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79「奉納舞」

 荘厳なのかただ単に荒々しくてうるさいだけなのかは区別がつかないが、俺は盤上で打ち鳴らされる太鼓の音に耳を澄ませながら、アドリエンヌの登場を待ちわびていた。


 俺が現在鎮座しているのは一般の方々がいる観客席ではない。


武闘大会が行われたときと同じく目の前で奉納舞を見ることができる超絶VIP席である。


 なんとなーく、先ほどアドリエンヌと話した意味ありげな会話が頭の端をチラっとかすめるが、ここはひとつ集中して観覧しなくては失礼というものだろう。


 血で血を洗う激闘を繰り返した盤上も清められ、本来の神事を行う場所へと様変わりしている。


 盤上には村人たちにとってはおそらくチャーミングに映るであろうクマ巫女たちがそろって座り、楽器を奏でている。


 うーん、教養がない俺にはよくわからんが、雰囲気からして貴い感じがするね。


 いや、武闘大会はちょっとイベント臭が強すぎたというか。


 ある意味こっちが本番なんだろうなと思う。

 なんとも犯しがたい清げなオーラが放出されているな。


 かぶりつきでアドリエンヌの舞を見ることができるのは役得ってもんだね。


 クラムローブを纏ったエルムバージョンのアドリエンヌもあれはあれで充分かわいいし、優勝しちゃって気分がイイこともあって今の俺ならなにが起こっても許容できそうだ。


 丸太のベンチに腰かけ、今か今かとアドリエンヌの登場を待っていると、通用口に近い観客席からざわつくような声が漏れ出てきた。


 おや、なんぞ? 

と、思い視線を向ける。


「マジかよ……」


 そこには、自らの姿をクマの化身であるエルムに見せかけるマジックアイテムを脱ぎ捨てた、特徴的なクマ耳を除けばなんら人間と変わることがないアドリエンヌの生の姿があった。







