77「願いの果て」
遠くで雷鳴が途切れることなく幾度も響いている。
いいや、違う。
脳裏を埋め尽くしている光と音は俺とロミスケが頭をぶつけ合うものだった。
仁王立ちのまま互いに腕を伸ばして相手の肩を掴み合いながら――打つ。
突き合わせているのはお互いの頭部だ。
これでも石頭には自信があったのだがロミスケの頭も滅法固い。
終わりのない頭突きの応酬――。
痛みなどない。
痛みはすでに遠くへ消え去ってしまったようだ。
頭蓋骨だけがごんごんと高らかに鳴り響きロミスケの必死の形相だけが頭を後方に引くときだけわずかに見えた。
やがて、どちらかということもなくそっと離れた。観客席からは異様なほどの怒声と悲鳴が飛び交っているが脳はそれを認識しない。
ロミスケはよくやった。ここまで競ったのは互いが全力をぶつけ合った結果だ。そして、この勝負、たとえロミスケの人生がかかっていようが、微塵の手心を加えるつもりも更々ない。
唸るロミスケが巌のような身体で突っ込んで来る。
大きくて固い拳。
ガツンと顎のあたりをモロにやられた。
ああ、畜生。
流れた血が両目に入って視界がぼやける。
けど、負ける気はまったくない。
こんなもんじゃない。
俺たちはこんなもんじゃない。
なぁ、そうだろうロミスケ?
続けざま巨大な手のひらが右から襲いかかって来る。
わかっていても披露しきった今の俺ではかわすことなどできない。
側頭部を張られた瞬間、視界がモニターのスイッチを切ったみたくパチンと落ちた。
が、同時に俺は素早く右のハイキックを放っていた。
足の爪先にロミスケの左頬を蹴り上げた重たい感触が残った。
落ちてる場合じゃねぇぞ。
起きるんだよ久間田熊吉――!
今の俺の意識は被膜が破れて露出した導線のようにギリギリだ。
が、それは相手とて同じこと。
脳裏に描いたイメージの中で、俺は傷つきズタボロになった拳を勢いよく振り下ろし無理やりスイッチを切り替えた。
煤けた視界の向こう側で黒っぽい塊がゴロゴロと転がってゆく。
膝がガクガク揺れる。
油断したらロミスケの立ち上がるのを待つこともなくその場に崩れ落ちそうだ。
転がっていたロミスケが身体を揺すって立ち上がり、怖気が来るような咆哮を放った。
畜生、いいなぁ。
俺はやっぱロミスケが好きなんだ。
だから、本気で戦いたいと思ったんだ。
来い――!
これで決着だ。
ロミスケが毬のように転がりながら四つん這いで突進して来る。
踏み込んだ。
右脚を差し出して構えたことで警戒したのだろうかロミスケは直前で留まると立ち上がって両腕を頭上に差し上げた。
最後の最後で考え過ぎたな。
だんっと、床を勢いよく蹴って跳躍した。
そのままロミスケの両肩に脚を乗せ頭をギュッと押え込み、グイと体重をかけて後方に倒れ込む。
両腕を床に突っ張ってロミスケの巨体を回転させ床に叩き伏せマウントを取った。
逃がさねぇ!
素早く両腕を回してロミスケの両脚を取ってフォールした。
決死の覚悟で放った俺のウラカン・ラナが見事に決まって勝敗は決したのだった。
「ロミスケ選手、戦闘不能――ッ! よって、第二二七回聖熊武闘大会の優勝者はヴァリアントのクマキチ選手です!」
カルメンシータのアナウンスが高らかに響く中で俺は白目を剝いて気絶するロミスケからそっと離れた。
くそぉ、さすがに連戦は堪えるぜ。
タンカでエルムナースに運ばれてゆくロミスケをなんとか立ったまま見送った。
は。そういえば普通に勝ってしまったな。
正直なところ、ロミスケとやり合っている最中はほかのことなどなにも考える暇がなかったというのが真実だ。
戦闘技術だけをいえば、ロミスケはジルヴェスタやテディと比べてはるかに稚拙であったが、後半の本気モードはそれらを補って余りあるといえた。
とにもかくにも、ナイスファイトだったぜ。ロミスケ。
「なにやってんのよ、アンタは――ッ!」
ぐぉあ?
