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75「コペルニクス的転回」

 負けた――。

 あのテディが負けたのだ。

 情け容赦なく望みは潰えた。


 闘技場の床石にこれでもかと叩きつけられたテディの姿を目の当たりにして、ピムは、ひくっ、と喉を情けなく鳴らしていた。これで当初に予定していた自分に逆らったクマキチという男を公衆の面前でこれでもかとやり込める作戦は破綻した。


 策を練り直さねばならない。


「なんでだよなんでだよなんでだよ、チクショウ――!」


 あろうことか、決勝戦に残ったのはピムの恋敵であるロミスケと忌々しいクマキチの一騎打ちだ。


 歴戦の勇士であるテディを倒したクマキチからいって決勝戦の勝者は分かり切っているが、意が通じ合っているあのふたりでは八百長試合も考えられるであろう。


 となれば、ピムの意中の人であるジュリキチが誰からの文句もつかられないような形で永遠に失われてしまうかもしれないのだ。


 ぞくり、とピムはその五体に激しい震えを感じ、沸き立つ観客の間でただひとり凍えるような寒さを覚えて自分の両腕で身体を抱きかかえた。


「許さないぞぉ。ジュリキチは僕んだぁ。僕のなんだぁ……」


 誰にも渡さない。昏い妄念にその身を浸しながらピムはそっと観客席をあとにすると、外へ通じる薄暗い通路をヨタヨタと歩く。


とはいえ、わずか十三歳。村長の息子でいくらかは村内で幅が利くといっても所詮は小僧っ子であるピムには無尽蔵の金があるわけでもなし。


また、この危機を乗り越える知略も相談する相手もいなかった。


「なにか、お困りのようですねぇ。坊ちゃん」


 かつん、と。クマキチの勝利に沸く観客席とは対照的に、生物の気配すら感じさせない静寂に包まれた場所で高らかに杖を打ちつけた音が鳴った。


「なにがお困りだよ。おまえが、おまえがッ。テディなら間違いないっていうから、僕は賭けたんだぞ……!」


 少年といえどエルムには違いない。その膂力は下手な人間の男の数十倍である。ピムが牙を剥き出しに突っかかってゆく。声の主は軽やかな笑い声を上げると伸ばされた腕を軽く弾いてピムのがら空きである鳩尾へと杖をなめらかな動きで突き入れた。


 分厚い毛皮と脂肪を持つピムもこの一撃にはたまらないのか、すぐさま膝を折って激しく呻いた。よほどの痛みを感じているのか、目に涙をあふれさせ、あっさりと戦意を喪失させている。声の主はおかしそうに崩れ落ちたピムを蔑みの目でジッと追った。


 が、油断は一分たりともない。傲慢と猜疑心が不思議に同居した瞳は見る者をゾッとさせる底知れない冷たさを帯びていた。


「ダメですねぇ坊ちゃん。先ほどの戦いで戦士たちが負った痛みはその程度はありませんよ。欲しいものがあるのならば、その代償を支払わなければならない。これは商いと同じこと。これは世界の真実といえるでしょう」


「でもっ……テディが負けた事実は変わらない……っ! それだって真実じゃないのかよ、ゴーチエ……ッ!」


「これは一本取られましたな。それでは契約を履行するために、次の手を打ちましょうかな、坊ちゃん」


 ネズミ型亜人のゴーチエは右目にかけたモノクルをきらりと光らせて冷徹な笑みをそっと浮かべた。






 辛勝――!


