94「癒えぬ傷痕」
せっかくの一家団欒だというのに意気が上がらぬことおびただしい。
夕食が終わるとルルティナはさっさと片づけをすませて床に入ってしまう。
三つ子ちゃんたちも、姉の期限を察してか特にぐずることもなくすやすやの世界だ。
アルティナは……いつもと変わらない感じ。
「てなわけで、俺とルルティナで行うウェアウルフ族のトラウマ払拭への道会議を執り行うことにします」
「わーっ、パチパチパチです」
「なんで私まで……」
ログキャビンの中ではナイショのお話もできかねる。
よって俺とリリティナとヴィオレットは場所を岩場の露天風呂に移していた。
「森の中にこんな秘湯が隠されていたとは……」
ヴィオレットがキョロキョロと視線を走らせている。
雪が積もってなくて腰かけて話せる場所って森の中でここしかないんだよなあ。
ヴィオレットちゃんもよければひとっ風呂浴びてゆくがいいさ。
「こっ、断る! どうせ背中を流せとか、わたしの身体を駆使しておまえの身体を清めろとか無理難題を突きつけるんだろうっ!」
ンなことしないよ。
君は森の聖人シロクマをなんだと思っているんだい。
「クマキチさま。とりあえず姉さんの中にあるニンゲンは卑怯で卑劣で残忍で臭くて汚いっていう意識をいかに取り払うかってことを話しあいましょう」
「ちょーっと待った! それは私のことなのか? 私は臭くて汚くて便所無視以下の存在だとでもいうのかーっ!」
違うだろリリティナ。てか、この子の中にもやはりロムレス人たちへの大いなる恨みが微塵も消え失せていないのだろうか。
「おいリリティナさん。そのへんにしておいておくれでやす」
「冗談ですよ」
コロコロと笑うリリティナをヴィオレットがなにかいいたそうな瞳で見つめている。
「実はだな――」
俺はヴィオレットに対してウェアウルフ族である彼女たちが今までロムレスの騎士たちに受けて来た仕打ちの数々をできるだけ淡々と語って聞かせた。
「そ、そんなことがあったとは……ッ」
――すると三十分もしないうちにヴィオレットはリリティナたちの境遇に共感して両目から滂沱のごとく涙を流す。それはもうダボダボと。
ちょっと単純すぎじゃね?
いや、悪い意味じゃなくてさ。
「とりあえずヴィオレットは泣くな。ルルティナたちウェアウルフが故郷を追われたのはおまえの責任じゃない」
「それは詭弁だ! 私はこれでも王国に仕える騎士のひとり。ならば、すべての騎士の過ちは私にもあるっ!」
「んーなこといったってさぁ。それじゃあ、同じ騎士だってだけで、どっかの誰かがやっちまった罪をすべておまえが引き受けなきゃならない理屈になるじゃないか。そんなのナンセンスだよ」
「だがっ!」
「ちょっと待ってください」
「リリティナ……?」
「ヴィオレットさん。まず、はじめにいっておきたいのですが、私はあなたに詫びてもらいたくて、お話を聞いてもらったのではありません」
「くっ。しかし、リリティナ。今の彼の話からすれば、和戦の盟約を破って一方的に奇襲をかけたのはロムレスの騎士だ」
「けれど、それはもはやすんでしまった話なのですよ」
リリティナがくっと顔をやや上向きにする。
彼女の視線はまっすぐヴィオレットを向いている。
こうしているだけで彼女の決然とした意志が読み取れた。
「確かにニンゲンに対する私たちの恨みは一朝一夕でどうにかなるものではありません。現に私や姉妹たちはロムレスの騎士たちとの敗戦以降、故郷を奪われ塗炭の苦しみを味わってきました。けれど、冷静に考えればこの大陸にいるほとんどがニンゲンという種族なのです。こうして父祖の地であるヴァリアントの森に隠れ住んでいても、いつかは接触をしてしまうでしょう。そのときのために、いい方はよくないですが、私たちは慣れておかなければならないのです」
