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6話 昼の部 クリームソーダ

 舌で触れればキンと冷たく、そしてとろけるように柔らかい。

 口内で涼しさを楽しみながら味わえば、ただの砂糖ではありえない濃厚な甘みがあった。


 そうだこれは、乳の味だ。

 ブリギッテも動物の乳は飲む。その乳から乳臭さを取り除き、旨さだけを何倍にも何倍にも濃縮すればこうなるかもしれない。


 しかしこの柔らかさ――クリーミーさはなにがなんだかさっぱりわからない。

 さっぱりわからないが、うまい。


 外気でほてった体に優しく冷たさが染み渡っていく。

 目を閉じれば涙がこぼれ落ちるような感動的な甘味――

 ――このメニュー、正式名称を『高原牧場の牛からとれたミルクソフト』という。



「お味はどうでしょう?」



 カウンターの内部からマスターが問いかけてくる。

 ブリギッテはカウンター席の端に腰かけ、ミルクソフトの余韻をたっぷり楽しんで――



「最っ高! こんなの今まで食べたことないわ!」

「そうですか。いや、助かります。新しいメニューがアンロックされても、ドワーフの方々の舌に合うかはわかりませんからね。味見役本当にありがとうございます」

「こういう役目ならどんどん引き受けるよ!」

「ではついでにもう一つお願いしましょうか。また冷たいものですが、お腹の調子は大丈夫でしょうか?」

「ドワーフの胃袋に任せて!」



 ブリギッテは、ドン、とワンピースに包まれた細い腹部を叩いた。

 ドワーフなので当たり前だが、背が低く、体は小さい。

 顔立ちも子供のようで、茶髪を三つ編みにした髪型も相まって全体的に幼い。


 まあ、手足とか胸とかお尻はちょっとぷくぷくしているが――

 客観的にはそんなに食が太かったり丈夫だったりとは見えないだろう。



「背が高いくせに貧弱なエルフなんかとは違うのよ!」

「この世界はエルフもいるんですか」

「そりゃいるけど……マスター、見たことないの?」

「まあ。私はここに店ごと出現して、それからずっとここのマスターですので」

「へえ、そうなんだ!」



 よくわからないことにはにこやかに同意する。

 ドワーフ女の処世術である。



「では次のメニューはこちらになります」



 マスターがコトリと目の前に置いたのは――

 細長いグラスに入った――

 ぶくぶく泡立つ緑色のであった。


 その液体の上には、先ほど食べた『ミルクソフト』の小さいバージョンが乗っている。

 あと指先サイズの小さな赤いものも浮いていた。



「これは?」

「『クリームソーダ』です。メロンソーダの上にソフトクリーム……ミルクソフトとサクランボを乗せたものですね。なんでビアホールにこんなメニューがあるんでしょうね?」

「……え、えっと」



 問われても。

 そもそも『ビアホール』とかいう概念だってマスターが現れるまではなかったのだ。



「サクランボの茎と種は食べられませんが、あとはたいがいいけますので、どうぞ」

「ねえマスター、この液体は大丈夫なヤツなの? 緑色なんだけど」

「それは『合成着色料が健康にどの程度の被害を及ぼすか』という質問でしょうか?」

「えっ……う、うーん……そ、そうだね!」

「でしたらなんとも言えませんね。そんなことを気にしていたらなにも食べられないとしか」

「そうなんだ……」



 どうなんだろう……

 マスターはなんというか、会話相手への配慮が足りない。

 彼は常に壁に向かってしゃべっている感じだ。



「と、とにかく、マスターは大丈夫だって判断してるんだね? この自然界には絶対に存在しないような、存在したとしても間違いなく口に入れちゃいけないような、緑色の液体を、体内に入れても大丈夫だと判断してるんだよね?」

「私は今まで少なくない量メロンソーダを飲んでいますが、この通り、生きていますよ」

「そうなんだ……」



 生きてるんだ……

『体に不調はない』とか、『飲んだあとに異常はない』とかではなく、『生きるか死ぬか』というレベルの話になるのか。

 不安しか募らない。


 だが、ドワーフに後退という選択肢はないのであった。

 ドワーフはこのままだといずれあっさり滅びそうな気がしてくるが、一度進むと決めたドワーフは退かない。そういう意思が血に刻まれている。


 ブリギッテはクリームソーダを手に取った。

 薄手のグラスはひんやりとして硬い感触がする。


 ここから選択肢は二つ。

 柄の長いスプーンでソフトクリームの部分を食べるか――

 ストローに口をつけて緑色の液体をすするかだ。


 ブリギッテは空いている方の手でスプーンを手にしかけた。

 しかし――その選択肢は『後退』も同じだと思った。


 前へ進むことはドワーフの矜持である。

 そうしてドワーフの先人たちは人が住むに適しない山を改造し、鉱脈を掘り、道具を改良して居住区を手に入れてきたのだ。


 なぜこんなところでドワーフの歴史を見つめ返さねばならないのか疑問もあるが――

 ブリギッテはぷっくりした唇でストローをはさみこんだ。


 すする。

 と、ピリリと舌に触れる炭酸の感触。


 そして。

 そして――これは!



「すごい……ベッタリとしてしつこいこの甘さ! 昨日食べた『イチゴ味』みたい!」

「メロンソーダはまあ、たいていそうですね」

「なんていうの、この、この……なんか強引な飲み物! あ、でも、好きかも」

「それはよかった」

「へー。面白い味! ソフトクリームとサクランボは……あ! すごい! ソフトクリームもサクランボも、別にメロンソーダに合わない!」



 共通点が『甘い』しかなかった。

 濃厚でコクのある甘さのソフトクリーム――

 酸味と食感が楽しく、ほのかに果実の甘さを感じるサクランボ――

 そしてべったりとしつこくわざとらしい甘さの、メロンソーダ。


 びっくりするほど調和しない。

 正直別々に提供してほしい。

 だというのに――



「でも、なんだかこの組み合わせ、すごくしっくり来る!」

「たしかに、おっしゃる通りかもしれませんね。『クリームソーダ』というものを知らなかったら、ソフトクリームとサクランボとメロンソーダという組み合わせは調和に欠くように感じるかもしれません。けれど、なぜか『そういうもの』としてずっとあり続ける……不思議ですね」

「なんだか深いわ、マスター」

「きっと世界平和なのでしょう」

「そうね!」



 マスターがなにかに納得しているので、それでいいなと思いました。

 なんだかんだ言いつつ、ブリギッテはこの不思議な飲み物をあっというまに完食する。



「はー……不思議。食べてるあいだは全然合わない感じだったけど、食べ終わったらあれでよかった気がする……」

「ちなみに、ドワーフ的に、クリームソーダは『アリ』ですか?」

「アリね!」

「よかった。ではメニューにくわえておきましょう」



 こうしてメニューが増えた。

 世界平和だった。

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