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85「懐かしき我が家」

 冷たい風が荒れ狂っていた。

 季節は厳冬期である。


 衣服を幾枚も着込んでいたとしても、露出している部分が凍りつきそうなほどだ。


 ロムレス王国の最北端に位置するある村――。


 吹きすさぶ寒風に負けないくらい、赤々とした火があたりの家屋を嘗め尽くしていた。


「どうしたどうした。もっと盛大にやってしまってもいいんだぞォ。文句は誰にもいわせねぇ。なんせ、相手は国賊のウェアウルフ風情だ。やり過ぎるってのがちょうどいいくらいだ。なぁ、オイ」


 焼き払われていたのはウェアウルフという亜人たちが住んでいたとある集落であった。


 ほとんど山賊同然に狼の巨大な毛皮を身に纏った巨躯の男が豪快に笑っていた。


 男は幾人かの部下を指揮しながら椅子に座って酒を呷っていた。


 男の名はギャスパルという賞金稼ぎである。

 背丈は二〇〇センチ近い偉丈夫だ。


 厚い衣服の上からも異様に筋肉が発達しているのがわかるほどの体格で、遠目にはクマと見紛うばかりだ。年のころは四〇代前半といったところか。


 顎髭には若干白いものが混じりはじめているが老いはまるで感じさせない。


 全身から精気が滲み出ているかのように存在自体が圧倒的だった。


 ギャスパルはロムレスの冒険者ギルドに登録している正規の会員である。

 冒険者ギルドの規約では、たとえ賞金首を捕らえるときであっても、被害は最小限度に止めるよう固く義務づけられているが、実際ルールを守るものなどいなかった。


 ギャスパルは三〇人ほどの部下を指揮して、まず賞金首であるウェアウルフの集落に火をかけ、慌てて飛び出して来たところを片っ端から矢で射て、戦闘力を無効化させたのだった。


 中央の目が届かぬ辺境ではギャスパルのような男がやりたい放題をしても誰にも咎められない。


「おっとぉ、男は殺していいが、女は傷つけるなよぉ。ウェアウルフは昔と違って数がいない。今や希少価値が高い。ってことは奴隷商人に高く売れるんだ。レックス。わかってるだろうなぁ。徹底させろよォ。ん?」


