。お待たせしましたーっ。デリバリーナヅルの野菜カレーでーすっ。あ、こっちが波絃のね。いっただきまーす!」
「え、ちょっと待ってください奈鉉さん。なんで宅配の奈鉉さんもここで食べるんです?」
ふぇ?とリアクションした奈鉉の口には、既にスプーンが突っ込まれていた。
口からスプーンを出し、当然のように奈鉉は言う。
「いやだって、独りでカレーって物悲しいじゃない。カレーは人を幸せにするって聴いたことあるし、なら二人で一緒に食べて幸せを分かち合った方がいいと思って。」
…要するに、
「独りで食べるのが寂しかったわけですか。」
「ま、それもあるわね。」
奈鉉にしては妙に含みのある言い方。
「それも、って、なに。他になにか目的でもあるの?」
奈鉉は好奇心と心配を混ぜたような、弾んでいるとも沈んでいるともとれる表情で応えた。
「あんたのこのコレクションの山のこと、訊きたくなったのよ。」
なんでいまさら…。
ボクがこいつらを捨てなくなったのは多分小学生の頃からだ。
それなのに、なんで今日なんだ。
「私ね、波絃がこういうのを集めるようになった日のこと、覚えてるのよ。いまでもずっと。」
「そんな…、ボクでも覚えてないよ?」
ボクは笑いながら応えるが、奈鉉の顔はシリアスモードのまま。
「でしょうね、波絃は日付覚えるの下手だから。けど、私は覚えてるの。」
いつの間にか、奈鉉の表情は慈愛に満ちたものとなっていた。
「波絃?あんたの誕生日、何月何日だっけ。」
「…覚えてない。」
やっぱりね、と小さく呟き、
「10月8日。それが佐乃守波絃の誕生日よ。」
奈鉉は答えを明かす。
「そう、だったかな。」
ダメだ、やっぱり思い出せない。
「覚え方は簡単なんだけどね。」
「覚え方?」
それは興味がある。
「そ、覚え方。鶴は千年生きるって言われてるでしょ?だから鶴を意味する1000。そしてあんたはハヅルだから、その1000に8を足す。その数字を日付に合わせると10/08になるのよ。ちなみに私はナヅルだから10月7日。」
「…ややこしいっ!」
真面目に聴いて損した気分だ。
「あんたねー、もっと自分に目を向けてあげなさいよ。自分を見てないから誕生日1つ覚えられないのよ。」
「もうボクの日付の物覚えの悪さは分かったよ。それで?ボクがこういうのを保存するようになったのと、そのボクの誕生日に一体なんの繋がりがあるっていうの。」
奈鉉は一呼吸置き、ボクの目を真っ直ぐ捉え、言葉を紡いだ。
「8年前の波絃の、誕生日プレゼントが入ってた包み紙。それがいまの波絃のコレクションの中では一番古いもののはずよ。」
ボクの呼吸が一瞬止まった。
なんで奈鉉はそんなことを知っているんだ。
「姉さんはどこまで知ってるの?」
「私が知ってるのは事実だけよ。8年前のあの日、佐乃守家は崩壊したんだもの。」
奈鉉は遠い目をして、過去を話し始めた。
「私の16才の誕生日。その日はお父さんも仕事が早く終わったから、家族全員で私の誕生日を祝えた。」
楽しい思い出のはずなのに、それを話す奈鉉の表情はどんどん曇っていく。
「だけどね、その日、お父さん派手に酔っ払っちゃって、お父さん、遠回しに私の悪口を言ってきたの。しかも波絃に対して。『お前は奈鉉みたいになるなよ』とか『奈鉉と違って穏やかな性格だから安心だ』とか、挙げ句『子どもは波絃だけでよかったな』なんて言っちゃったの。お母さんもそれに頷く始末でね。」
自分の父親のその暴言に腹を立てながら、ボクは黙って奈鉉の話を聴いていた。
「私ムカついたけど、じっと我慢してた。」
けどね、と敢えて台詞を割った奈鉉には、この先の展開に特別な思いがこもっているのだろう。
「波絃が私の代わりに怒ったんだ。『奈鉉姉さんを悪く言うな!』って。そして波絃はその日、家出したの。お父さんは怒ってて、それをお母さんが宥めてたから、結局私だけが波絃を探し回った。」
