運命の戦場
また今日もポンドルの街の掲示板にお知らせが張られる。最近国中で騒がれているある一人の若者の話題が中心だ。その若者は突然王都に現れ、グリフォニア王国に伝わる伝説の剣を抜き、悪名高い魔獣を退治し、今や世界中に名前を轟かせている。
掲示板を取り囲む住人たちの話題は当然その事で持ちきりだ。古の勇者様の再来だとか、どんなに勇ましく麗しいお姿なのだろうかと、飽きもせずガヤガヤと声を出している。急な休日取り消しの休日返上で掲示板周辺の警護に当たっている俺に、もっと気を使って静かにして頂きたいものである。
しかしあんまり騒がれて何かめんどくさい事になっては困るな…。そう思い俺は特に騒がしくしている商工会のババアやミーハーな若い娘の集まりに向かって嫌悪感丸出しで睨んでやった。
「うわ、なんか見てるんですけど……気持ち悪い」
「見てあのくたびれた顔。勇者様とは大違い」
「きっとこの話題が気に入らなくて嫉妬してるのよ。みっともないわぁ」
散々な言われようだ。つーか向こうも明らかにこっちに聞こえるように言ってやがんな。
別段気にはしない。だって全部あってるし。メンチ効かせながら腹が立つであろう顔をわざわざチョイスしてそっち見てるし、実際もう心も体もくたくたである。お前らも一ヶ月ぶりの非番の日をこんな所で潰されたらこんな顔になるぞ。
そしてなにより俺がこの勇者様に嫉妬しているだって……? ふざけるな。してるに決まってんだろ。
だってお前らが話題にしているその男は、圧倒的な戦闘力で敵を倒し、民衆が誰も知らない技術を持ち、いつも可愛い女の子を周りにはべらせているような奴である。しない訳がない。しかしそれだけが理由じゃない。
俺は一度だけ勇者様を直接見たことがある。そしてある確信を得ていた。
こいつは日本人。間違いなく「異世界チート」の使い手の筈だ。なぜわかるかって? それは何故かと言うと俺も日本人であり、この男よりも10年程早く異世界に転生してきているから。
この男との違いは恐らくたった一つ。俺にはなんにも特殊な能力も発現しなかった事。
自分の名前は山岡春一。日本のごくごく一般的な社会人から、異世界転生を経てただの王国兵士に転職した一般人である。どこで差がついた。
◆ ◆ ◆
「悪いなー、今日は代わってもらって」
「なんか奢れよな。どんだけ街のクソアマどもにボロクソに叩かれたと思ってんだよ」
「どうせお前の態度と目付きが悪かったんだろ」
「うるせぇ、そうだよ。奥さんの体調は大丈夫なのか?」
休日出勤を終えた後、俺はポンドル大通りのいつもの酒場で同僚のアルベルトと飲んでいた。こいつの代わりに俺が出勤したので、お詫びにと言う事である。
「おかげさまで今はすっかり元気だよ。『あなたが居てくれたから病気なんか吹き飛んだわダーリン』って言っててさぁ…」
「ノロケかよ。心配して損した、リア充死ね」
「お前たまによくわからん単語を出すよな……」
右手で素早く首をかっ切るモーションを行いながら力強く左手中指を立てる俺を見て、アルベルトは苦笑いする。こいつは生暖かい目で見てくるが俺は案外本気でジェスチャーしてたりする。他人の幸福話なんざごめんだね。
「……せっかくの休日が」
「どうせ休みの日でもアホみたいに剣を振って本とか読むだけだろ? よく飽きねぇよな。出世行事以外は真面目な奴だよなぁ」
「いらん口を閉じろ。皿を突っ込むぞ皿を」
今日の出来事で昔の事を色々思い出しイライラしていた俺は、大コップに入っている飲み物を一気飲みする。ポドルと呼ばれるビールにとても良く似たこの街の名物酒。少し甘味があって味はどっちかと言うとコーラになるかな。異世界と言えども同じ人間の考える事だ。前に居た世界とは微妙に違うが似たようなものはたくさんある。
「けどほんと助かったよ、ありがとな。妻も感謝してるよ。やっぱり何だかんだハルイチは口が悪いだけで良い奴だな」
「誉めるならちゃんと一から十まで誉めろ」
「ちゃんと謙虚な態度をとってれば、とっくに兵士長になっててもおかしくないんだけどな」
「興味ない。一人で暮らしていくのには問題ねぇよ」
アルベルトはやれやれと言った感じで肩を竦める。いちいち俺の癪にさわるリアクションしやがって。別にこいつが悪い訳じゃ無く、俺が一方的にイライラしているだけなんだけど。
「もったいねぇなぁ……じゃあ今度のドラゴン討伐にも参加しないのか?」
「……しない。そんなの勇者様とその信者に任せとけ。俺の出る幕じゃない」
アルベルトが言っているのは、ここから西の大陸にあるガリア帝国に生息する巨大なドラゴンの討伐作戦の事である。長年ドラゴンとの戦いは続いていたが、勇者の出現によって、ついに大規模な作戦が遂行される運びとなったらしい。
