2話 シャンディガフ
バスケットにゴロゴロ入っているのは、精製前の黄金を思わせる色合いの肉だ。
その正体は『若鶏の唐揚げ』。
薄手の衣に包まれたそれをヒョイと口に入れれば、サクッとした軽い歯ごたえ。
噛めばジュースのように大量の、アツアツの肉汁があふれ出す。
ヤケドしそうな口の中を、息を吸ったり吐いたりして冷ましつつ――
冷たいビールを、一気飲み。
「くううう! うまい!」
スダァン! とカウンターテーブルの上に中ジョッキを叩きつけ――
この『カウンター端っこの席』を所定の位置としているドワーフ、オーガストは言う。
「マスター、あいかわらずここの料理はうめえな!」
ガハハ、ともじゃもじゃの顎髭をぶっとい指でなでながら笑う。
カウンター内部で誰かのためのビールを注いでいた人間――ドワーフに比べて細くて背が高い種族――のチョビヒゲマスターは、目を細めて笑い、
「ありがとうございます」
「にしても今日は暑いな。いや、鉱山は毎日暑いが、今日は特別に感じる」
「この世界にも『夏』が来たんでしょうかねえ」
「おう! そうかもな!」
オーガストは『ナツ』というのがよくわからなかった。
しかしこのマスターは時々不思議なことを言うので有名だ。
だから小難しいことを考えるのが苦手な者が多いドワーフは、だいたいマスターのわけのわからない発言をスルーする習慣があった。
「ところでマスターよ、今日はもう一杯飲みたいんだが……」
「おや、オーガストさんが自分の意思でお酒を二杯以上召し上がるのは珍しいですね」
「オウ、そこよ。俺は他のドワーフに比べてかなり酒に弱い。だが今日は飲みてえ。そこでなんかこういい感じのヤツはねえか?」
自分でも無茶振りだと思った。
『なんかこういい感じ』とはなんだ――自分がクライアントにそんな依頼をされたら『ハッキリしやがれ!』とブチ切れることだろう。
だが、マスターは怒鳴ったりしない。
この年齢がいまいちわからない男は、とにかく穏やかなのだ。
「そうですね、では、ビアカクテルなどいかがでしょう?」
「なんだそりゃ、食い物か?」
「いえ、カクテル――お酒とお酒、お酒とジュースなどを混ぜて作る飲み物です。ビアカクテルというのは、ビールとなにかを混ぜて作るカクテルを指しますね」
「へえ。『エール』じゃなくて『ビール』といい、『フィッシュ&チップス』や『若鶏の唐揚げ』といい、マスターは変わったことを色々知ってんなあ」
「それで、いかがいたしましょう? ビアカクテルにも色々な種類がありますが……」
「よくわかんねえから任せる」
「では、本日はシャンディガフをご用意させていただきましょうか」
そう言ってマスターは注ぎきったビールを置き――
グラスを用意すると、新たなビールを注いだ。
カウンター内部の装置から注がれる黄金の液体。
半分ほど注ぎ終えると、マスターはカウンター下部から瓶を一つ取り出した。
「マスター、その瓶の中身はなんだい?」
「これはジンジャーエールですね」
「エール?」
「作り方はたしか、ショウガをハチミツなどに漬けて炭酸で割るんでしたかね。まあ、ウチのジンジャーエールは冷蔵庫の中に勝手に出現するものなので、詳しくはわかりません」
「おう、そうか!」
「ではビールにジンジャーエールを混ぜて、軽くステアしまして、これでできあがりです」
「なんでぇ、カクテルってのは簡単にできるんだな!」
「もっと難しいのもあるようですが、ウチで提供しているのは簡単なものばかりですね。今度勉強して、お出ししますよ」
「なんだかわかんねえが楽しみにしてるぜ」
「では、どうぞ」
グラス一杯の『シャンディガフ』が提供される。
オーガストはその美しい色合いに目を奪われた。
通常のビールは黄金の輝きを放つ液体だ。
対してこのシャンディガフは、色合いにコクがあるというか――そう、わずかにではあるけれど、先ほどの唐揚げを思わせるような、琥珀を思わせるカラーになっている気がする。
オーガストは分厚い手でグラスをつかみ、まずは四分の一ほどチビリと飲んだ。
――不思議な味がした。
たしかにビールは注がれていたはずだ。
だというのに、いつも頼む『生ビール』で感じたことのない味わいがあった。
甘酸っぱさ。
そして爽やかな香り。
口に入れたぶんを飲み干すころにはもちろんビール特有のほろ苦さもある。
だが、普通のビールより、大幅に飲みやすい。
そのせいだろう、ツマミも尽きたというのに、キューっと一気に飲んでしまう。
ドワーフ飲みだ。
オーガストは他のドワーフよりも『味わう』という行為を楽しんでいる自覚がある。
だというのに、渇いた体に、冷たく甘酸っぱく、適度にビールのほろ苦さを残したそのビアカクテルはぐんぐん吸い込まれていった。
カァン! とグラスをテーブルに叩きつける。
そしてヒゲもじゃの口をぶっとく短い腕でぬぐい――
「くうう! うまい!」
「ありがとうございます」
「こりゃあうまい。うまいが、まずいな。何杯でも飲んじまいそうだ」
「甘いカクテルはたしかにそうですね。もう一杯どうでしょう?」
「いや……」
オーガストはチラリと『ビアホール異世界』の店内をうかがう。
たくさんの男ドワーフたちが酒を飲みながら騒ぎ、そのあいだを胸元の大きく開いたディアンドルをまとった女ドワーフ店員たちが行ったり来たりしている。
オーガストはその中に、茶髪を三つ編みにした、スタイルのいい(ドワーフ基準)かわいらしい女性ドワーフを見つけ――
彼女が遠くにいることを確認し、
「……今日は今のうちに帰るよ」
「おや、そうですか」
「今、ブリギットちゃんに『もう一杯どう?』ってすすめられたら、本当に何杯でも何杯でも飲んじまいそうだからな」
「そうですか。では、お気を付けてお帰りください」
「ああ。マスター。シャンディガフ、うまかったぜ。なんていうか――」
オーガストはひときわスタイルのいい(ドワーフ基準)ウエイトレス、ブリギットの揺れるロングスカートの裾を見ながら――
「――甘酸っぱくてほろ苦い、初恋の味だったよ」
「詩人でいらっしゃいますね」
マスターは笑った。
オーガストも笑い――支払いを済ませるためにレジへ向かった。