「慣れる……」
「ええ。いいかたはあまりいいとはいえませんが。それでも、私たちウェアウルフはニンゲンとの和睦の道を探るべきです」
ヴィオレットは小さく唸ると細く長い指で自分の唇をなぞりはじめた。
たぶん、癖なのだろうが、その憂い顔は酷く蠱惑的に映った。
「リリティナ。君の考えは素晴らしいと思うが、その道は一朝一夕に成功はしないと思う。長く、苦しい困難がつきまとう。少なくとも君の姉は、当然の話であるが酷く頑なだ。今、現在も追われる身の上であるならば、当然だろうが……」
「ヴィオレットさんはたまたま旅の途中で私たちの家に立ち寄られただけかもしれません。けれど、この一事は私からすれば天祐であるとしか思えないのです」
「私が、天祐……?」
「ええ、そうなのです。私も願ってはいましたが、ニンゲンと接触することを能動的に行うまでにはいたりませんでした。けれど、あなたが私たちの前に現れたことで決まったのです。覚悟が――」
「覚悟?」
「ええ。姉さんや私は同胞たちの死や悲惨な最期をあまりに見続けてきました。友好的にといっても、本音のところで私や姉さんは究極的に相容れないままで終わるかもしれません。けれど、ララ、ラナ、ラロたちの三人は違うのです。あの子たちは、まだ、自分の目でニンゲンたちの悪意を――お母さまの命を奪われるところを見ていない。聞き伝えである、今ならば、まだ引き返せます。そう、信じているのです。私は、妹たちに誰かに会う前から悪意を持つ者になって欲しくはないのです」
正直、ジーンと来た。
この武骨なシロクマの胸に来たのだから、ピュアなヴィオレットからすれば相当なものであろう。
「リリティナ、よろこんで協力しよう。いや、むしろこちらから協力させて欲しい。私にできることならばなんでも。あなた方を傷つけた騎士たちの罪を私に雪がせて欲しい」
うおおっ。
このシロクマの胸にも熱いものが灯ったぜ。
絶対ルルティナたちと人間の仲をとりもってやるけんの!
「で、どうすればいいと思うのだ?」
ヴィオレットがどこかサッパリした顔つきで俺を見る。
うーん。
とりあえずノープランだ。
湯煙の中の沈黙が痛い。
頼むからなんかいってくれよ。
ウェアウルフは生来群れることを好む種族である。
ゆえにプライベートな空間を作ることを好まない。
繁殖期に入った夫婦を別にすればできる限り家族とともに過ごそうとする。
リリティナは毛布にくるまったまま、姉妹たちの寝息を聞き薄く目を凝らしていた。
クマキチが座ったまま眠る大きな背が目に入る。
静かに燃えるほのかな炭の火がやけに大きく映った。
――嘘ばかりが上手くなる。
実際のところリリティナは姉妹の中で誰よりもニンゲンを憎んでいる。
父母を殺され、姉のポルディナを売り飛ばされ、故郷を焼かれた。
居心地のよい野山を、湖を、田畑を、花園を、果樹園を、村を奪われた。
「うっ、ぐぅ……」
呻き声を押し殺すのが精一杯だ。
思い出すだけで灰燼と化した村々が目蓋に蘇る。
逃亡の日々で失った乳母や、友であった侍女を思えば今でも腸が煮えくり返りそうだ。
が、リリティナのいった言葉すべてが嘘だというわけではない。
ロムレス人たちの力は必要だ。
それも普通の者ではなく、自分たちから祖父伝来の土地を奪った貴族などよりも、はるかに高位の者たちの力が。
リリティナは、姉妹の中で実はもっともロムレスの文化に触れて育った。
知に貪欲なリリティナは汎用ロムレス語の文字はおろか、遡れば千年を超える歴史を持つロムレスの文化を貪るように吸収した過去がある。
だから理解できるのだ。
――亜人はニンゲンに勝てない。
ニンゲンの歴史は闘争の歴史である。
単純に個々の戦闘力を比べて見れば、あらゆる亜人に比べて人間は酷くか弱い。
貧弱といっていい。