そんなことがあったなんて、ボクは、なんで忘れてるんだろう。
「そして帰って来たのは翌日、波絃の10才の誕生日の朝。私がバカで中学卒業してすぐに働き始めてたのをそのときの波絃は知ってたのかな、突然私に『あの家には帰りたくない。だから二人で暮らそう』って言ってきたの。」
あぁ、その感情には微かにだけど覚えがある。
「私もあの家嫌いだったからさ、あのときの波絃の提案に乗っかった。」
軽く伸びをして、奈絃は続ける。
「あの日はそのまま波絃を私の親友の家に預けて、私は自分のと波絃の荷物を整理しに家に1度戻った。」
「そのとき、お父さんとお母さんは…?」
ふぅ、と力の抜けたため息が奈鉉の口からこぼれる。
「お父さんは二日酔いで熟睡してたし、お母さんに連絡しても電話は繋がらなかった。きっとまたパチンコにでも行ってたんだろうね。」
そっか、とボクは適当な相づちを打つ。
「あの人たちのことは仕方ないよ。元からそういう人間だったんでしょ。」
その言葉は、諦めよりも見限りの色が濃いように思えた。
「それでね、波絃を預けて荷物整理してたときね、私、大事なこと忘れてたこと思い出したの。」
「大事なこと?」
「そう、大事なことっ。」
少しばかり奈鉉の表情が明るくなる。
「すなわちそれは、波絃の誕生日!姉の私としたことが、家出のことばっかり考えてて、すっかり忘れてたの。」
「いや、毎年来る弟の誕生日より、覚悟を決めた家出の方が大事だと思うん――痛…っ。」
台詞の途中で頭に軽いチョップを食らった。
「なに言ってんのよ。あんたには10才の誕生日が何度も来るの?」
「そんなことはないけど…。」
「誕生日ってのは、その人が生まれてきたこと、そしてその年まで生きてきてくれてることを祝うべき日なのよ。少なくとも私はそう思ってる。」
突然の持論の告白に、ボクは少しばかり怯んだ。
「そ、そうですか。」
自分すら忘れてしまっていた誕生日ごときにそれほどの思いがこもっていたとは驚きだ。
「そ。だからね、その日、荷物整理が終わってから、近くの文房具店に寄ったの。」
「ほら、誕生日と言えばプレゼントじゃない?」と話す口振りは、まるで修学旅行の土産話を延々披露し続ける子どものようだった。
「それでね、波絃は10才のわりには他の子たちより頭が良かったから、悩みに悩んで、その年のプレゼントはボールペンにしたの。」
「すっごい高級なやつね。ちゃんとラッピングもしてもらったんだよ?」と、奈鉉は付け足す。
「あぁ、それならいまも、ボクのペンケースに入ってるよ。」
ペンをやたらに買い替えるボクが使い続けていることが嬉しかったのか、奈鉉は「ありがと」と微笑んだ。
「けど、波絃がそのペンを私から受け取ったとき、『大切にするね』とは言ったけど、なかなかラッピングの包み紙からペンを取り出そうとしなかったの。」
その記憶は思い出せない。
じゃあ…、
「じゃあボクは、いつからあのペンを使い始めたの?」
「ちょうど1年後。」
1年も…なんで開けなかったんだ、どうして使おうとしなかったんだ、なにを躊躇っていたんだ、ボクは。
「それもね、波絃が開けたんじゃないのよ。私が開けたの。波絃にはその年の多機能式の新型ペンを買ってあげたから、1年前の型のペンを開けずに持っとくのは変だと思って。」
そうか、だからボクには開けた記憶がないのか。
「そしたらあんた、どうしたと思う?」
奈鉉の雑すぎる問いに首を傾げる。
「ペンはそのまま使うことにしたみたいだったけど、ラッピングの包み紙も残したのよ。」
このあとの奈鉉の台詞は発される前に分かった。
「その日からあんたは、この部屋にあるようなものを、捨てなくなった。」
ふぅ、と1つ息を漏らし、過去話を終えた奈鉉は匙でカレーを掬う。
「あっちゃー、話長すぎて冷めちゃってるね。ごめんよ波絃くん。」
