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80「エルムの宝石」

 こうなることをどこか予感していた――。

 なのに、どうしてここまで心が痛むのだろうか? 


 ピムは宴の広場で倒れゆく数えきれないほどの村人たちを見ても、それが現実とは上手く認識できないでいた。


 特別製の眠り薬。


 これを宴に使われる酒樽に投入したのは、ほかの誰でもないピム自身なのだ。


 が、効果がここまでハッキリ出てしまった今は現実を直視するほかない。


「お、おまえらが悪いんだぞ……! あ、あんな茶番を僕に見せつけるからっ!」


 絶対に看過できない事態であった。


 いや、ジュリキチに恋するピムにとっては最悪の状況に陥っていた。


 よもやありえないと信頼していたテディの敗北――。


 それに伴って、あろうことか優勝したクマキチの願いは、なんとロミスケとジュリキチが長老の名のもとに結ばれてしまうという悪夢としかいいようのない展開。


 こうなってしまえばピムが唯一取れそうな手段は、無理やりジュリキチを攫って村を出るという方法しか残っていないが、現実問題不可能に過ぎた。


「あ、あ、あ。なんだよコレ、なんだよコレっ! ちょっとだけお灸を据えてやるだけって……そういうから協力したのに……! 知らないよ、僕、こんなの知らないよっ」


 男に手渡された薬は、ほんのちょっとだけ村を沸かせる、いうなれば宴の席にはつきもののアクセントのようなもの。


 が、実際問題目の前で起こっている事実は、聖熊祭そのものをぶち壊しにするほどの大騒動に移行しつつあった。


 宴につきものの酒はエルムの大好物であり、男女を問わず飲まぬものはいないほど上等な品だ。


 ピムが混ぜた薬は遅効性であったのか、わずかな時間を置いて覿面に効き出した。


 村人たちがバタバタと面白いように倒れていった。


 ピムはその場を逃げ出すこともできずに、ペタンとその場に座り込むと目元を潤ませてしくしくと泣き出した。


 聖熊祭の大松明の巨大な炎が、縮こまったエルムの少年の姿を静かに照らしていた。







「おい、大丈夫かっ。しっかりしろよっ!」

「みなさん、お気を確かにっ」


 俺とルルティナたちは、突如として倒れてゆくエルムたちに駆け寄ると、抱き起しながら懸命に声をかけ続けた。


「よいしょ、よいしょ」

「おきてー」

「おきるのー」


 三つ子ちゃんたちも踊るのをやめてエルムの皆さん方を介抱しているのだが、めったやたらにバッタバッタと倒れてゆくので収拾がつかない。


「クマキチさま。どうやらお酒になんらかの薬が仕込まれていたみたいです」


 リリティナが転がった杯をふんふんと嗅ぎながら冷静にいった。


 周りを見渡してみる。


 ふむふむ。ぶっ倒れてゆくエルムは酒をがぶ飲みしていた者ばかりだ。


 俺は大会で受けた傷に響くと思い、酒を控えていたのでなんともないな。


 倒れ伏したエルムたちは高いびきをかきながら、こんこんと寝入っている。


 ぐーすか、ぴーすかと鼻提灯を膨らませているやつもいるので、なーんかマジで心配するのがアホらしくなってきたぞう。


「どういたしましょう、クマキチさま。倒れている方が多すぎます」


 確か、雑談の中でアドリエンヌが聖熊祭には一〇〇〇人以上のエルムが集まって来るとかいってたような。


 パッと見渡しても、倒れているエルムは数百だ。

 ぶっちゃけ多すぎてよく分からん。


 残っているのは下戸だった男衆や女性のエルムばかりだ。


 子供のエルムたちはわんわん泣いているばかりで、女性のエルムたちもどうしていいかわからず、自分の家族に付き添っておろおろしているだけみたいだ。


 この事態を収拾するのには人手が足りなさすぎる。


 そもそもこの一服盛られた状態では、ことを起こした黒幕が次になんらかの手を打ってくると想定しなければならないので、ストレスがマッハで溜まってゆきますよ奥さん。


「ルルティナ。とりあえず村の長老やアドリエンヌたちと繋ぎを取ろう」


