76「勇気の意味」
俺はふらつく足でなんとか立ったロミスケを見ながら冷徹にいった。
「来いよ。それほどは効いていないはずだ」
「ま、ちょっと待ってくだせぇよ兄ィ。こんなの、話が違い過ぎるぅ……あ、そうだ! もしや、試合の展開を考えて、このあとオラが華麗に逆転できるよう段どってくれてるんですかい?」
「段取りなんぞねぇ! 端から俺は全開全力、フルパワーだ!」
激しく雄たけびを上げながら頭から突っ込んだ。
まだ、居眠りをしてるようなら、そろそろマジで目覚めてもらう――ッ!
スッと両腕を伸ばしてロミスケの首を抱え込むと、膝蹴りをこれでもかと叩き込んだ。
頭の中はグツグツと煮えたぎっているかと思えば、そうでもなかった。俺はひとつの作業工程を淡々と処理するようにロミスケの身体を破壊してゆく。
折り曲げて放たれた膝がロミスケの鼻面をこれでもかと打った。
エルムの身体は普通の人間と違ってはるかに丈夫にできているが、こっちも本気だ。
俺の容赦ない連続攻撃の前には自慢の防備も虚しくロミスケは泣き喚きながら片手でタップして来るが、無視したまま膝蹴りを加え続けた。
頃合いを見計らって離れる。
素早くロミスケの顔面に二度三度頭突きを喰らわせた。
ドッと沸く観客の歓声が間遠に聞こえる。
俺はダメ押しとばかりに前蹴りを鳩尾に叩き込むと、倒れたロミスケを悠然と見下ろした。
「姉さん、ちょっと様子がおかしくありません?」
リリティナは観客席でにわかクマキチサポーターを名乗るエルムの娘たちを相手に八面六臂の活躍をするルルティナに向かって問うた。
「なによリリっ! 姉さん今手が離せないんだけどっ?」
ルルティナは自分よりはるかに体格のいいエルムの娘の頭を脇に抱えながらギリギリと締めつけている。
アルティナはラララ三姉妹をけしかけながらエルムの娘たちを牽制しつつ串焼きをはむはむと頬張っていた。
「そうじゃなくて。ホラ、当初の計画ではクマキチさまがロミスケさんに上手く負けてジュリキチさんとの仲を上手くいくように取り計らう……例のアレですよ。強くて雄々しいクマキチさまはカッコいいですけど、これじゃあロミスケさんなにもできずに終わってしまうんじゃ?」
「……そういわれてみると少しおかしいかもぉ。あ、でもでも。クマキチさまのことだから、上手い具合に試合を調整して最後の最後でロミスケさんに花を持たせるっていう感じになるんじゃないかしら?」
ルルティナは抱えていたエルムの娘を放ると唇に人差し指を当てながら、うんうんとひとりうなずく。
軽く投げられたエルムの娘はその場から五メートルほどすっ飛ぶと無関係な観客を巻き込んで、ドドッと下の席まで落下していった。
「姉さん、アレ」
くいくいとアルティナに袖を引かれて視線を闘技場へと転じる。そこには修羅のごとき様相で畳みかけるようにロミスケを圧倒するクマキチの姿があった。
「ロミスケはこのままじゃノックダウン、すると思う」
「あ、あわわ。で、でもでも、これだってきっとクマキチさまの深いお考えが――は! けど、確か、大会の優勝者には花嫁を優先的に選ぶ権利がっ。ま、まさかあのエルム巫女っ、私の知らない間にクマキチさまをたぶらかしたの?」
「ちょっと、姉さん落ち着いてっ!」
「――姐さん、旦那に限ってそいつは間違ってもねぇよ」
狼狽しきったルルティナを低く制したのは、酒瓶を抱えたまま目元を真っ赤に染めたヨーゼフであった。
「ヨーゼフさん。あなたはただアルコールを摂取するだけの物体に成り果てていたのでは……?」
リリティナが冷ややかな眼差しを送るとヨーゼフは真っ白な歯を剥き出しにしてカカカッと景気のよい笑い声を上げた。
「おいおい、リリ嬢ちゃん。いってくれるじゃんかよぉ。まあ、確かにこの村に来てだらだらと飲み続けていたのは本当のことだからひとっこともいいかえせねぇがさ。智者も千慮に必ず一失あり、愚者も千慮に必ず一得ありって言葉もあるんだぜ。酔っ払いの言葉といったって、少しは耳を傾けてくんねぇか?」