「いや、なんだか忘れてることだらけだったけど、姉さんの話を聴いて、色々と辻褄が合った。ありがとう。」
さて、とボクは次に続く自分語りのために、1度奈鉉の話を切る。
「ボクがこういう箱やらブックカバーやらビニール袋をコレクションしてる理由が知りたいんだよね?」
さっきの質問に戻るけど、と前置きをし、
「なんで今日なの?」
「さっきあんた、『祟られる』って言ったじゃない?」
「あぁ、言ったね、確かに。」
「それでこのカレー持ってくる前、ホントに祟られちゃったのよ。」
ぶっ、とつい吹き出してしまった。
「笑いごとじゃないわよ!カレー注ごうと思ったら、カレーの鍋蓋と取っ手がすんごい熱くなってて…。つい床にそれ落としちゃったんだけど、そしたら鍋蓋がゴロゴロ私目掛けて追ってくるのよ?!どんなにキッチンから離れてもダメ。ひたすら追いかけられて…、最終的に階段昇ったらさすがに倒れたけど。」
「あぁ、多分それは…。」
ボクの目線がとある一点に引き寄せられる。
それは、奈鉉が扉を開けた際に扉と壁に挟まれ潰れ、挙げ句奈鉉の尻に敷かれている1つの箱。
「もしかしてこの箱…っ。」
「そう、そのもしかして。カレー作るのに使った鍋って、元々はその箱に入ってたやつなんでしょ?姉さんがそんな風に扱うから、"家主"が怒っちゃったんだよ。」
奈鉉は"家主"という表現に違和感を覚えたようで、まるで奇怪なものを見るような目でボクの顔を覗いている。
「ボクは守ってるんだよ。彼らの"家"を。」
数秒の間を開け、奈鉉が口を開く。
「…あんた、病院に行ったら?」
「ボクの話を信じるかどうかはともかくとして、さっき身をもって体験したでしょ?カレーの鍋蓋が普通ではあり得ないような動きをしたの、その目で見たんでしょ?」
奈鉉の瞳をしっかりと捉え、ボクは真実を語る。
「もう1度言う。ボクは"家"を守ってるんだ。その家主の対象は人間だけじゃない。あらゆるモノには必ず"家"がある。人間でいうところの、実家や故郷って感覚に近いもの。ボクは、人間の一存のみによって本来破棄されてしまうであろうそれらを、この部屋で守ってる。」
奈鉉は相変わらず眉間に皺を寄せているが、先ほど祟りを体験しているためか、ボクの話を笑い飛ばそうとはしない。
「日本に古くから伝わる"座敷わらし"って妖怪は人間の住む家を守り、なおかつその家を豊かにする存在だから、絶対に家から出しちゃいけないよね。けどね、ボクは守ってるだけだから、別に外に出ても構わない。この部屋には四神の結界も張ってあるし。」
スケールの違いすぎる話のためか、奈鉉は完全に黙って聴き手に徹している。この年にもなってまだボクは中二病を患ってしまう痛い弟と思われていないか心配だ。
「ほら、ちゃんと四つ角には青・赤・白・黒の"モノの家"が置いてあるでしょ?」
奈鉉はキョロキョロと部屋の中を見ている。
「東の角には青い据え置き型ゲーム機の…なにこれ箱だけ?絶対邪魔だよね。それで北の角には黒い小箱…?あ、これ私があげた十字架のネックレスの箱じゃない?!中身は…、あれ、入ってない。」
十字架ならここに下げてるよ、と長すぎるチェーンのせいで服の中に入り込んでいたネックレスを見せつける。
「十字架は四神と関わりがないし、万が一効力が薄れるようじゃダメだからその箱からは出してるんだよ。」
「なるほどー、痛いなりにも一応理屈とかあるのねー。」
すごい棒読みだ。やっぱり奈鉉はボクを中二病だと思っているらしい。
けどとりあえず、四神のことまでは最後まで説明させてもらおう。
「んで西の角には白い空気清浄機か。」
「空気清浄機は空気が行き来するもの、言い変えれば、帰ったり出ていったりする場所ってこと。そうなると、空気清浄機も家になる。」
ふーん、と興味なさげな返事。
「そして南にあるのは…あーっ!さっき私が言ってたラッピングの包み紙じゃん!確かにこれ、赤色だもんね。」