しかし俺は生まれた時からのモブであり村人Bである。ましてや異世界転生ブーストをかけても兵士になるのがやっとだった。そんな俺に地位や名誉、ましてや世界を救うなんざ柄でもない話だ。
俺はそんな言葉を飲み干すように、もう一杯ポドルを一気に喉に流し込んだ。
……俺はどうしてこんなところにいるのだろうか。何の為にこの世界に来たんだろうか。
◆ ◆ ◆
………
……
どうしてこうなった。
俺は今ポンドルの街を離れ、西の大陸に来ていた。もちろんドラゴン討伐の遠征部隊に加わっているのである。
理由はただ一つ、上司に言われたから。なんという社蓄根性。辺境の街であるポンドルの兵士も遠征部隊に選別されている辺り、よっぽど大きな作戦らしいということが伺える。
同僚の休日出勤の代わりをさせられ、上司の命令で行きたくもない出張に向かわされる。異世界に来たのに特に日本に居た時と変わっている気がしない。絶望的な考えから目を逸らそうと視線を動かした先にはアルベルトが奥さんの写真を持ちながら愛してるよーとか話しかけている。しばいたろか。
まあけれど今回の任務としては後方からの支援。一番先頭にはあのチート勇者様の援護が主な仕事だ。勇者の周りには魔術師や戦士達がいる。一人一人名だたる凄腕らしい。そしてもれなくほぼ全員美少女である。どっからそんなに集まってくるんだろうか疑問である。
しばらくして予定野営地に到着すると兵士たちが集められ、軍団長からの作戦が伝えられる。勇者達が正面から山に突撃しドラゴンに挑み、俺たちはその突破からあぶれた魔物の群れを掃討する。相手は知恵のある人間ではない。なのでその作戦は単純明快だ。こんなの集まって作戦を伝えるまでも無くないか?
そう思ったがどうやらその先が集めた本当の目的らしい。
「ここまで多くの戦いを、そして困難を俺たちは乗り越えてきた。そしてこのドラゴンさえ倒せば長年苦しめられた戦いに終止符を打てる。皆苦しいと思うけど……俺たちに力を貸してくれ!」
拳に力を込めて群衆全員に言葉を投げ掛ける。その場に居た多くの兵士はその自分達よりもずっと若い勇気ある勇者の言葉に感銘を受け、士気を上げていく。
あれが勇者アカツキ。一年ほど前に突然現れ、世界の驚異に悠然と立ち向かう現代の勇者だ。
あいつは特に変わった事は言っていない。良く練られた演説でもなければ、深く考えさせられる様な知的な言葉でも無い。ただあるのは勇者が放った言葉だと言う事。たったそれだけで軍隊の雰囲気は最高潮だ。
どうしても冷めた目線で見てしまう俺は、熱気が最高潮に達する野営地の中心から一人こっそり抜け出す。
ドラゴンの棲む山の麓の湿原地帯の比較的足場の良いところに陣を取っている。俺は野営陣地の外へ向かっていた。あの汗くさいしむさ苦しい狂気染みた空気から解放されたかったのだ。
少し離れた場所の石の上に腰を下ろし、自分の武器の手入れを行う。先程国から支給されている剣はやったのだが、それとはまた別に自分の剣を持っていたので今の内に済ませることにした。
「こんなところに一人でいたら危ないですよ。ドラゴンの巣の近くなんですから」
後ろから誰かが声がかけて来たようだ。俺は警戒体勢をとる。何かが来ているのは気付いていたし敵意のある気配じゃなかったのはわかっていたけど、長年の異世界生活で鍛えられた俺のビビりセンサーがそうさせてしまうのだ。
目の前には白いローブを来た若い娘立っていた。少し明るい黄色がかったブロンド色の髪をなびかせている可愛い系の美女である。
見覚えあるな……確か勇者ハーレムの中の一人に居たような気がする。名のある魔術師だろうが俺はよく知らない。俺が注意深く見ている間もその少女は警戒をさらりと受け流し話を続ける。
「アカツキさんのお話は聞かれないのですか? 作戦についてのお話もありますよ」
「後で聞くから大丈夫ですよ。それにたいして複雑な作戦でもないし」
「でも……」
少女は心配そうに俺の様子を伺っている。おっとりと柔らかい雰囲気でとても勇者様御一行の一員とは思えない。
だがどこか俺を探るような気配がする。……まあ、どうせ反乱分子が出て作戦に支障をきたすのを恐れているのだろう。俺自身の心配じゃ無いとはいえこんな可愛い女の子の心配の対象になるなんて異世界転生冥利に尽きる。
「逆らったりしないから大丈夫ですよ」
「いえ、そういう訳では……もしかして私たちがお嫌いなのですか?」
少女はしゅんとなり一度顔を伏せた後、上目使いぎみにおそるおそる質問を投げ掛けてきた。あざと可愛い。美少女のこんな姿が見れるなんて俺、今が異世界に来て最大の女運じゃないかと思う。