 ギャスパルは手にした九〇センチほどのこん棒をレックスの顔の前に突きつけながら、さも楽しそうに笑う。


「へ、へい。わかってやすよ、親分」


 ギャスパルの副官である赤毛のレックスは削げた頬を引き攣らせながら、瞬きを激しく繰り返した。


「おいおいおい。なにを怖がっているんだレックスぅう。まさか、このおれが働き者でお気に入りのおまえを、ぶん殴るとでも思っているのかぁ?」


「そんなっ。滅相もありやせんぜ、親分」


 レックスは恐れている。


 自分がギャスパルの意に即して誰よりも役立っているとは自負しているが、魂に染み込んだ恐怖心は消すことができない。


 それもそのはずである。


 ギャスパルのこん棒には幾重もの鉄輪が巻かれており、あちこちから、太く飛び出た鉄の棘が飛び出ていた。


 ギャスパルはこのこん棒で逆らう者を数えきれないほど打ち殺して来たのだ。


 そのためこのこん棒は死者の血で赤黒く染められて、燃え盛る家屋の火に負けないほど陰鬱で鈍い光沢を放っていた。


「まあいい。とりあえず戦利品を連れて来い。丁重にな」

「は、はいっ」


 しばらくするとレックスが腰縄で拘束したウェアウルフの女たちを連れて来た。


 数は八名。

 いずれもハッとするような美形である。


 真っ赤な炎に照らし出された彼女たちの年齢はバラバラだが、容貌が似通っているところから、姉妹か親族であると推察できた。


 虜になった女たちは数珠繋ぎで悔しそうに連行されている。ギャスバルの部下たちは女たちを卑猥な言葉で囃し立て、はしゃぎ、中には子供のように跳び上がる者までいた。


 男たちは衣服がところどころ破けたウェアウルフの女たちを下卑た目で見ながら薄ら笑いを浮かべる。


 気丈な目つきをしたウェアウルフの女がキッと睨みつけるが、男たちはますますよろこぶだけだった。


「おいおい、行儀が悪いぞおまえたち。それじゃあまるで何日もメシにありつけなかった野良犬みたいじゃないか」


「へへへ、すんません親分。なんせ、もう長いことコイツら女を見てねぇんで」


 ギャスパルがくいと顎をしゃくる。


 すぐさま縄を持っていた男が、ウェアウルフの中でも飛びぬけて気品のある女の頭髪を掴んで無理やり跪かせた。


 女の年齢は二〇代前半だろうか。

流れるような黒髪が目を引く美形だ。


 かような屈辱的なポーズを取らされても、女は視線だけは負けてなるものかと気丈にもギャスパルを睨みつける。


 それが気に入ったのか。

 ギャスパルはピーッと鋭く口笛を鳴らして目尻を下げた。


「よう。アスティアだったか? おまえさん、べらぼうな値がついてたぜ」


 ギャスバルがウェアウルフのアスティアに話しかけながら視線をわずかに横へと動かす。


 そこには、剽悍な戦士で知られるウェアウルフの男たちの屍が幾重にも積み重なって山となっていた。


 ギャスパルは顎髭を撫でさすりながら目を細める。


「亜人に一〇〇万ポンドルは、中々お目にかかれねぇ。探すの苦労したぜ。探すのはな」


 ――つまりギャスパルは探すのは苦労したが殺すのは造作もない、と嘲っているのだ。


「ふざけないでっ。毒矢を使って人質まで取ったくせに! あんな戦い方で勝ちを拾っておいて、恥ずかしくないの?」


「おいおいおい。恥ずかしいもくそもないだろう。おれは知恵を使っておまえたち国家の反逆者でお尋ね者のベルベーラ族を捕縛しただけだ。文句をいうならお上に訴えてくれよう。それに、より最小限度の労力で最大限の成果を得るのがおれのモットーだ。うんっ。にしてもおまえさんは美人だなぁ。勿体ない、勿体ない」


 ギャスパルが顎先を掴むと、アスティアはべっと唾を吐きかけた。


 これに反応したのはギャスパル本人ではなく、周り見ていたレックスたち部下だった。


「テメェ――!」

「いい、いい」


 キレかかって飛び出すとレックスを制するとアスティアは頬にかかった唾を指先で拭い、指先でニチャニチャと弄んだ。


「まぁーだわかってないのかアスティア。おまえの今の状況を」


 ギャスパルは指先に付着した唾をぬっと近づける。アスティアは激しい嫌悪の表情で牙を剥き、ウェアウルフ特有の犬耳を逆立ててふーっと唸る。


「一騎打ちならウェアウルフの戦士がおまえたちニンゲン風情に負けることはないのにっ」


「そうかぁ。そうだよなぁ」


 ギャスパルはニコニコと笑ったまま部下に命じて生き残りであるひとりのウェアウルフの青年を引き出させた。


「シャイルズ――あなたシャイルズになにを――?」


「くっ。アスティア! ニンゲンどもよっ。俺のことはいいっ。だから、せめてアスティアだけは――!」


「余計な小芝居をするんじゃねぇよ若造。親分が退屈なさるだろがっ」


 レックスは縄で後ろ手に縛られたシャイルズの横腹を思い切り蹴上げた。


 硬いブーツのつま先が胃袋に入ったのか。

シャイルズは横倒しになると苦痛の声を漏らす。


「卑怯者!」


 叫びながらアスティアはシャイルズに近づこうとするが、縄を持った男たちがぐいと強く引くのでその場を動くことができない。


「だーれーがっ、ひきょうものっ、だっ、よっ! ふっ、ざっ、けっ、るっ、なっ!」


 レックスは歌うように、節をつけて怒鳴るとリズミカルにシャイルズの身体のあちこちを蹴った。


 ごつっ


 と、レックスのつま先がシャイルズの顔面に入った。


 鼻骨が潰れて真っ赤な鮮血が噴き出す。


 ギャスパルが座ったまま膝を叩いて豪快に笑った。


 レックスは媚びるようにギャスバルを見ると、舌舐めずりをする。


「もう、やめて、やめてぇ……」


 大粒の涙をボロボロこぼしながらアスティアはうつむく。


「ケッ。俺たちを舐めるからこうなりやがるんだ。わかったら、最初から手間かけさせるんじゃねぇや!」


 シャイルズは無理やりその場に跪かさせられ、小さく呻く。


「なにをって、決まってるじゃないかぁアスティア。現実だよ。これが現実。この男は、生意気にもおれたちに抵抗してカワイイおれの部下を四人も傷つけた。許せない。許せないよなぁ。なあ、そう思うだろう。相棒よ」