 今日からここがおまえの住まいだ――。

 アニ村に戻ったあの日。


 聖熊神殿の前で父がいった言葉をアドリエンヌは生涯忘れることはない。


 余人が立ち入らぬ神殿の奥の間で五歳になったばかりのアドリエンヌは父の手から小さなローブを手渡された。


 これからこの村で過ごすため、人前に出るときには必ずこれを着るのだぞ、と強くいい含められて。


 父と母と。


古い庵で暮らしていたときはまったくなかった強烈な疎外感をアドリエンヌはこのときはじめて感じた。


 母がニンゲンの王国からやってきた貴族というのは聞いていたが、少なくとも自分たち三人だけで暮らしていたときにはわからなかった現実がこの村にはあった。


 エルムとはクマを祖とする一族である。

全身は黒く美しい毛並みで覆われているのが特徴だ。


 父と比べて池に映った華奢な自分の姿は、自分が女なのでそうなのだと思い込んでいたが事実は異なっていた。


 エルムの父とニンゲンの母とに生まれたハーフエルムの自分こそが異質なのである。


 父はいった。


 筆頭巫女としての血筋を保つ家に生まれた以上、アドリエンヌはなによりも誰よりもエルムらしいエルムでなければならない。


 母を失ったことは悲しかった。


 けれどアニ村にはアドリエンヌの腹違いの妹であるジュリキチがいた。


 ジュリキチに会うということはアドリエンヌにとって唯一の救いであった。


「あなたがあたしのおねえさまですか?」


 舌っ足らずの声でよちよちと歩み寄る妹を見てアドリエンヌの胸はいとおしさで一杯になった。


 付き添いの大人に手を引かれてはじめて会った子熊同然の妹はまるでぬいぐるみが喋っているようなかわいらしさだ。


 強くいとおしく思う反面、なぜ自分にはあのように立派でかわいらしい毛皮がないのかと、酷く醜い感情が沸き起こっていた。


 同時にただひとりの妹にすら真の姿を見せられないことは、酷く物悲しかった。


 そして、この真実は地下にゆくまで永遠に秘密であると父に誓いを立て、それが当然であると信じて疑わなかった。


 つまりは、真実を述べる勇気がアドリエンヌにはなかったのだ。







 俺は人間の姿のまま、粛々と奉納舞を行うアドリエンヌの姿を息を詰めて見守っていた。


 彼女が盤上に姿を現しすぐに起こった会場のざわめきは一刻のことだった。


 アドリエンヌがまるで動揺を見せず舞を続けてゆくうちにそれらは自然と消えた。


 世界は音曲の調べとアドリエンヌが時折強く床を踏むステップの音だけになる。


 派手さというものはない。

 むしろ冷静に眺めれば動作はどこか単調で退屈だ。

 が、ひとつひとつの動きが完成されているようでジッと目を凝らすほどに視る者へと深い陶酔感をもたらしてゆく。


 クマ巫女たちの奏でる楽曲も一定のリズムを刻みながら、聞き入っているうちにどこか頭の芯が熱っぽくぼうっとなってゆく力が確かにあった。


 ううむ、魅せてくれるねぇ。


 それは眠りに落ちる直前のような心地よさに似て俺の意識を徐々に混濁させてゆく。


 時間にすればたいしたことはなかったのだろうが、奉納舞はアドリエンヌが手にした扇を胸の内へと収めると同時に、味わい深い余韻を残して終了した。


 が、疑問は残る。

 残るよ……。


 なぜ、この場で今まで隠していた正体を明かしたんだ?


 俺の胸の内の問いを察したかのごとく、盤上のアドリエンヌはふっと笑うと身体にかけていた衣をそっと外して、ジッと舞を見ていたヤーコフ長老をはじめとするアニ村重鎮たちの前に進み出た。


「お怒りや処罰はすべて覚悟の上です。それでもなお、わたしは真実を覆い隠しながら生きることはできなくなりました」


 アドリエンヌが話したかったことってのはこのことだったのか。


 シロクマである俺にはよくわからんが、あそこまで頑なに本来の自分を隠していたのは、やはり神事を司るクマ巫女がハーフエルムであることを知られるのがまずかったのだろう。


 俺は黙っていられず地を蹴って盤上に飛び乗ると、いつでもアドリエンヌを守れる位置に移動した。


 アドリエンヌはどこか悲しそうな目で俺を見ると耳を伏せたまま、そっと顔を小さく左右に振った。


 ちっくしょ! 


アドリエンヌをいじめるやつは、たとえ誰であろうと許さないからな。


 そういう強い意志を持ってギロリと居並ぶオジィたちを睨みつける。


「アドリエンヌ。おまえという娘は、かようなことを気に病んでいたのかの……」


 む。なんだよ、そのいいぐさは。


 けれどヤーコフ長老は俺の睨みなど意に介さず、老体とは思えない大音声を発した。


「この村の住人でアドリエンヌが聖クマ巫女に似つかわしくないと思う者はおるかの!」


 ぎっ!


 鼓膜がぶっ千切れるかと思うほどの叫びが会場一杯に木霊した。


うるさっ。


 音声を増大させるマジックアイテムなど必要のない大声に、一瞬、すべての村人たちが沈黙を守ったが、次の瞬間予想を覆すような声があちこちで張り裂けんばかりに上がった。


「そんなことはねえっ」

「アドリエンヌさまがアニ村の筆頭巫女だっ」

「奉納舞感動しましたっ」


 拳を突き上げながら観客が総立ちになる。


「アドリエンヌの母がニンゲンでなにか問題があるかのっ!」


 長老が前かがみになってさらに叫んだ。先ほど以上に声量が増している。


「問題ないよーっ」

「ハーフエルムだろうが関係ないっ」

「そうだーっそうだーっ」


 割れんばかりの肯定の声にアドリエンヌは目を白黒させて動揺している。


 どうやら彼女のイチかバチかの賭け自体が杞憂ってやつだったらしい。


 無理もない。


 彼女の神に捧げる舞は俺が人生の中で見た中でも、もっとも美しいものだった。


「長老さま、わたし、わたしは……」


「おまえの父は巫女を輩出する一族の中でもっとも生真面目じゃったからのう。儂らは、おまえの姿などとうにお見通しじゃったが、それを衆目に晒すかどうかはアドリエンヌの気持ち次第じゃと思っておったが……それがおまえの心の負担になっておったとはのう。儂らの配慮も足りんかったわ。これでは長老など失格じゃ」


「そんな、そんなことはありません……」

「姉さんの、ばかっ!」


 黙ってアドリエンヌたちのやり取りを見ていたジュリキチが感極まって泣きながら駆け寄って来た。


 アドリエンヌはジュリキチに押し倒される格好でその場に尻餅を突く。


「なんで相談してくれなかったの? あたしたち、姉妹でしょうっ!」


「ごめん、ごめんねジュリ……」


「アドリエンヌよ。たとえおまえの真の姿がどうであれ、この声が村人の総意じゃ。おまえは長い年月アニ村に尽くし、その功績は海よりも深く山よりも高い。おまえほどこの村で愛されておる乙女はおらなんだわ」