気を抜いた瞬間、突如として後方から降ってきた声とうなじに突き刺さった強烈な蹴りで前のめりにぶっ倒れた。
この声はジュリキチか。視線を動かすといきなり乱入した彼女は運営のエルムによって取り押さえられている。ちょっといいキック過ぎませんかね、お嬢さん。
「弱虫ロミスケ相手にあそこまでマジになってどうすんのよっ。アイツに、アイツになにかあったら許さないんだからねっ!」
「ちょっと待った。君はロミスケがどんな気持ちで戦ったか理解してないわけじゃないだろ?」
うなじをさすりながらいうとジュリキチは困ったように口をへの字にして呻く。
「け、けど……アンタは強いんだから少しは手加減してくれたって……」
「男同士の勝負だろ。それに中途半端に手を抜くなんてロミスケに対する最高の侮辱だよ。第一、アイツは君が心配するほど弱くはない。立派な男さ」
「む、むぐぐっ」
「と、そろそろ閉会式がはじまるんじゃないか。こんなところにいるより、ロミスケについててやったほうがいいんじゃないか?」
不承不承といった感じのジュリキチを追い返すと、俺は盤上から降りてひと息ついた。
事前に聞かされているプログラム通りであるならば、インターバルを置いて表彰式が行われるはずだ。それまで待機待機。
本当ならば闘技場には関係者以外立ち入れないはずなのだが、巫女であるジュリキチはノーチェックだったんだろうな。大会運営者には厳重厳粛な警備体制を切に願うぜ。
丸太で作った休憩用の腰かけベンチに座って会場を見渡すと、一番目立つ場所でルルティナたちが、組体操よろしく姉妹全員で両手を繋ぎ扇状に広がっていた。三つ子ちゃんたちはそれぞれに肩車してもらって文字の書かれた札を持っている。たぶん、俺に対しての祝いの言葉が書かれているんだろうが、この世界の文字が読めない俺には意味は判別できなかった。ま、普通にうれしいんだけどね。
「よくやったな」
ひ! 気づけばテディが俺の肩あたりに鼻面を寄せてクンクンと匂いを嗅いでいる。
女エルムと分かった今は、いろんな意味でプレッシャーを感じるので、ずささっと反射的に距離を取った。
「なぜ逃げる?」
いや、逃げるだろ普通に。アンタ、怖いんだよ。
「まぁ、さすがにこのおれが見込んだ男というだけはあるな。クマキチが勝利することに微塵も疑いはなかったが、あの小僧も中々頑張ったではないか」
う、ううう。あ、そ、そっスね。
「なんだ、つれないな。どうだ、このあと会が終わったらふたりで飲み明かさないか。実は、いい酒を手に入れたんだ。コイツを呑むと、なにもかもわからなくなるほどいい気分になるぞ」
やたらに熱っぽくゾッとするようんテディの上目遣いに俺はひたすら横に移動してゆくが、おとなしく座っていたアランやジルヴェスタといったリーグ敗退組にサンドイッチされる格好になり、逃げられなくなる。ひいっ、怖いよう。
「ふ、そう邪険にしてやるなクマキチよ。その娘もアドリエンヌには及ばないが、中々ワイルドな魅力にあふれている。むしろ、オレがお相手を代わって欲しいくらいなものだ」
パンダそのままのジルヴェスタが腕組みをしながらうんうんとうなずく。
「悪いがおれは自分より弱い男には興味はないのでな」
テディが真顔でいうとジルヴェスタはズッと肩を傾けながらコミカルな動きで落胆を表現した。
「ははっ。コイツは手酷く振られたじゃないか!」
アランがそういうと一同がドッと沸いて場が和む。
いや、和んでいないのは俺だけか。
形を変えて見れば、野趣あふれる美女に迫られタジタジとなった優勝者クマキチと死力を尽くして戦った強敵たちという感じではあるが、登場人物がすべてクマなのでどうにも締まらない感じ。つーか、逃げたい。
そんな和気藹々とした雰囲気をよそに、閉会式は規定通り執り行われていった。
血で血を洗うような激戦を終えて、時刻は夕刻に差しかかっていた。
聖熊武闘大会で表彰されるのは優勝者である俺のみらしく、目の前に立ったアニ村における長老連に囲まれながら、ヘルフリート村長から優勝カップを手渡された。白銀に輝くクマが大樹に攀じ登っている形のそれは、つい最近同じことをやったような記憶がありデジャヴュを覚えるぞ。けど、今はガマ野郎のせいでまっくろくろすけなんだけどね。
「聖熊武闘大会優勝おめでとう。クマキチくん。ささやかながら景品及び賞金を用意してある。持ち帰って自由に使ってくれ」
「ありがとうございます、村長」
真っ赤に燃え落ちる夕日に照らされながら優勝カップを受け取ると、胸に込み上げてくるものがあった。
ワッと沸き立つ歓声にひとり感慨に耽っていると、長老筆頭であるヤーコフがセネカと並んで近づきしわがれた声でいった。
「ほほ、と、まあ今渡したのはほんのおまけのようなものじゃ。クマキチよ。聞いてはいるだろうが、優勝者はひとつだけどんな望みも叶えることができる、という建前になっておる。無論、この村の中で儂の権限が及ぶ限りのことじゃが。さて、お主はなにを――願うのじゃ?」
