裏側の裏側 ~私だけの英雄譚【前編】~
このお話で、書きたい事は全部になります。
クラリスと春一の出会いのお話。そして本編終了後のお話を少しの予定。
良ければお付き合い下さいませ。
※ ※ ※
周りにはもう誰も居ない。
みんな、焼けてしまった。
みんな、みんな、私を置いていってしまった。
燃える家の地下に隠れながら、私はただただ隅っこで震えていた。
迫る炎。何かが崩れる音。呻きを上げる魔物の声。
ここは地獄だ。地獄になってしまった。昨日まで、あんなに大好きな場所だったのに。
震えながら思い出すのは、お父さん、お母さんの事。隣の家のジークおじさんの豪快な笑い声。友達のリーネやエミリ達と遊んだ事。……このユロの村の事ばかり。
……私の大好きなユロの村は、どこに行ってしまったの?
私がどうしてこんな目に会っているのだろう。何をしたと言うんだろう。その声に答えてくれる者は誰も居ない。
ただただ炎が、その勢いの激しさを増すばかりだった。
ーー暑い、熱い、あつい。
ーー暗い、狭い、怖い。
私はもう限界だった。この空間の熱にも、閉塞感にも、もう耐えられなかった。
逃げなきゃ。ここに居ちゃ駄目だ。
ここじゃない、どこかに逃げなくちゃ。
そう思い私は急いで家から出た。
……外に出てしまった。
ただ熱いと怖いという思いから、外が今どんな状態かなんて頭にから出ていってしまっていた。
あんなに耳に入っていた、魔物の声も忘れて。
外に出た瞬間、見たこともない大きな狼の様な魔物と目が合った。光る瞳、唾液の滴る口、そこからむき出されるのは、私なんか簡単に引き裂ける様な鋭い牙、聞こえてくるのは獲物を見つけた喜びの呻き。
すぐに逃げなきゃいけなかったのに、私は動けなかった。叫びたいほど怖かったのに、声も出なかった。
魔物は警戒するように、ゆっくりこちらに向かってくる。……同時に時間もゆっくり流れている様な感覚。それでも私は動けなかった。何もかも失った私の頭も体も、生き残る事を諦めてしまったかの様に。
でもたった一つ。私の心だけはある一つの事を思い出していた。
両親がよく聞かせてくれたお伽噺。
……世界を救ってくれる、勇者様のお話。
迫りくる魔物を、ぼやけた視界に写しながら、私はただただ思った。
ーー助けて。
ーー勇者様、私を助けてください。
「逃げるぞ」
不意に私を引いたその手を、涙をいっぱい溜めた目でまじまじと見つめていた。
それは真っ黒の煤だらけで、傷だらけの手。
……一体の何が起こったのか私は理解できなかった。ただ気づいた時には、私はその手を引かれ、走り出していた。
魔物が襲いかかってくる直前、私の視界を遮る様に人影が目の前に現れ、その人影の向こうで、閃光の様な物が強く光る。
瞬間、狼の魔物は苦しそうな声を上げた。その声が鳴り止む前に、その手は私の手を掴んで走り出した。
「やっぱあの種類の魔物は意外に臆病なのな。俺なんかの声とか、閃光魔法弾にびびりすぎだろ。……お陰で助かったけど。さてこれから……」
その手の主は、何やら思案するように、走りながらぶつぶつと呟いていた。私はただ目を丸くしてその姿を見つめるしかできなかった。
……その声は、少し震えていた。
少し走って、ちょうど隠れられそうな建物の影が有ったので、その手の主は私と一緒にその物陰に隠れて座った。
「悪かったな、急に手ぇ引っ張っちまって。痛くなかったか?」
そう聞かれて、私は首をブンブンと横に振った。本当は少し痛かったけれど。
「なら良かった。……他に人は居るのか」
「……ううん、居ない。わからない。ただ、お父さんとお母さんは私を庇って……」
私の目からはまた涙がポロポロ溢れてきた。……あの家で私だけが生き残ったのだ。頼りになったお父さんも、優しかったお母さんも、もう居ないのだと改めて痛感した。
私が泣きじゃくっていると、不意に頭を乱暴にグシャグシャ撫でられた。頭を上げるとその人は悲しそうな、そして少し困った様な顔をして、私の頭を撫でる。
……この人なりに、慰めてくれているらしい。
「辛い、よな。泣きたいよな。……けどごめんな。助けてくれたお父さんとお母さんの為にも、もう少しだけ頑張れるか? その調子じゃ、助かるもんも助からないからな」
不器用に、少し乱暴にその人は私に話しかける。私はまだ10歳の子供だったけど、その言葉の意味と、今の状況はわかっていた。……グズグズ泣いていては、迷惑をかけてしまう。
私は泣きたい衝動を必死に押さえて、頷いた。
「ありがとう。……君は強いな」
そう言ってその人は頷き、また一人でぶつぶつと何かを言いながら考え事を始める。
その人には見覚えがあった。確か最近、グリフォニアのお城のある街から、このユロの村に赴任してきた若い兵士さんだった。あんまり話さない人だったらしく、私も軽く挨拶を交わす程度だったけれど。
気のせいだろうか。兵士さんの目が少し赤く腫れている様な気がした。
「この村を囮にしやがったとなると、もうすぐ目当ての親玉の魔物がここに現れる。その前にこの村から遠くに逃げるしか無いか……」
「……え?」