 まさしくかろうじて勝てたという試合だった。


 俺は床へと大の字に転がって動かないテディを見下ろしながら、片膝を突いた。


 消耗が激し過ぎる。


 それだけテディに与えられたダメージの蓄積は相当なものだった。


 くそ、今になってアドレナリンが覚めてきたのか、与えられた痛みがドッと噴き出してきやがった。


 分厚い毛皮で見た目からはわからないだろうが、テディの打ち込みで受けた傷がズキズキと響く。


 俺は肩を荒く上下させながらドッドッと脈打つ心臓の鼓動が収まるのをジッと待った。


 右の鼻先に指を当てふんっといきむ。

 固まりかけた血の塊が床へと付着した。


「おれは……?」


 ようやく意識が戻ったのか、テディは仰向けになったまま左目を薄く開けて満足そうな笑みを浮かべた。


「……おれは負けたんだな。そうか、完敗だよクマキチ。ここまで綺麗サッパリやられればもういうことはなにもない」


 ああ。おまえは強かったよ、テディ。自然とほかの敵と違ってコイツにはそれほど悪い感情が湧いてこない。それは俺たちが死力を尽くして戦った同士だからだろうか。


「いや、おまえも強かったよ。俺が勝てたのは、運がよかっただけだ」


「強い上に謙虚か。まったくおまえにはかなわない」


 一歩間違えればどちらかが廃人はおろか死んでもおかしくはない激闘だった。


 命のやり取りをする間柄ほど深い関係はない。


 俺が満ち足りた思いで彼を見つめていると、テディは照れたようにフッと視線を逸らした。


「だが、ここでおまえに負けたのも天命なのだろう。おれ、いや、わたしもこれ以上我を張らずに済むというものだ」


 ん? いきなりなんの話だろうか。


「わたしは故郷の森を出て十年。長らく自分が仕えるべき主人を探していた」


 ん、んんん?


「おまえの仔ならば、わたしはもう強がらず産めそうな気がする。もう、わたしは意地を張らなくて済むと思うと、返って肩の荷が下りた気分だ」


 ちょ、ちょーっと待った! 


男同士で産むの産まないのって、どこの異次元の話なんだよ! 


「いっていなかったか? おれは女だ。まあ、こんななりでは間違えられても仕方がないが、ちょっとひど過ぎるな。少なくとも顔だけは立派に女であると最低限見られるはずなのだが」


 ……。


 うん、こんな展開誰も望んでいない。


 俺はとりあえず回れ右をして闘技場を飛び出し現実逃避を決めることにした。






 

 と、まあ気分転換にお茶を濁しても現実はちっとも変わらない。


 そもそも決勝まで来て勝負を投げるわけにもいかないもんね。


 観念した俺は潔く五分後には闘技場に戻って戦いの舞台に立っていた。


 現実っていつもツライ。


「さあ、アニ村のみなさま方、お待たせいたしましたーっ! ついに聖熊武闘大会、決勝戦です! この激しい戦いを勝ち残ったふたりの猛者によって、真の強者が決められるときがきました。赤コーナー、八〇〇ボッカ! 運も実力の内かァ? 奇跡のラッキーで勝ち上がってきたその実力は未知数だっ。職人の意地見せたれっ! アニ村のダークホースロミスケの登場だっ。対しまして、青コーナー、六五〇ボッカ。ジルヴェスタ、テディと強豪相手に我々へと手に汗握る熱い戦いを提供してくれたヴァリアントのクレイジーウォリアー! クマキチ選手だああああっ! おおっと、ここで彼の戦いっぷりに惚れ込んだ村の乙女たちから熱い声援が飛んでいますうううっ。わかるっ、わかりますっ。解説の私もクマキチ選手の強さにはクラっときちゃいましたからっ。おおっと、初戦からクマキチ選手を応援しているウェアウルフのサポーターたちとエルムっ子たちとで激しい場外戦が繰り広げられておりますっ。観客席のみなさま方は、くれぐれも乱闘せぬよう切に願いますーっ! いっときますけど、これ一応神事ですからねええっ!」


 解説役であるカルメンシータ女史がばっさばっさと翼を羽ばたかせ、喉を嗄らして叫んでいる。


 ぬう、さすがに決勝戦まで来ると盛り上がり方が違うなぁ。さすがに一回戦負けは勘弁して欲しいところであったが、ここまで勝ち残れたのも日ごろの行いがよかったからだろうかとくだらんことを考え込んでしまう。