しかしそれ以上は何か思うことも無く、姿を目に焼き付けた後話を続ける事にした。
「誰もが心から勇者に無条件に従うなんて事ないですよ。俺みたいなひねくれている奴もいます。けど、生活がありますのできちんと働きますよ」
「ふふっ、変わった兵士さんですね。嫌々なのに他の兵士さん以上に準備を入念に丁寧に行っています。自分の生活の為に戦いの場に赴いたのですか?」
「……上から命令されれば来ますよ。体が勝手にはいと返事をしてしまうのです。あなた方みたいに、自分から世界の危機に立ち向かう勇気も力も俺には無い。蛮勇と言うか、あなた方の正義に付き合わされている私の休日を返してください」
今日も休日出勤だという超個人的な理由を振りかざし、世界を救おうとするヒーローヒロインの方々に皮肉を垂れる。超カッコ悪いのは承知だがついつい言葉が出てしまう。
「やっぱり嫌われてますね……ごめんなさい。けどきっとアカツキさんも私たちも、皆さんの協力にとても感謝しています。だから絶対に皆さんを死なせたりしません。私たちが必ずお守りします」
本当に申し訳なさそうな顔をし、俺なんかにご丁寧に頭を下げて謝る白ローブの女の子。その言葉には真摯さが込められていた。
心からの感謝の気持ちが伝わる。そして何より本当に仲間を、そして勇者を信頼しているのだろう。きっと俺の知らない冒険があって、俺の知らない絆が存在するんだ。俺の何倍も大変で、意味のある時間を過ごしたんだろう。
これはあれだな、昔読んでいた漫画とかによく出てくるやつだ。俺は主人公とかにあんたのやり方は気に食わねぇとか言った後、なにかしらピンチになって結局助けられて主人公を認めるモブキャラさんの役割……我ながらうってつけじゃないか。
「まあ、俺なんかじゃなく他の兵士に言ってやって下さい。きっとあなたが言えばみんな喜ぶから」
「……やっぱ似てるなぁ」
「あん?」
なんだ急に。
「いえやっぱり、あなたとアカツキさんって全然似てないのに似ているなって思って」
「なんですかそれ。高度な皮肉でしょうか。勇者と似ているなんて言われて物凄く光栄ですけどね」
「あ、いえ。あなたがアカツキさんに似ているのでは無く、アカツキさんがあなたに……」
「全然似てねえよ。バカにすんな」
少女の言葉を最後まで聞かず、俺は少女の横を通りすぎ野営地の方向へ足を向ける。少しすれ違って立ち止まり、背中越しに少女に言葉を吐き捨てる。
「あいつは勇者で、俺は一般人だ。何もかも違う。比べられるのも向こうに申し訳無いし、何より俺が気に食わん。だから無理して勇者を引き合いに出して俺に気を使わないでください」
急に態度が変わったから、少女はびっくりしただろう。けど怒りを抑えることができなかった。
似ているだろうな。だってあいつと俺はおそらく同じ世界から来たんだから。それに気付くとは流石勇者の仲間といった所だ。だけど徹底的にあいつと俺は違う。あいつはきっと世界を救う為に望まれてやって来た奴。そして俺はきっと事故かなんかで望まれずこっちに来てしまった奴。
あいつはあいつなりに頑張って、一年で今やこの異世界の希望の星だ。
そして俺は俺なりに頑張って、10年以上経ってもただの一兵士である。それだけの違いがある、だから一緒なんかじゃねぇよ。
「本当にごめんなさい。私怒らせるつもりじゃなくて……」
「……わかってます。俺がついイライラせて……申し訳ございませんでした」
向こうの方が立場も実力も上だろうに。俺みたいな奴に気を使ってくれている、そんな女の子に俺はまったく最低な奴である。これ以上はお互いの為にならん、そう判断しさっき止めた歩みを再開する。するともう一度、少女から声がかかった。
「あの! えっと……覚えてないと思うのですが、その」
「これ以上俺に何か?」
「はい、……あの時は本当に」
少女が何かを言いかけた時、野営地の方から何か大きな声がした。
そして伝令の兵士と、アルベルトがこちらに走ってやって来た
「ドラゴンが来たぞ!!」
白ローブの少女に伝令が伝えられる。すると少女は表情を引き締め、急いで野営地へ駆けていった。
アルベルトは肩で息をし、俺に詳細を伝える。
「予定外だ。ドラゴンがこっちに来やがったらしい!作戦だと準備が整い次第ドラゴンの巣に一時的に帝国が張っていた簡易結界を解いてこっちから突撃の予定だったんだが……」
つまり何らかのアクシデントがあり結界が先に破られたと言うことか。もちろん想定外の事が起こるのが戦場であって、その事を想定していないって事はあるまい。ただ先手は確実に打たれたようだ。
俺は野営地に向かいながら空を見上げる。そこには巨大な影が、俺達の陣の方に確実に向かっていた。
……こうして俺の人生を左右する、忘れられない戦いが始まる。