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1話 フィッシュ&チップス

「マスター、生ビール中ジョッキで!」



 野太い声が響き渡る。

 ここはある鉱山に『いきなり出現した』酒場である。


 この酒場には他の酒場にはないものが二つある。

 それは『キンキンに冷えたビール』と、『見たこともないツマミ』であった。



『ビアホール異世界』



 外の熱気とは切り離された快適な涼しさをたもつこの店で、今日も仕事を終えたドワーフどもが、思い思いに酒を飲んでいる。

 カウンター席のはじっこで今し方酒を頼んだ彼――

 オーガストもまた、仕事を終えたばかりのドワーフだった。


 ただしオーガストは、他のドワーフみたいな量の酒は飲めない。

 他のドワーフが顔よりデカイようなジョッキでビールをガバガバ飲んでいるのに対し、彼はせいぜい中ジョッキ一杯ほどしか飲まないし――また、それでいいと思っている。


 ビール一杯。

 ツマミが一つ。

 周囲のざわめきを聞きながら、チビチビと自分のペースで一人酒。

 これがオーガスト流の『おいしい酒との付き合い方』であった。



「はいはい、ただいま」



 カウンター内部で男がジョッキにビールを注ぎながら聞いてくる。

 彼はこの『突然出現した酒場』こと『ビアホール異世界』のマスターだ。


 若く見えるが、年寄りと言われてもなんとなくそんな気がする。

 落ち着いた物腰で、シャツに蝶ネクタイを身につけた服装は、高級宿のボーイみたいだ。


 ドワーフではない。

 種族はたぶん人間だろう――この鉱山では非常に珍しい。


 誰も名前を知らない。

 が、彼は唇と鼻とのあいだに生えた(ドワーフと比べると)ささやかなヒゲから――

『チョビ』、あるいは『マスター』と呼ばれている。


 ゴトン、とテーブルにコースターと中ジョッキが置かれる。

 オーガストはそれをグッと三分の一ほど呑み干し、



「くううう!」



 と、息をついた。

 暑い中、今日も一日力仕事をやっていた。

 仕事終わりの冷たいビールは、疲れた体に染み渡るようだ。



「おツマミはどうなさいます?」



 カウンター内部でマスターが言う。

 オーガストは真っ白な口ひげについた真っ白な泡をぶっとい腕でぬぐい、視線をあげる。


 カウンターの上部には黒板があった。

 そこにはチョークで本日のおすすめメニューが書いてある。


 オーガストはそれを端から端まで見て――

 今日のツマミを決めた。



「マスター、その『フィッシュ&チップス』ってのはなんだい?」



 太い指で指し示す。

 背の高い細身のチョビヒゲマスターは、「ああ」と落ち着いた声をあげる。



「白身魚のフライですね。このあたりでは珍しいかもしれません」

「へえ、魚かあ。たしかに鉱山じゃ魚はとれねえからな」



 オーガストは『魚』についての記憶をさぐってみる。

 おどろくべきことに、前に魚を食べたのははるか昔、彼がまだ子供のころ、両親と港街に行った時以来だった。


 もう記憶にも残っていない。

 鉱山では本当に縁がなかったようだ。



「じゃあマスター、それ頼むわ!」

「はい、ただいま」



 マスターがカウンターの中でなにか作業を始める。

 ほどなくして――



「できました」

「相変わらずはえーなあ!」

「メニュー欄から選んでいるだけですからね」

「おう、そうか!」



 このマスターはたまによくわからないことを言う。

 きっとなにか小難しいことなんだろうと思って、だいたいのドワーフはマスターの言葉をスルーしがちだ。


 ともあれ――

 フィッシュ&チップスが提供される。


 それはバスケットに乗って提供された揚げ物であった。

 なにか文字、あるいは模様みたいなものがいっぱい書かれた紙にくるまれている。


 大きさは手の平ぐらいと、かなりデカイ。

 一緒に提供されたのは『ビネガー』と、このつぶつぶの入った白いネットリしたものは――タルタルソースだったか。以前違うメニューを頼んだ際に提供されたのを覚えている。



「その紙――新聞紙に包んだまま、お好みでビネガーやタルタルソースなどをつけて、手でガブリといってください。ああ、熱いのでお気をつけて」



 手で食え。

 熱いので気をつけて。

 ひどいダブルスタンダードだ。


 まあ、とはいえ、熱いのはあまり問題にはならないだろう。

 オーガストは――というかここで飲んだくれている連中はみな、鉱山で働くドワーフである。


 手の皮もツラの皮も厚い。

 だからオーガストはぶっとい指を広げて、『シンブンシ』に包まれたフィッシュ&チップスをつかむ。


 思ったほど熱くはない。

 どうやらシンブンシというのはかなり断熱性があるらしい。

