4話 昼の部 ランチタイムにかき氷を
「マスター、来ちゃった」
かわいらしい少女のような声とともに、ブリギッテはカウンター席に座る。
ここはビアホール『異世界』。
ドワーフ鉱山に突如出現した謎多き施設である。
ブリギッテはここでウエイトレスとして働く女性ドワーフだ。
だが、今は客として来ていた。
なぜならば、ブリギッテのシフトは夜であり――
――現在は、昼。
つまりランチタイムなのであった。
「おや、いらっしゃいませ」
カウンター内部で応じるのは、この店のマスターだ。
客も従業員もドワーフばかりの店内において、唯一の人間だ。
折れそうなほど華奢な体つきをしていて(ドワーフから見て)、すらりと背が高く(ドワーフ基準)、男なのに鼻と唇のあいだにチョビッとヒゲが生えているだけという脅威の薄毛(ドワーフ基準)である。髪は普通。
カウンターの端っこに座り、マスターを見てニコニコする。
マスターは首をかしげた。
「ランチのご注文は?」
「ううん。お昼は食べてきたの、だから今日は――デザートを頼もうと思って」
「なるほど」
「でもこの店のデザートなにがなんだかわからないから、マスターのおすすめってある?」
「そうですねえ……今日も暑いですし、『かき氷』なんてどうでしょう?」
「『かき氷』?」
「ええ。イチゴ、メロン、乳酸菌と三種類の味を取りそろえていますよ」
そうじゃない。
ブリギッテが求めていた説明は『かき氷』自体に対するものだ――『かき氷』がなにかもわからないのに味の説明をされても困る。
マスターは『こういうところ』があるのだ。
まあ、彼のすすめる食べ物に外れはないので別にいいのだけれど。
「じゃあそのかき氷で。えーっと、イチゴ? で」
「かしこまりました。少々お待ちください。できました」
「……相変わらずどうやって作ってるの?」
「メニュー一覧から選んでタッチしています。どうぞ」
コトリ、と目の前に『かき氷』が置かれる。
それは大きめのお椀に山のように積まれた――
「マスターこれ、ひょっとして氷?」
「ええ」
「……あの、お高いんじゃない?」
「値段は……ビール中ジョッキぐらいですかね」
「安っ!」
ブリギッテはおどろく。
というのも、『氷』というのは精製も保存も難しいので、貴重品なのだ。
少なくともこの鉱山においてはなかなか手に入らないものである。
それをこんな、粉々にして山のように積み上げて赤い液体をぶっかけるだなんて!
「贅沢!」
「溶けないうちにどうぞ」
「あ、そうね。いただきます」
柄の細長いスプーンを氷の山に突き刺す。
シャクッ、という音がなんとも涼やかで心地よい。
すくいあげ、目の前に持ってくる。
すると、スプーンからひんやりとした空気が漂ってきた。
どうにも氷はなかなか手に入らない高級品というイメージがあるので、食べるのに躊躇があるのだが――
たしかに溶けてももったいない。
ブリギッテはわずかに赤く色づいたかき氷(イチゴ味)を口に入れる。
瞬間、全身の体温が下がったような錯覚。
冷たい。氷なのだからそれはもちろん冷たくて当たり前なのだが――それよりなにより、金属製スプーンのこの冷たさがたまらない。
スプーンを唇から抜いて氷を咀嚼する。
シャリシャリという小気味よい食感。
それから、どこかわざとらしい、ベッタリとした甘酸っぱい味。
これがきっと『イチゴ味』なのだろう――わざとらしい。なんともわざとらしくべたつく甘さなのだけれど、これが氷とよく合うのだ。
甘さと酸っぱさと冷たさが、外の熱気の抜けきらない体を気持ちよく冷やしていく。
ブリギッテはシャクシャクと手を止められずかき氷を食べ続け――
「!? ま、マスター、なんか頭が! 頭が!」
「ああ、かき氷を勢いよく食べると頭痛がするんですよ。ゆっくり食べたらならないらしいですね。お気を付けください」
「忠告遅くない!?」
頭痛したあとに言われても!
このマスターはこういう、ちょっとズレたところがあるのだ。
「申し訳ありません。でもすぐに治りますよ。脳の血管が急激に冷えたことが原因ですので、かき氷を食べる前に氷水など飲んでおくといいらしいですね」
「だから遅いって!」
とかやっていたら、頭痛は治ってきた。
ブリギッテは「ふう」と息をついて――
「おいしいけどびっくりした……」
テーブルに設置されている紙ナプキンで、唇についたシロップをぬぐう。
ついでにつるりとした顎をなんとなくなでてから――
「でもすごいね。マスター、氷の入手ルートとかは?」
「さあ?」
穏やかな笑顔のまま彼は言う。
どうやら秘密らしい――それにしても腹の内がまったく見えない、見事に平静な表情だ。
まるで本当に入手ルートを知らないかのような……
経営者なのでそんなわけはあるまいが。
「ふー、それにしても店内は涼しいねー……マスター、シフトの時間までいていい?」
「かまいませんよ。お客様がたくさんいらっしゃるのは、鉱山での仕事が終わる夜ですからね。ランチタイム営業は――趣味みたいなものですし」
「そうなんだ」
「ああそうだ、ブリギッテさん、ちょうどあなたに聞きたいことがあったんです」
「なに?」
「誰とは言いませんが、お客様から頼まれた質問なんですが……あなたの好きな男性のタイプなど、教えていただけませんか?」
「好きな男性かー……健康であんまり馬鹿騒ぎしなくてその日の稼ぎの半分を酒代で溶かさないような人が好きかな……」
「なるほど」
「まあ、そんなドワーフまずいないけどね!」
「オーガストさんなどは?」
「うーん……最近よそよそしいよね。昔はよく一緒に遊んだけど」
「……そうですか」
「え? なに? どういう反応?」
「いえ」
マスターは笑った。
彼の腹の内は読めない――ブリギッテは追及をあきらめ、仕事の時間まで、かき氷の余韻にひたることにした。