「拝聴いたします」
リリティナが三つ編みを撫でながらいうと、ヨーゼフは目を閉じて椅子に体重を預けてふーっと酒臭い息を吐いた。
「考えてもみてくれよ。ロミスケは確かに決勝まで残ったが、ただの一度だって戦っちゃいねぇ。そんで、旦那がこれ見よがしに決勝でよ。八百長ございと負けてみな。ここにいる観客はおろか、たとえ優勝者の権利としてロミスケがジュリキチを指名しても、あの娘の気性だ。決して受けねぇだろうよ。それに、俺はちぃとばかりロミスケには期待していたんだが、このままじゃいかんせんな。マズいわ。この状況で、たとえ旦那がどれほどの名演技をしてロミスケに勝たせてやったってよう、あのふたりはきっと上手くいかねぇよ。ルルティナの姐さんだって、旦那がズルして得た特権で嫁さんになってくれっていわれてもうれしかないだろう?」
「いえ、私はどんなことがあってもクマキチさまならば全力でよろこびます」
「姉さん話の腰を折らないで」
しれっというルルティナにリリティナが突っ込んだ。
「とにかくだ。今、旦那は最後の賭けに出ている。俺たちにできるのは、ロミスケがギリギリの状況でどう性根を据えられるかってことだよ。試されてるんだよ。ロミスケの漢ってやつがよ。しかしなんだな。ロミスケとジュリキチ。上手くいって欲しいとは思うが、俺たちはなんて無力なんだ。なにかしてやりたいが、こうして見てるだけってのもつれぇもんだなぁ」
「……で、やはり飲むのですね」
ルルティナはとろんとした目つきでぐびっと酒を呷るヨーゼフをジッと凝視した。
「兄ィ、クマキチの兄ィ、こりゃあちっと……いくらなんでも酷過ぎやすよう……」
これだけやってもまだ現実を見ようとしないのか。俺は努めて平静を装うと、うつ伏せであえぐロミスケを見下ろしながらいった。
「考えが変わったんだ」
「え?」
「ジュリキチ……ありゃあいい女だ。おまえにはもったいねぇ。だから俺がもらうことにしたよ」
「ちょ……ちょっと待った……待ってくださいよ……へ、へへへ。いくらなんでも冗談が過ぎやす。そういう冗談はなしにしてくださいよ。第一、兄ィにはルルティナさんがいるじゃないですか」
「ああ、そうだ。端からジュリキチを嫁にするなんていっちゃあいねぇ。適当に飽きるだけ遊んだら、街にでも売ってやるさ。エルムのメス奴隷なんて珍しいだろうから、人間の好事家は高い値をつけてくれるだろうよ。だいたいが、どうして俺がなんの縁もゆかりもないおまえを助けてこんな山奥の村に来たと思うんだ? なーんか、上手い話がねぇかと思ってたんだが、道々でおまえがジュリキチのことを話し出したときにはさ。ま、実際半信半疑だったが、会ってみたら、えれぇ美形じゃないか。え? ついでに姉のアドリエンヌ、おっと、こっちは俺がどうこうするまでもなく、こっちのホの字みたいだから、チョロ過ぎるってもんだぜ」
「う、嘘だ……! 兄ィがそんなことするはず……!」
いきなりの俺の豹変した態度にロミスケは蹲ったままぶるぶると震え出す。
しかし、こんなんで上手く騙されてくれっかね。日ごろは俺がジェントル過ぎる態度で接しているからちょっと不安だったが、なんとかイケそうな雰囲気だ。
「オラっ。いい加減目を覚ませや。あそこで俺の子分のヨーゼフがしこたま酒をかっ喰らってるだろ。アレは今夜俺がジュリキチをかわいがったあと、おこぼれを回してもらうって聞いたからその前祝いをしてるんだよっ!」
「そ、そんな……」
許せヨーゼフ。おまえはただ単に美味い酒が好きだってだけなのに、こんなよくわからん役どころを振ってごめんちゃい。
けど、目のいいロミスケは観客席で酒瓶を抱いているヨーゼフをこっちの思惑通り見つけてしまったらしく、かなりのショックを受けていた。あとひと押しかな?