牙や爪といった生まれついての武器を持たず、筋力も瞬発力も虚弱な人間はいかにも虚弱で不完全な種族であるか。
だが、それらを補うために人間は知を継承して来た。
いかにして自らの弱さを克服し、あるいは受け入れて前へと進む。
リリティナは幼いころから村の男たちが強いのではなく、ただ負けず嫌いなだけであることに気づいていた。
どれほどの怪我を負っても涙ひとつ見せず、怯えや痛みを露にすることは悪であった。
弱いことが悪であれば、当然、強さに含まれるあらゆる傍若無人さには目をつむることになる。
(暴力は嫌い)
そよ風が吹く丘の上にある木の下で、父にねだって買ってもらった本を読むのが幼いリリティナの中で一番の楽しみだった。
「なにを読んでいるのかしら。私のおちびちゃん」
「ポルディナ姉さまっ」
ある晴れた午後――。
リリティナは食い入るように視線を落としていた本からすぐに顔を上げて、姉のポルディナを笑顔で見返した。
「これね、これね。今、王都で一番流行っている冒険物語なの。とっても面白いのよ!」
「まぁ、どんなお話なのかしら」
綺麗に切りそろえた髪が美しい姉を前にリリティナは途中まで読んだ物語を語って聞かせた。
物語の筋はいたってシンプルだ。
伝説の剣聖ローグが各地を放浪して悪者を退治し名も告げずに去ってゆく。
リリティナは物語の主人公である陰のある青年剣士が好きであった。
村の若者と違って自分の強さをひけらかさない奥ゆかしさがいい。
文章の端々に見られる青年の孤独さと挿絵の絶妙さが相まって、物語は少女の心に深く焼きついた。
「そう。でも、なにかこの剣士さまはさびしそうね……」
ポルディナは挿絵に乗った赤い髪の青年を見ると、どこか苦しそうに目を伏せた。
「でも、ローグさまはとっても強いのよ。それに余計なお喋りはしないし、私は好き!」
「リリティナ。あなたは剣士さまのような殿方が好きなのね。今に苦労するわ」
「なぜかしら?」
「だって、このお話の剣士さまは、ずっと旅をしているし。そういう方って、ひとつの場所には留まれない気性だから。ああ、私って子供相手になにを話しているのかしら……」
「? 私にはよくわからないけど、姉さまにはルークさまがいらっしゃるからだいじょうぶですね!」
ルークとは姉であるポルディナの婚約者である。リリティナはルークのことについては深く知らなかった。けれど、切れ長の美男子であり村の若者とは違ってやさしい気性の男は姉にとって似つかわしいと幼心に思っていた。
「そう、ね」
「姉さまはルークさまのことお嫌いなのですか?」
ポルディナは大きな瞳をキョトンとさせると小さく吹き出した。
「そういうわけじゃないけれど。ルークさまはなんでもおできになられるから、私のしてあげられることないかなぁ、って」
「そうなのですか?」
「そうなのです。私、旦那さまには自分で作ったお料理を食べてもらったり、いつも着る物は洗ったり、繕ったり、お部屋だって心地よく過ごせるようお掃除してあげたいわ」
――そんなのメイドにやらせればいいのに。
と、思ったリリティナであったが、これから営むであろう新婚生活に夢を抱いている姉に向かって心ないことは、とてもではないが口に出すことなどできなかった。
「わかってるわよ。嫁に行けばおつきの者がベルベーラ家からたくさんついてくるってことくらい。夢のなのよ、夢。私は家事くらいしか能のない女ですから」
ポルディナはふんと鼻を鳴らすとすねて見せる。
いつもは近寄りがたい雰囲気であるが、結構お茶目な部分がある姉であった。
「そ、そんなことありません。私は姉さまのいいところ、いーっぱいいーっぱい知ってますから。でも、もしかして……怒らないで欲しいのですけど、姉さまはルークさまのところにお嫁に行くのが嫌なのですか?」