 このような大舞台に立てば、さぞロミスケも委縮していると思いきや、意外や意外。


鼻歌でも歌いそうなほどにリラックスした状態でぽややんとしている。


 しまったなぁ。危惧していたことがそのまんま起こってしまったぞ……。


 ロミスケってば、端から俺がイイ感じに試合の運びを調整して八百長試合をしてくれると決めてかかっている。


 あまり考えがまとまらぬうちに、ごおおおん、と戦いの銅鑼が重々しく打ち鳴らされた。


 ええい、もうこうなったら出たとこ勝負でやるしかないな。


 軽く腰を落として姿勢を気持ち低くし、身体を半身に開く。


 こうすることで相対する相手からわずかでも急所を晒すことを防げるのだ。


 右肩を軽く上げて顎の下に持ってゆき右腕を畳む。

 左腕は腰のあたりに落として攻防どちらにでも移せるよう配慮した。


 対するロミスケは素人丸出しに両腕をガオーっとばかりに天に突き上げ、なんの躊躇もなく襲いかかって来た。


 ――コイツ、アホか。


 俺は腰を落としたまま迫り来るロミスケを注視し、グッと両脚にバネを溜めた。


 幸いにも連戦によって俺の身体はあたたまっている。


 ジャブ。


 パンパンッ


 と高らかに肉打つ音が鳴って俺の右ジャブがロミスケの鼻面を捕らえた。


「――ッ?」


 ロミスケが怯んだところで俺は一歩前に出て右のローを放った。


コツは膝を高く上げて的確に打ち下ろすこと。


 俺のローは情け容赦なくロミスケの脚をガッガッと打って、動きを止めてゆく。


「あうっ」


 左太腿に強烈な痛みを感じたのかロミスケがガクッと上体を崩した。その隙を見逃さず俺は床石を蹴って宙に舞うと両足をそろえてドロップキックを放った。


「そいやさ!」


 両足の爪先がロミスケの喉仏に突き刺さった。八〇〇キロはあるロミスケの身体が宙に浮いて面白いようにすっ飛んだ。


「おおっーと! さすがは激戦を勝ち抜いたクマキチ選手の流れるような攻撃にロミスケ選手は手も足も出すことができないいいいっ! 華麗なジャブからのロー、そしてドロップキック一発でロミスケ選手の巨体は吹っ飛びましたあああっ。ころころか? クマキチ選手、テディ選手に続いてロミスケ選手もころころしてしまうのかあああーっ!」


 なんだよ、そのころころってのは。


「ちょ、ちょっと待って――」


 ロミスケが片手を上げて俺を制止しようとするがやめない。


 片膝を突いているロミスケの顔面へとダッシュしながら膝蹴りを放った。


「ぐがっ!」


 ごりっと物凄い音が鳴って右膝が入った。


 ロミスケはパッと鼻血をあたりに撒き散らして痛みのあまり激しく呻いた。立ち上がりかけたロミスケの背後に素早く回ると腰に両腕を回してガッチリ捕まえる。


「ちょ、あ、ちょっとっ。兄ィ、オラ、まだちょっと――!」


「ふんぬむりゃっ!」


 八〇〇キロはさすがに重いが、なんら防御姿勢を取らないエルムを投げるのはそれほど苦ではない。


 俺はロミスケの身体を引っこ抜くと全力でジャーマンスープレックスを決めた。


「おおっーと! さすが情け容赦ないクマキチ選手の攻撃だああっ。いきなり大技が炸裂しましたああっ。ロミスケ選手は後頭部と背面をモロに床へ打ちつけられさすがにたまらないのか、ふらふらと千鳥足だあああっ。まったくもってなすすべなく、あっさりこの勝負は決まってしまうのでしょうかっ。長老、この決勝戦はあっさりとクマキチ選手の勝利に終わってしまいそうですが、どうでしょうか?」


「フォフォフォ、あのクマキチという男、かなり場数を踏んでおるのう。これはちとロミスケには厳しいかもしれんが、ここはひとつ頑張って欲しいのう」


「ヘルフリート村長はどのようにこの試合を見られますか?」


「そうですね。ロミスケはぶっちゃけ、予選の大食い大会は突破できたものの、一度も戦っていませんので。ただ、彼は幼少のころからかなりの力を持っているので、ギリギリで火事場の糞力が出れば面白い試合になるのではないでしょうか?」


「……とりあえず賢者セネカ氏にもコメントを頂いておきますか」


「むぅん、つれないのう。儂の魅惑のフェザータッチを恐れんでもええんじゃ――ああ、嘘嘘。そろそろ真面目にやるとしますかのう。ぶっちゃけ、あのクマキチは西の山でワイバーンをぬっ殺しておる。ロミスケに少々の膂力があってもクマキチの勝利は動かないじゃろうのう」


「そういう情報は先におっしゃってくださいよおおっ。んもおおお、ホントにいいっ! ――というわけではじめて今大会で自称賢者氏が有益なコメント述べてくれましたので、とりあえず今回に限り命だけは見逃してあげようかと思います」


「ちょ、カルメンシータちゃんんっ! 儂になにする気じゃったのおおっ? そういうの、ぜんっぜん聞いてないよおおっ」


「え、閉会後、隠密裏に処分してもらうつもりでしたけど」


「あっさりいいいっ! なにそれ、酷くね?」



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