 話はそれからだ。


「はいっ」

「クマキチさま、姉さま! あれっ!」


 元気よく返事をしたルルティナの言葉を打ち消すようにアルティナが叫んだ。


 いつもおっとりとしているアルティナの表情が硬く強張っている。


 アルティナの指し示した方向に視線を向けると、そこには不自然なほどに大人の男性と思われるエルムたちが整然とした動きで集まりはじめていた。


 クソ。冷静じゃなかったのは俺のほうだったってわけかよ。


 周りがちっとも見えちゃいなかったな。


 確かにアルティナがいった通り、前方の一団の動きはおかしかった。まるで何者かが指示を出して統制しているかのように動き出すと寝入っていたエルムたちの両脚を持ってずるずると引き摺ると、一か所に集め出した。


 その物を扱うような動きにゾッとした。

 どう考えても同胞を扱うような動きではない。


 俺は素早く視線を巡らすと、異質な動きで行動するエルムの数をザッと数えた。


 少なくとも一〇〇は超えている。


 すぐそばにいたルルティナたちは耳としっぽを高く上げながら、ぐるるっと低く唸り戦闘態勢だ。


「おまえたち、みんなになにをするつもりだっ」

「アニ村のもんじゃないなっ」

「その汚ェ手をどけやがれっ」


 下戸であったのか、昏倒を免れた何人かのエルムたちが異質なやつらに向かってゆく。


 俺が加勢しようと飛び出しかけた瞬間、秩序だって動いていた集団が驚くべきことに、身に着けていた自分の毛皮をべろりと剥ぎ取って宙に投げ捨てた。


「なんだぁ、ありゃあ……?」


 大松明に照らし出された集団の正体――。


 豚の頭と過剰に肥えた体躯を持つ異様な亜人の群れだった。


「あれは、オーク族です! でも、なんでエルムの森に……?」


 ルルティナがとまどったようにいった。


 オーク、オークって、あの、よくゲームとかコミックとかに出てくるあのファンタジー的な豚の怪物さんのことですかね? 


 女騎士さんが無体な真似をされてしまう、例のアレ。

 わお。マジで豚さんとの融合体なんだぁ。


「クマキチさま。オークは亜人の中でも腕力や凶暴性においてはとびきりの種族です」


 眉間にシワを寄せながらルルティナが嫌そうにいった。


 隣ではアルティナがくちゅんとくしゃみをして頭をぶるぶると左右に振っている。


 確かにアルティナが反射的に鼻を鳴らすほど強烈なオーク独特の臭気がここまで漂ってくるぞ。


 シロクマさんの嗅覚は犬と遜色ないほど利くはずなのに、やつらが化けていたことに気づかなかったのはきっとなにかタネがあるのであろう。


 そういえばアドリエンヌがエルムに化けていたマジックアイテムのローブがあったな。


 それを思えば姿を巧みに変化させて、なおかつ体臭まで抑える効果のあるものがあっても不思議じゃあないな。


 残存兵力といっていいエルムの男衆は二、三〇人にしか過ぎないが、突如として現れた謎のオーク軍団は一〇〇名を超えている。


 多勢に無勢ってやつか。

 さすがのクマキチくんもぴんちだぜ。


「やれやれ。酒に意地汚いエルムのことだから、ひとりの例外もなく泥酔してくれていると思ったのですが、まさか下戸もいるなどとは思いもしませんでしたよ」


 飛びかかる隙を狙っていると、オークの集団を率いるようにして、俺も知っているある人物が酷薄な光を宿した瞳のまま前に進み出た。


「アンタ、まさかゴーチエさんか……?」


 あまりの衝撃に俺は村人たちを押しのけて前に出ていた。


 彼はラロを救うのに力を隠してくれたラッタッタ族の旅商人だ。


「クマキチさんですか。あなたもお酒を飲んでいてくれれば、このように気まずい再会をせずに済んだものを。非常に残念です」


「いや、ちょっと待ってくれよ。ゴーチエさん。アンタのその口ぶりだと、まさか今の状況をすべて仕組んだみたいじゃないか」


「仕組んだもなにも。これは当初の計画通りですよ。聖熊祭の宴で一服盛ってエルムたちを動けなくする。わたしは見ての通り非力な旅商人。彼らのようなオーク族の傭兵に力仕事を任せるのは当然のことなのですよ」