「そうはいってないけれど。もう、こういうのは微妙な乙女心なのよ。リリにはまだわからないわよねぇ。おちびちゃんだから」
どこか悪戯な目をしたポルディナが脇腹をくすぐってくる。
リリティナが我慢できずに身をよじると、今度はぐしぐしと頭を強く撫でられた。
やや乱暴な手つきであるが姉のやさしい手で触れられるのは嫌いではない。
嫌いではないが子供扱いされるのは少し悔しかった。
「あ、ぐしゃぐしゃはやめてください。リリはもう立派なレディですよっ」
「うふふ」
「もう、やめてくださいーっ」
「あ、嘘嘘。冗談よ。怒らないでね、私のおちびちゃん」
「もうっ、もうっ」
無限の可能性を持っていた姉。
富裕な一族の男に嫁ぎ、なんら不自由なく生涯を送れるはずだった姉も結局は戦時賠償の穴埋めとして奴隷に落とされ売り飛ばされた。
リリティナはそこまで思い出すと、毛布の中へと顔を引っ張り込み、深く、深く自らの思いに潜行してゆく。
ポルディナとの別れの日を思い出す。
和戦の盟約を破ってウェアウルフ領を襲って来たロムレス騎士団の兵力は圧倒的だった。
寝耳に水の奇襲はようやく戦いが終わったと気を抜いていたウェアウルフの戦士たちを、まるで赤子の手をひねるように破ってゆく。
こうなると、どのような名将であっても陣を立て直すことは不可能に近い。
リリティナの父は一族の先頭に立って戦ったが、ついには破れ捕らえられてしまう。
そんな父を救うべく、自らを投げ出して敵陣へと交渉に向かった姉のポルディナはどの男よりも勇敢であった。
姉は、父と一族を救う身代金の補填を自らの身体を投げ出すことで補填したのだ。
――リリティナ。あなたはいつも笑っていてね。
姉にかけられた奴隷の首輪と手枷だけが禍々しく光っている。
ジャラジャラと鎖の音を響かせてなお、ポルディナは微笑んでいた。
それは姉妹たちをそれ以上怖がらせまいとする姉のやさしさだった。
(この女は役に立つ)
逃亡の日々。
リリティナは密かにニンゲンたちの情報収集に余念がなかった。
大きめの街に立ち寄る際があれば危険を冒して新聞を手に入れ貪るように、大陸の情勢を読み解いた。
そして二年前、大陸全土をふたつに割って起きた王位継承戦争の中で、偽王太子派を破った勝ち組である王女派の陣営の中に、有力諸侯であるバルテルミー伯爵の名があったことを覚えている。
ヴィオレット・ド・バルテルミーと彼女は名乗っていた。
それが虚言ではなく、ロムレス王国における南方の雄のアンドリュー伯の一族であればこれほど力強いものはない。
身にあふれる憎悪を堪えてニンゲンと親交を結び、辺境伯の暴虐性を訴えるのだ。
もはや全土へと散り散りになった一族を糾合しても、それだけで生まれ故郷を取り戻すことはできないだろう。
(けれど、彼女が、もしヴィオレットがアンドリュー伯の一族であるならば、三十万を超える私兵を持つロムレス貴族の力を借りうることができれば、届く――!)
姉のルルティナは幼い妹たちを守って余生をヴァリアントの森で暮らすことを望んでいるが、リリティナは違う。
クマキチという万夫不当の力を持つ豪傑と、ロムレス有力大貴族の支援を受ければ怨敵であるコールドリッジ伯爵を討つことができるかもしれない。
(そのためには、必ず彼女の心をつかまないと)
心が痛む。
クマキチは自分の言葉に感銘を受けていた。
故郷の山々のように雄大で――。
ヴァリアントの森のようにどこまでも広大で慈悲深く――。
死地にあった自分たちを救ってくれたクマキチ。
(許してください、クマキチさま)
リリティナにとってクマキチの存在は、今や血を分けた姉妹たちに劣らぬほど重要な存在になっていた。
彼には何度も命を救われともに暮らして来た。
リリティナは唇を血が滲むほど噛み締めると胸の内に湧き上がる罪悪感を噛み殺した。