「いま姉さんが見た四神たちは、全てモノの家。この部屋にたくさんある"モノの家たち"を守っているのは"モノの家"でできた結界とボク。そして…。」
ボクは人差し指を立て、姉さんに告げる。
「さっき姉さんは、キッチンで火傷しかけたんだよね?」
「そ、そうだけど…。」
「ところで、この部屋で最も貴重な"家"はどれだと思う?」
「え、そりゃ空気清浄機じゃないの?値段も張るし。」
「違うよ。それは高価なだけで、貴重かどうかとは関係ない。」
「だったらなに?」と問う奈鉉の口調は、ボクの話が少し面倒くさくなっているようだった。
「いま姉さんが手にしてる、その赤い包み紙だよ。だってそれは、ボクの誕生日プレゼントのためだけに用意された家なんだから。」
「で?それと私の火傷にどんな繋がりがあるっていうの。」
ボクは口の端を吊り上げる。
「四神における赤は火を意味する。つまり、この部屋の"モノの家"に傷をつけようものなら、火にまつわる災難が起こるんだよ。」
「ふーん、すごいねー。」
とまた心のこもっていない返事。
それから約10秒の無言のときが流れた。
「それで?どこからが作り話?」
先に言葉を発したのは奈鉉。
「正直、波絃が"モノの家"を守ってるっていう話だけは、信じざるを得ないって思ってる。鍋蓋に追いかけ回されたのは事実だし。けど四神だの結界だのは、さすがにムリ。受け付け不可能だよ。」
ふぅ、とボクはため息をこぼす。
「それでいいんですよ。」
「え?」
奈鉉はすっとんきょうな声をあげた。
「姉さん。ネタばらしをすると、四神や結界の話は、完全に嘘。思いつきで適当に作っただけ。」
奈鉉は口が半開きになり、完全にポカーンとしている。
「え?なにそれ。いや、作り話長すぎるよ。カレーももう冷たいよ?」
あはは、とボクは奈鉉に笑ってみせる。
「カレーはレンジで温め直して食べようよ。ボクは1階でカレー温めてくるから、ボクが戻ってくるまでに姉さんがその鍋の箱をある程度箱らしく直しておけば、祟りももう起きないだろうし。」
奈鉉にすべきことを告げ、ボクが二人分のカレーを手にし、部屋を出ようとしていたところに、「ちょっと待って」と奈鉉の声が飛んできた。
「なに?」
「四神や結界は嘘でも、やっぱり、"モノの家"を守ってるってのは本当なの?」
「何度も言ってるけど、これだけは、本当だよ。」
真実を告げ、ボクは今度こそカレーを手に部屋から廊下に出る。
「そっか…、これもサノカミの…。」
奈鉉がなにか呟いたようだが、廊下に出ていたため、部屋からの声はよく聴きとれなかった。
「なにか言った?」
ボクの問いに、奈鉉はいつもの調子で「なんでもなーい!」と応え、
「早く温めてきてー!長話に付き合わされた奈鉉さんはお腹ペコペコだよーっ?」
と急かされた。
長話なら奈鉉だって存分にやってたじゃないか、と心の中で思いつつ、ボクは両手のカレーを溢さないよう慎重に階段を下りていく。
階段を下りきった所には奈鉉の言っていた鍋蓋はもう無く、キッチンのガスコンロの上に置かれた鍋には、しっかりと蓋がされていた。ついでに少しつやが出ている。
「姉さん、もう直しちゃったのか。」
温め直したカレーを2人分持って部屋に戻ると待ちくたびれてカーペットに寝転がっている奈鉉がいた。
本来自分用と来客用で、この部屋には座布団が2枚あるはずなのだが、自分用が見つからなかったため、来客用は奈鉉に使わせた。
奈鉉の野菜カレーは絶品で、よく見ると野菜は全て、全く同じ形の1口サイズに切り分けられている。
奈鉉のこの完璧主義と器用さのコラボレーションには一生勝てそうにない。
スプーンでカレーを口に運びながら奈鉉の座布団の隣に目をやると、奈鉉が潰す前より美しくなった新品同然の例の箱が堂々とボクの座布団の上に居座っていた…。
恐らくいままで書いてきた小説のなかで一番自分に近い主人公です。