優勝したらなにを願うか――。
そんなことははじめから決まっていた。
「それでは優勝者であるクマキチ選手からご要望を伺いたいと思います。この水晶球に向かって、大きくどーぞ!」
カルメンシータが両手に捧げ持ったライトブルーの水晶玉は不思議な光を帯びてピカピカ光っている。
どうも、これに話せばマイクのような役目を果たして周囲に音が拡散されるらしい。
巫女であるアドリエンヌとジュリキチがそろって長老たちの脇に立っている。
俺がそっとジュリキチを指差すと、居並ぶ関係者一同が色めき立ってざわめいた。
「彼女を、ジュリキチをここにいるロミスケと添わせてやってください」
「……は?」
カルメンシータの間抜けな声が会場に響いた。
観客たちがざわつく前にヤーコフがのそりと巨体を動かし、半ば閉じているような瞳をクワッと見開いて俺を射抜くように睨む。
「理由を聞こうかの」
「はい。元々俺は聖熊武闘大会に出るつもりはありませんでした。このアニ村に来たのも乗りかかった船ってやつでして……」
「ふむぅ、濁さなくともよかろう。本来であるならば、儂が村の長老として配慮するべきじゃったことじゃ」
「いえ。ただ、数える程度の日にちでしたが、ロミスケはそこにいるジュリキチを思う気持ちは本物だとわかっておりました。ただ、彼の性格というか……。釈迦に説法でしょうが長老や村のみなさんが知っての通り、ロミスケの性格はよくいえばやさしい。悪くいえば優柔不断で頼りない部分がありました。この村の常識と俺が育った故郷ではまた考えが違うでしょうが、女性はやはり自分を強くリードしてくれる男に惹かれるものです。俺は、この大会を通じてロミスケが自分の大切なものを手に入れるためには代償が必要だということを知って欲しかったんです」
「代償、のう……」
「ええ。無論、結婚てのはお互いの気持ちが第一ですが、土地柄や風習、それにそのときの状況によって愛する者同士が結ばれないことなんていくらでもありますから。巫女であるジュリキチはよそ者の俺でもすぐわかるほど競争率の激しい娘でした。なら、ロミスケはその競争者と正々堂々と戦って愛する者を勝ち取って欲しかった。ま、俺は負ける気は端からありませんでしてけどね」
「自信家なのか、それとも阿呆なのか。とにかくよくわからんが、儂として、そして聖熊祭の慣例として、勝者の願いを聞き届けなかったという事例はここ一〇〇年ほどない。ということじゃ。アニ村の長老筆頭ヤーコフの名において、ロミスケとジュリキチに命ずる。ふたりは本日をもって契約を結び夫婦となる。この命令は、絶対じゃ」
ヤーコフ長老が手にした杖を盤上にいたロミスケとジュリキチを順番に指し示す。
ロミスケはふらふらとした足取りで俺の目の前まで来るとぼうっとした表情でいった。
「け、けど、クマキチの兄ィ、本当にいいんですかい? オラ、オラは優勝できなかったんで。願いは、願いは兄ィのもののはずなんだ……」
「俺ァよう。ガキの時分からお節介が玉に瑕でな。それに、この願いは俺の心からの願いなんだ。それは誰にだって邪魔はさせねぇ。たとえ、おまえ本人であってもだ」
「兄ィ……!」
ロミスケの目尻に涙がぶわっとあふれた。ちょっと気障過ぎたが、ロミスケとジュリキチを添わせるのは当初の計画通りだ。
「行けよ男前。花嫁をあまり待たせるもんじゃない」
そっと肩を押す。
ロミスケは思ったよりも確かな足取りでジュリキチの元へと歩いて行った。
脳裏に、旅の途中でルルティナが語ってくれた行方知れずとなった姉と、その婚約者であったルークの話がよぎった。たとえ心の底から愛し合っていたとしても、必ずしも恋人同士が結ばれるとは限らない。
リアルな人生はハッピーエンドで締めくくれない確率が高い。だったら、せめてのその手助けをしてやっても悪かないんじゃないかなと思うんだよね。
「ジュリキチ、オラの嫁さんになって欲しいだ!」
「……遅すぎんのよバカ」
抱き合った二人が顔を寄せて唇を合わせている。
「ああっとーっ。これは大どんでん返しの結果になりましたが、これはこれで粋な計らいですぅー! 歴代優勝者の例にないクマキチ選手の願いはアニ村にベストカップルを誕生させましたーっ! これは凄いっ。常人には成しえない無欲の聖熊クマキチ選手に、私も種族の壁を超えてマジ惚れしそうですーっ!さあ、会場のみなさま方、ロミスケ氏とジュリキチ嬢に祝福の拍手をお願いします――ッ!」
カルメンシータの興奮しきったボイスが割れんばかりに響いた。
会場からはさざ波のように起こった拍手がやがて波濤のように大きくなってドッと押し寄せてきた。俺は、肩の力を抜くと首を左右に振って軽く音を鳴らした。
それからいつの間にか隣に立つアドリエンヌと顔を見合わせ小さく笑った。