「長老さま……」


「ひとつだけ聞かせてくれ。どうして今、この場所で真実を晒そうと思ったのじゃ?」


 アドリエンヌはオロオロしながら視線をさまよわせるロミスケとすぐそばに立つ俺を順番に見て、透き通った笑みを浮かべた。


「彼らから、本当の勇気を教わりました」


 まあ、なんだかんだで俺やアドリエンヌが心配していたような迫害とか差別のようなことは起きず、人間の姿に近い本来の彼女は村中に受け入れられたみたいだ。

 奉納舞が終われば、聖熊祭もいよいよ佳境に入ってゆく感じ。


 俺たちは場所を闘技場から村の中心部に位置する広場に変えての飲めや歌えの大騒ぎに移行していった。


 夜の帳が落ちれば当然外は寒いのだが、うじゃうじゃと群れるエルムたちの熱気や、天まで届けと焚かれた巨大な大松明のおかげか体感的にはあたたかだった。


 まあ、もう、なんちゅうか「これで終わってもいい……!」ていうくらいの、どこに隠してたんだ的なご馳走があっちこっちにあるテーブルへとところ狭しと並べられている。


 まさしく山海の珍味――というほどではないが、肉、肉、肉、の山が積み上げられていた。


 多いね。大昔では御馳走は味そのものよりも量のことを示していたというが、これは凄いです。


「てか、ほとんどマンガの原始人が食う丸焼き肉だな」


 俺は折り重なった骨付きのマンガ肉としかいいようのないブツを盛んに消費するエルムたちの健啖ぶりに圧倒されつつあった。


 そりゃ無数のクマーがガツガツって一斉に肉にかぶりついてるのを目撃したらビビるでしょ?


 よく見るとフードファイターなエルムたちに混じってアルティナさんが参戦しているような気がしないでもないが、うん。とりあえずは見なかったことにしようかな。


「なにはともあれ、すべてが無事に終わってよかったです」


 すぐそばに立っていたルルティナがにこりと笑って俺の目をまっすぐ見つめてくる。


 うん、まあ、そうだよね。


 ロミスケとジュリキチは紆余曲折あったにせよ無事結ばれた。


 俺にいたってはあろうことか聖熊武闘大会で優勝してしまったのだ。


 そしてアドリエンヌも本当の姿を村の人たちに受け入れてもらえた。


 まさしく大団円ってとこかな。

 これ以上いい決着の仕方は中々ないと思うよ。


 これで、わざわざロミスケを村まで送って来た甲斐があったってものだ。


 俺はルルティナが皿に盛ってきた肉の塊を掴むとガブッと一口で飲み込んで見せた。


 美味し。


 三つ子ちゃんたちは、テーブルのすぐそばにあるかがり火の周りで手を繋いで楽しそうに踊っている。


 世はすべてこともなしだね。


 俺がにやにやしていると、ルルティナがどこか勝ち誇ったように口角を上げた。


「……アドリエンヌさんの本来の姿があのようなものだったとは。こういってはなんですが、はっきりいって今はまるで脅威を感じません」


 ルルティナがふふんと鼻を鳴らしてしっぽをぶおんぶおんと大きく左右に振る。


 あー、なんというか。ルルティナ的にはエルム形態であったアドリエンヌのほうが女性としては魅力的に映っていた、ということなのか?


「あの超絶的な毛皮のもふもふ感はあまりに危険すぎましたが、彼女はお母さまからニンゲン的な部分を大きく受け継いでしまっていたようですね。となれば、ここからは五分の勝負です!」


 なにかよくわからないが、彼女は相当な信念をもってして、新たな誓いを己の中に打ち立てているご様子だった。


 ま、人間長く生きてるといろいろあるからねぇ。

 お互いにこれからもがんばっていきまっしょい、だ。


 ん……? 


 そういやよくよく考えると、なにかまだ忘れていることがあるような、ないような。


「あの、そういえばクマキチさま。結局のところ、ロミスケさんが襲われたのはなぜだったのでしょう?」


 箸休めのフルーツを皿の上で切り分けていたリリティナが不思議そうにいった。


 あ、そういやそうだったな。それだよ、それ!

 ぽむんと、心中で手のひらに拳を打ち合わせる。


 異変が起こったのはまさにそのときだった。


 宴を楽しんでいるエルムたちが一斉に倒れてゆく。

 繰り糸の切られた操り人形のごとく。


 俺はリリティナが落とした皿の割れる音を聞きながら大きくまばたきを繰り返した。



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