 ギャスパルはこん棒に囁いたかと思うと、ほとんど間を置かず即座にシャイルズの後頭部にそれを振り下ろした。


 無防備な後頭部は棘こん棒の一撃で潰れたトマトのように弾けた。


アスティアの絶叫が火炎地獄の村に響き渡った。


「やめてぇ、やめてぇえええ!」


「いいや! 断じておれはやめたりしないっ。わかるか?」


 ギャスパルはアスティアの制止を無視してこん棒を振るう。真っ赤に染まったこん棒が夜空にシャイルズの脳漿を躍らせた。


「かああっ。いいっ。実にいいねぇ。おれに逆らったやつを一方的にぶっちめるのは! そう思うだろう、アスティア?」


 ギャスパルは無抵抗なシャイルズの頭を叩き割ると、ぴくぴくとこめかみを痙攣させながら邪悪な哄笑を延々と撒き散らした。







 長い旅をようやく終え俺たちは帰って来た。

 いや、実際は数えるほどの日にちなんだけどね。


 こういうのは気分だよ、気分。


 旅行から帰って来たお母さんが「やっぱり家が一番よね」とかいうけどさ。


 そんじゃあ最初っから核シェルターにでも籠もってろよって感じだ。


 ちょっとした小旅行で気分を変えるのは人生ときには必要なんですよ。


 俺はシロクマだけどね。

 てなわけで――。


 ヴァリアントの森はすでに冬支度に入っていた。

 サクサクと積もった雪を踏みながら歩く。


 出るときはまるで違う真っ白なログキャビンを見て軽く感慨に耽る。


 ああ、やっと我が家に帰り着いたんだ。


「クマキチさま、ひと息つきましたらすぐにお茶を淹れますから」


 隣を歩くルルティナが息を弾ませて俺の顔を見上げる。

 うんうん、やっぱこの子は如才ないな。


 目が合ったので微笑むとルルティナもにっこり。

 癒されるわぁ、この笑顔。


「お菓子も追加で」


「おかしー」

「おかしたべるぅ」

「たべるー」


 アルティナが犬耳をぴこぴこさせてつぶやくと三つ子ちゃんたちが連動して騒ぎ出した。


「はいはい。お姉ちゃんがとっときを出してあげますから。ほらぁ、ラロ。そんなに慌てないで。また転んじゃうんだから、っていってるそばから、もお」


 ルルティナは隙を衝いてダッシュしようとするラロを抱え上げると髪についた雪をサッと払った。


「それにしても、クマキチさま。ちょっと家を空けた間に随分と積もってしまいましたね」


「そだね」


 リリティナの言葉に相槌を打ちながら首を左右に動かしてコキコキ鳴らした。


「あ、生返事ですね。そういうのは女の子傷ついちゃうんですよ」


 リリティナがからかうように自分の頬に手を当て、しくしくと泣き真似をする。


 もちろん、冗談だけど彼女のような可憐な子がすると一瞬ドキッとするよ。


「たはは、許してよ」


「クマキチさま、お身体のほうは大丈夫ですか? だいぶお疲れですけど」


「ごめんごめん。やっぱ、なーんかドッと気が抜けちゃってさ」


「くす。その気持ち私もわかります。特にクマキチさまはご苦労なされましたから」


 うーん、さすがにアニ村の連戦が効いているなぁ。


 できれば当分はゴタゴタと離れて暮らしていきたいものだが、さてはて。


 それは置いておいて。

とにもかくにも、ふかふかした雪は気持ちよい。


シロクマであるこの俺にはバッチリ合うのか心がうきうきしてくるな。


「とりあえず一服したら、軽くひとっ風呂浴びてだな――」


 ふと視線を傾けると、リリティナがわずかにバランスを崩して倒れそうになっていた。


「おっとぉ」


 素早く腕を掴んでことなきを得る。


「す、すみません。私としたことが」

「いいっていいって」


 平時ではなんともない場所でも雪が積もってしまうと、高低差が掴みづらいのだ。


 雪山あるあるだね。

 シロクマ転生前山ヤだからそういうの詳しいんだ。


「あの……」


 ん? 


 リリティナがうつむいてもじもじしている。


 ああ、腕を掴んで引き寄せたせいで抱き締めるような感じになっちゃってたね。


 これは、紳士としてあるまじき行為だ。

 俺はそっとリリティナを解放した。


 が、彼女はなにかいいたげな表情で俺を見上げるばかりである。


「あ、あのクマキチさまは、このあと湯あみをなされますか……」


「え、あ、うん。そうだね。そうすると気持ちがよいね」


「あの、以前仰られていたのですが、今日は……私にお背中を流させていただけませんか?」


 そういえば、ヴァリアントの森に来たばかりのときにそんな会話をしたような。


 ま、背中流してくれるってンなら特に拒む理由もないのだけれど。


 なーんか忘れちゃってるような気がするなぁ。


「私、ずっと考えていて、覚悟決めましたから。クマキチさまなら……その……私のはじめてを……お捧げしても……むしろそれが願いというか……」


 は――! 

このプレッシャーは?


 背中にぎゅんぎゅんと物凄いオーラを感じて振り向く。


 そこにはルルティナが凄い目をして俺とリリティナを睨みつけていた。


「リリティナ、ちょーっとお話ししましょうか? ええ、嫌とはいわせないわよ。あ、クマキチさまはお気になさらず。これは姉妹同士だけのお話ですので」


「ちょ――姉さん? 私も軽い気持ちでいってるんじゃなくて――」


 リリティナをぐいぐいと木陰に引っ張ってゆくルルティナの表情は鬼気迫るものがあって、さすがのシロクマもたじたじなんだぜ。


 つーか怖い。


 離れた場所で「私の目の黒い内は好き勝手させませんっ」とかルルティナの甲高い声が聞こえて来るが、意味がよくわからんなぁ。


 とにかく姉妹には姉妹でしかわからないやり取りがあるのだろう。


 そこに首を突っ込んでゆくほどこのシロクマは無粋じゃないんだぜ。



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