 持っているぶんには余裕だった。


 これなら『あちあち』とかやりながら慌ててツマミを『消費』しなくてもすむ。

 オーガストはヒゲモジャの口を大きく開け、フィッシュ&チップスに噛みついた。


 ザクッと噛めば、ホロッと崩れる。

 分厚く粒の大きな衣に、噛む必要がないほどの、口の中で自然とほどける白身魚の食感。


 味は少し薄いような気もするが、この歯ごたえはかなりいい。

 かたく焼いたトーストを思わせる――ザクザクと噛んでいく。ヒゲにくっついた衣の欠片をとってパクッと食べる。


 いい。かなりいい。

 だが――身はあまりパンチがないというか、味が淡泊だ。


 調理に問題はないのだろう。

 たぶん白身魚とはこういうものなのだ。


 歯ごたえもないし、味も正直よくわからない。

 もっとガツンとこないものか――


 オーガストがそう考えていると、カウンターの上に添えられた『ビネガー』と『タルタルソース』が視界に入った。

 オーガストはまず、ビネガーの入った瓶を手にした。

 蓋を開ければまた蓋――いや、違う。小さな穴が空いている。



「あまりかけると酸っぱくなってしまいますからね」



 マスターが言う。

 オーガストが蓋を開けてジッとしていたもので、なにかを察したのだろう。


 なるほどと思い、オーガストは慎重な動作でビネガーをフィッシュ&チップスの白身の部分にかけていく。

 その瞬間、酸っぱいにおいがぷーんと鼻にとどいた。


 けっこう、きつい。

 オーガストはビネガーをかける手を止めて、眉をしかめフィッシュ&チップスを見た。


 あんまりかけなかったつもりだが、これでも『かけすぎ』だろうか?

 不安を覚えつつも、せっかく稼ぎで買った料理なので、ままよ、とかぶりつく。


 全然違うモノになっていた。

 淡白だった白身魚。

 少しきつめのビネガー。

 この二つが実によく合う。


 なるほど、タルタルソースは以前に別メニューで見たが、ビネガーを今回初めて見た理由がわかった。

 たとえば動物の肉など、そのもののうまみが濃厚なものとは合わないだろう。

 だけれど淡白な白身魚が相手だと、魚の旨みと酸っぱいビネガーの味わいがよく合う。


 ザクザクホロホロ。

 ゴクゴク。


 フィッシュ&チップスをかじり、その分厚く歯ごたえのある衣、淡白でもうまい魚の味とビネガーの組み合わせを味わう。

 酸っぱく、油っぽくなった口の中に、ビールを流しこんでいく。



「くうううう! うまい!」



 ズダァン! とジョッキをカウンターに叩きつける。

 もっとのんびり飲むはずだったのに、気付けばドワーフ飲みをしてしまった。



「はあ、うまかった」

「ありがとうございます。お代わりはどうされますか?」

「うーん……」



 オーガストは悩む。

 ツマミもなくなったし、ビール一杯ツマミ一品という主義もある。

 だからこれで終わろうと思い、腰を浮かしかけ――



「あら、オーガストさん、もうお帰り?」



 背後から声がかけられる。

 オーガストが席をくるりと回しつつ振り返れば――そこには一人の女性ドワーフがいた。


 低い背丈、幼い顔立ち。

 みつあみにした茶髪。

 しかしディアンドルをまとっているせいで強調された胸はとても大きく、手足や尻のあたりも肉付きがよくて、スタイルがとてもいい(ドワーフ基準)。



「ぶ、ブリギッテちゃん……」



 オーガストはついしどろもどろになる。

 顔が赤いのはビールのせいだけではないだろう。


 ブリギッテは胸を見せつけるように腰を曲げてオーガストをのぞきこむ。

 こぼれる、こぼれる、と慌てるオーガストの前で、緑色の長いスカートの裾を妙になまめかしくつまみながら――



「オーガストさん、もういっぱいいかが?」



 にこり、と笑った。

 子供みたいにあどけない笑顔に、オーガストはついデレッとする。



「う、うーん、じゃあ、もう一杯だけいただこうか!」

「はいよろこんでー! マスター、オーガストさん追加だって!」



 注文をとると、ブリギッテは他のテーブルに呼ばれて注文をとりに行った。

 オーガストはその尻をいつまでもながめている。

 マスターは苦笑し――



「……あの、オーガストさん、本当にもう一杯呑まれます?」



 それはきっと気遣いだろう。

 だけれどオーガストはマスターへ向き直り、



「マスター。ドワーフの男はな、女にだけは嘘をついちゃならねえんだ」



 戦う男の顔で述べる。

 マスターは同情するように「大変ですね」と言い、グラスにビールを注いでくれた。

これで終わりかもしれませんが夏場は頻繁にビールが呑みたくなると思うので呑みたくなるたび更新します。

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