その言葉に、私は思わず声を上げた。兵士さんはしまったという顔をし、口元を押さえた。
「兵士さん、囮って……?」
「やべ、考えを纏める為に声に出す癖がつい……いや、そのだな」
兵士さんはしどろもどろになりながら、何か言葉を探しているようだった。……けれど直ぐに、ごまかすのを止め、私の両肩に手を置いて、私の目を見つめた。
「……この村は、ある悪い魔物をおびき寄せる為、あらかじめ周りにはわからない様に警備の質を低下させて、わざと魔物に狙わせたんだ。誰の策かはわからんし、俺も知らなかったから見事に一緒に囮に使われたみたいだけどな。……だから誰も助けは来ない」
「そんな……嘘」
「それが現実だ」
兵士さんの口調が強くなる。その語気を強めた言葉は、嘘など言っていないとわかるのには十分だった。
「お父さんも、お母さんも、村の皆も、その為にみんな……みんな」
「……そうだ」
「誰も、助けてくれないの?」
「そうだ、俺たちだけで生き残らなきゃならない。都合の良い現実なんて、無いんだ。だから……あ」
私は目からさっき押さえた筈の涙が、溢れるのを止める事ができなかった。何故と言う想い、そして怒りと悔しさが私の中に込み上げていた。……そんな、そんな事の為にこの村は、お父さん、お母さんは。
けれどそんな様子を見て、兵士さんは唇を噛み、そして自身の頬を思いっきりひっぱたいた。
私はびっくりして兵士さんを見た。
「ごめん、な。本当はもっと上手く言えたり、ごまかしたりできなきゃいけないのに。俺じゃできない。君の事もうまく慰めてあげる事も、うまい言葉を言ってあげる事もできない。……俺にできるのは、嘘をつかないで、自分の出来る事を正直に話す事しかできないんだ」
兵士さんは片方を赤く腫らした顔でまたこちらを見て、深々と頭を下げた。私は思わず息が詰まる想いだった。自分よりも年上の男の人にそんな事された事が無かったから。
ただ私は、ある一つの希望が打ち砕かれてしまっていた。
……そして口に出してしまった。
「あなたは……勇者様じゃ無いの?」
助けてと願った時、目の前に現れた人物。……英雄の様に現れて、私を助け出してくれた人物。
もしかしたらって、私は思っていた。
ーーその時の言葉が、彼にとってどれ程の傷を負わせたのだろう。その時の私では、その言葉の意味に気づく事ができなかった。
その言葉を口にしてから少しして、私はその様子に気がついた。
兵士さんの表情は変わらない。……それでも、わかってしまった。私はなにか取り返しのつかない、ひどい事を言ってしまったと。
助けてくれた恩人に、なんて事を言ってしまったんだろうと、子供ながらに理解した。
「あ、あの、ごめ……」
謝ろうとすると、私の口を塞ぎ、制する。そして兵士さんは、私に優しく語りかけた。
「そう、俺は勇者なんかじゃ無い。ただの一般人の兵士。魔物の一匹も倒せないし、都合よく魔法も使えてくれやしない。それが現実。……カッコ悪いったらありゃしないよな。俺じゃこの状況をなんとかなんてできない。できなかったんだから。結局、こんな状況になっても何かの力には目覚めないし、努力が報われる訳でも無かった。……俺には結局、何にも無かったんだ」
兵士さんは話を続ける。その何かを絞り出すような声に、私は胸を詰まらされた。
「見ろよこの手。震えが止まんねぇの。……隠しても仕方ないから言うけど、正直怖くて仕方ねぇんだ。どう頑張ったってこの状況をひっくり返えせないし、俺は勇者になんかには成れない」
その震えは、きっと本当に恐怖から。けれど他の感情も入っているように私は感じた。
「けど」
兵士さんは私の目を改めてしっかり見据えた。私はその目を逸らす事なく見た。
「そんな俺の情けない手だけど、とってくれるか? 俺は俺のできる事しかできない。だから情けない役に立たない兵士だとあとで罵倒してくれて構わない。だけど、だからこそ約束する。絶対に、君だけは助ける。逃げ延びるまで、その手を離さない」
そう言って兵士さんは立ち上がり、私に手を差し出す。
……さっきも見た。煤だらけ、傷だらけの手。とても震えていて、それは正に勇者なんかじゃ無い、頼りない手。
それでも私はその手が、どんな物より力強く、頼りに見えた。
自分の弱さをさらけ出し、怖いとわかっていても、それでも私を助けてくれようとするその人は、私にとってはお話の勇者よりも、ずっとずっとカッコ良く見えたんだ。
「……お願いします。私と一緒に逃げてください。……私の事を、助けて下さい」
私はその手を取った。そして兵士さんは私の手を、力強く握ってくれた。
悲しい事、辛い事ばかりだけど、今だけは胸の中にそっとしまう。しまえたのはきっと、繋いだその手が暖かかったから。
ーーそしてその彼はその言葉通り、本当に最後までその手を離す事は無かった。
ーー地獄の様な炎の中、私と一緒にいてくれた事。……あなたがどんなに辛くても、泣き叫んでも、私の事を見捨てずに引っ張っていってくれた事。その背中を、その手の温もりを、私は生涯忘れる事は無かった。
次で最終話の予定です。