「村のみんなを一体どこに運ぶつもりなんだよ」


「そんなのはどうでもいいっ。オイラの弟をどうするつもりだっ!」


 俺とゴーチエが話している隙に、もはや我慢ならなくなったのか、ひとりのエルムが駆け出してゴーチエに突っ込んだ。


 が、ぬうっと遮るように前に出た超肥満体のオークはエルムの男を真正面から抱き止めると、うっちゃりの要領で横合いにぽーいと放り投げ捨てた。


「んべっ」


 まるで仔犬を放るように投げ捨てられたエルムは松明にぶつかってくべられた薪を散乱させると、きゅうと気絶した。


 マジかよ。そもそもがエルムは普通のクマーなわけで、今投げ捨てられた男だって五〇〇キロはあるだろうに。オークってのはなんちゅう腕力なんだ。


「ゴーチエさん。コイツも片づけますかね」


「マサカリポーネ。わたしとその青年にいささかはいわくがあってね。ちょっと話させてもらいますよ」


「ボスの仰せの通りに」


 まさに肉の壁といったマサカリポーネという男はゴーチエに向かって軽く頭を下げて脇に立った。


「――話の腰を折られてしまいましたが、この商品たちのことですよね」


 ゴーチエは山と積み重ねられたエルムたちの杖の先端でコツコツと叩くと当然のようにいった。


「商品?」


「ええ。まさに一網打尽といったところですが。これだけのオーク傭兵を雇うにも相当に資金をつぎ込んでいる。まあ、今回はかなり前から念入りに準備していたので、商売的にも失敗は許されなかったのですよ。とはいえ、巷間に名高いエルムの宝石はどこに出してもすぐはけるヒット商品なので、流通に関しては心配がないのがうれしいですね」


「なにをいっているんだ。だいたいエルムの宝石ってのはなんなんだよ」


「本来であるならば、冬眠明けのほうが高い値がつくのですが。ロムレスの好事家たちから早くしろと販売前から予約が殺到しておりまして。こちらもキツい立場なのですよ」


 いっている意味がわからん。

 というか理解できない。


 俺の知っているやさしいゴーチエはどこに行ってしまったんだ。


 ……と嘆くような年でもない。目の前のゴーチエは特に感情を高ぶらせた様子もなく、淡々と、それこそはじめから用意されていた文章を読むように喋っている。


 ゴーチエはモノクルを光らせると軽快な動きで引っくり返ったエルムの上に飛び乗り、杖の先で胸のあたりをトントンと叩く。


 それで、俺はようやくゴーチエのいっているエルムの宝石の意味を悟り、全身の毛を逆立てた。


「まさか……!」


 クマの肝。

 すなわち熊胆というやつだ。


 古代中国より伝わったクマの胆嚢を乾燥させた薬は消化器系全般に効くとされ、日本でも高値で取り引きされている。


「エルムの宝石。つまりは俺たちの生き胆ってことかよ」


「そんなっ!」


 隣にいたルルティナが悲鳴を上げて口を手で覆った。


「エルムの宝石を求める人間はロムレスにごまんとおります。需要と供給。恨むのであれば、そのようなものを求めるニンゲンたちを恨んでくださいとかしか」


 ゴーチエは自分の行っている商業活動になにひとつ恥じた様子はなかった。その言葉の抑揚からすれば落ち着きと自信すら窺える。


「あんた、それを本気でいっているっていうのなら、俺は全力で止めなきゃならない」


「そういえばクマキチさん。あなたは武闘大会に優勝しただけあって、ほかのエルムに比べればはるかに優良な宝石が得られそうだ。抵抗するのは構いませんよ。それが生きとし生けるものすべての権利ですから。ですが、わたしはここまで段取りを取っておいて失敗したことはほとんどないのです。いうじゃないですか。仕事は段取り八分、と。勝負は目に見えています。おとなしく降伏するというのであるならば、そちらのウェアウルフのお嬢さん方の命は助けて差し上げましょうとも」