「――させない」
負け犬同然に這い蹲っていたロミスケの瞳に闘志の火が灯った。
目の前でぶるっていたエルムの全身から燃え立つような闘気があふれ出て、俺は思わず数歩後方に下がった。
立ち上がったロミスケはゆらりと上半身をゆらすと眼光鋭く俺を睨む。
黒く美しい肉の塊が前に出たと思った瞬間、俺は鼻面に熱いものを感じた。
やられた――。
頭蓋骨が軋み脳が揺れる。
実にいいパンチだ。
態勢を立て直す前にロミスケが咆哮を放ちながら突っかかって来る。
勝負がようやくはじまったのだ。
「おおっとお? クマキチ選手の一方的な勝利で終わるかと思われた試合ですが、ここに来て番狂わせかーっ? ロミスケ選手ぅうう! 鬼神が憑りついたかと思われるほどの強烈な反撃だあああーっ! 黒い弾丸がまっしぐらに突っ込んで、押す、押す、押すうううっ! ラッシュ、すごいラッシュだーっ! 拳が、拳が嵐のように唸っていますっ。ロミスケ選手、もの凄い勢いでクマキチ選手を殴りつけ、盤上の端まで一気に追い詰めたあああっ! どうなる、どうなるか、この勝負――ッ! 終わらない、まだ勝負は終わらないぞおおおっ!」
そうだ。
そうだよ、ロミスケ。
ラナを巨馬から救ったときの、あの火事場の糞力。
おまえには俺を驚愕させたあの途方もない力が備わっているんだ。
俺はふーっふーっと唸りながら乱打して来るロミスケの拳を懸命にさばいていた。
もはやロミスケの瞳には俺を兄と慕う気弱げなものは微塵も残っていなかった。
エルムというクマ型亜人が持つ原始的な本能を解放させ、俺を頭から食い殺す勢いで襲いかかって来る。
これを待っていたんだ。
おまえは、今の今までまったくもって真価を見せちゃいなかった。
熱い。
右頬にいいパンチを入れられた。
テディとの激闘のダメージもあってか、膝が崩れ落ちそうになる。
いいじゃないか。
俺は本気のおまえとこういう勝負がしたかったんだ。
上手くパリィしたつもりだったのだが、ボヤボヤしちゃあいられないな。
動く。
怒りに燃え狂っているとはいえ、立ち合いに関しては俺のほうが一日の長がある。
素早く小刻みにリズムを刻んでロミスケには的を絞らせない。
そうだ。
俺たちには最初から八百長なんて必要なかったんだ。
呼吸を整えながら組みつこうと迫るロミスケのがら空きな腹に前蹴りを喰らわせた。
脛までズドンと埋まりそうな絶妙なタイミングの一撃であったが、気合が充分なロミスケの突進はそう簡単に止まらなかった。
痛みはあるのであろうが興奮と怒りでアドレナリンが出まくっているのだろう。ロミスケは一旦後方に下がると、前にもスピードを増して突っ込んできた。
いいな。
ああ、いい。
こういう馬鹿野郎は嫌いじゃない。
俺は素早くロミスケの突進をかわし、脇下へ頭を潜り込ませるように組みつき裏投げを放った。
ふわり、とロミスケの身体が宙に浮いて背中から床へと落下した。
「どうしたロミスケっ! おまえの本気はこんなもんなのかっ。こんなもんで愛する人を守れるとでも思ってんのかよ!」
「――兄ィ?」
「オラオラオラァ! ぼさっとしてる暇はねぇぞ! こんだぁこっちの番だぜ!」
中腰のまま茫然としているロミスケの顔面と掴んで膝を入れた。
ボグッともの凄い音が鳴ってロミスケが再び吹っ飛ぶ。
が、若いロミスケは俺が思っている以上にはるかにタフネスだった。すぐに起き上がるとこっちが反応しきれない速度で右膝にタックルをかまして来た。
効いた。
俺は後方にひっくり返りながら床に頭を打ちつけた。
脳裏を真っ白な閃光がほとばしって埋め尽くし、一瞬意識が飛んだ。
マウントポジションを取られた。
素早くブリッジを仕掛けるがロミスケは両足で俺の胴体を締め上げ有利な位置を保ち続ける。
嵐のように打ち下ろされる拳に両腕をクロスさせなんとかガードする。
乱打、乱打、乱打の雨――!
痛いし苦しい。
けれど悔しさは不思議となかった。
あのロミスケが本気で俺に立ち向かっている。
その事実のほうがずっとうれしかったんだ。
俺は腹の底から雄叫びを上げると、ほとんど神がかり的な動きでマウントを取っていたロミスケを弾き返した。
立ち上がる。
姿勢を低くして突っ込み、ロミスケと手四つになった。
ゴリゴリと互いの頭をぶつけながら押し合う。
むせかえるような闘気のうずに身を浸し、俺はいった。
「ロミスケ、八百長なんて意味ねぇだろ」
「兄ィ……?」
「勝利ってのは自分の力で掴み取るから意味があるのさ」
本気でぶつかり合う貴さのことをロミスケに知ってもらいたかったんだ。
「ロミスケよう。お情けで勝ちを譲ってもらった男が、どうして胸を張ってジュリキチに愛しているといえるんだ」
「オラ、オラ……!」
泣くな。
泣くくらいなら、この俺をとことんぶっちめて、心の底からジュリキチに勝利を捧げてみろってんだ――!
手四つを解いてがっしりと互いに抱き合う格好となった。腰をグッと下ろす。微塵たりとも動かない決意。イメージは地中にずっしりと根を下ろした巨木だ。
俺はロミスケの熱い血と汗とが入り混じった異様な体臭を鼻孔一杯に吸い込みながら、互いに溶け合う作業へと没頭した。