「冗談じゃない。あんたの助けてあげるは、せいぜい奴隷として売り飛ばしてやる。そのくらいの差でしかないだろ」


「……ウェアウルフも中々によい値がつくのですよ。とかくこの世の中は金貨がつきまとう。嫌な世界だ」


 ちっとも嫌って感じじゃない。野郎の真意に気づかなかった自分に反吐が出るぜ。


「ゴーチエ。これであんたがラロを救おうと手伝ってくれた意味の一部分だけが理解できた気がする」


「そう。すべてではないと気づいておいでで。力があって頭が切れる。どうでしょう。クマキチさん。わたしの商いを手伝ってもらう、ということでこの場は手打ちにしてくれませんかね。オークの傭兵たちが精強であるとはいえ、あなたとやり合えばかなりのものが手傷を負いそうだ。あなたのようなブレーンがいればわたしは助かります。なんといっても、この先々エルムたちからの信用度が違う」


「いい加減にしろ。そんなことできるわけないだろうが」


「なぜです? わたしはあなたと正当な取引をしようと持ちかけているだけなのですよ。ああ、もっとも利用価値がなくなった時点で手切れになることは、世の中にままありますから。そこまでの保証はいたしかねますが」


「なにをいっているんだ?」


 ゴーチエがくいと顎をしゃくると背後にいたオークがボロくずとなったひとつの肉塊を地面に放り投げた。


「――ッ!」


 それが村長の息子であるピムだと気づいたとき、俺はすべてのカラクリがあっさりと解けた。


「ピムを、利用したんだな」


「ええ。途中まではあくまで真っ当な取引だったんですよ。彼が欲していたエルムの用心棒を調達して貸し出す。彼のような子供がわたしを信頼するのは時間はかかりませんでした。子供とはいえ、色恋になればなにも見えなくなってしまう。もっとも彼の恋が成就することはありませんでしたが。片思いの君であるジュリキチは恋敵のロミスケへと奪われてしまう。ああ、なんという悲劇でしょう。これではピムが、この村のなにもかもを壊したくなってしまっても仕方がありません」


 ピムを使って酒樽に眠り薬を入れさせたのか――。


 よそ者にはできないことでも村長の息子であるピムならそのような裏工作は容易にやってのけるだろう。


 ずりずりと地を這いずる音がした。


 視線を向けるとピムが俺の足元近くで腹這いになっている。


「ちが……ちがうんだ……こんなつもりじゃ……」


 片膝を突いてそっと手を握るとピムは眠るように目を閉じて動かなくなった。


 自業自得といえばそれまでだろう。


 が、俺の腹の中に割り切れない感情がグツグツと煮立って頭の中が真っ赤に染まった。


「そんなつもりじゃなかった。計算違いだった。世の中にはよくよくあることです。彼のような人生の敗残者は、ほんの少しだけ肩を押してあげれば、ヨタヨタと歩き出す。――その先が奈落の底であるとも理解せずにね」


「黙れ」


 吐き捨てながら拳を握る。


ゴーチエを守るようにしてオークたちの肉の壁が前面に立ちふさがった。


 上等――!


 ゴーチエは確信犯的に、この先も見た目はエルムそっくりの俺を使ってエルムの宝石、すなわち熊胆の荒稼ぎを行うといってのけたのだ。


 俺は道義上がどうことういうほど潔癖でもなければ、もちろんながら聖人でもない。


 イイ女を目にすれば心が動くし、美味いものや酒だって人並みに好きだ。


 けど、ゴーチエの人を使い捨てにするこの行動。

 断じて許せない――。

 ざっと土を蹴って前に踏み出す。


 どう見てもただのノーマルグマの装いである今の俺が発した言葉の意味が理解できなかったのだろう。


 聡明であるゴーチエの表情が奇妙に歪んだ。

 二歩、三歩と迷いなく踏み出す。


 余裕を保っていたオークたちの壁がとまどうように揺れた。


 俺は腹の底から雄叫びを上げて、躊躇なく敵勢のど真ん中へと突っ込んだ。


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