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74「激闘のゆくえ」

 盤上には気持ちのよい風が吹いていた。

 まさに冬本番という冷たさだ。


 けれど、俺のたっぷりした被毛とその下に息づいている肉の発する熱で寒さはまるきり感じない。


「さあ、いよいよ待ちに待った準決勝がはじまりました! テディ選手とクマキチ選手。両者とも、強豪と目されていたアニ村切っての勇者を倒して駒を進めてきただけに、白熱した試合が予想されますっ」


 カルメンシータの軽やかなアナウンスの元、盤上で向き合ったテディは薄く笑っていた。


「待っていた。このときを待ちわびていたんだ、クマキチよ」


「別に俺は待ってないぞ」


「まぁ、そう嫌うなよ。おまえをこれほどの大舞台で叩きのめす。もっとも、逆にこのオレが叩きのめされる可能性もあるわけだが、それこそが強者の道であると思わないのか」


 ぜんぜん思わない。


 第一に俺は平和を愛するシロクマなのだ。この武闘大会に出場するバトルジャンキーたちとは一線を画しているとなぜわかってもらえないか不満なのだ。


「とにかくフェアにやろうや」


 俺がそういうとテディはぐすっと鼻を鳴らして瞳を光らせた。


 そして、戦いの銅鑼が長々と響き渡った。


 拳をゆるく握って姿勢を低くすると、俺は盤上の上を素早く走り出した。テディは右目に古傷の裂傷があり、つまりは死角が右側となる。


 これを衝かないという手はない。スポーツマンシップがどうとかではなく、敵の弱点を衝くのは卑怯でもなんでもなくセオリーであるといっていい。


 だが、昨日今日の傷ではない右目の死角くらいテディが克服していないはずはない。もっとも、なんでも自分の目で確認してみないと納得いかないのが俺の癖でもあった。


 一回戦でテディと戦ったルボルは瞬殺されたので、本来での意味で実力はまったく引き出せていない。


「――ま、駆け引きは必要ないか」


 すでに一度テディと俺は組み合っている。膂力が同程度であるならば、あとは神のみぞ知るといったところだ。


 円を描いて駆けていると、テディは腰を落としてまっしぐらに突っ込んで来た。


 迷いのない、力強い瞳の輝きは美しかった。

 テディは唸りながら鋭いフックを放ってくる。

 ガードを上げて途切れのない猛烈な連打を必死で防ぐ。


 さすがにまともな格闘術を収めているエルムだけあって、今まで戦ってきたどの相手にもない積み重ねというものを拳に感じる。


 いくらこちらが分厚い肉と脂肪で守られているといって、一方的に防戦に徹したままでは勝ちを得ることはできない。


 テディは俺よりも一メートル近くデカいし重い。


 だが、一度組み合ったときに、これは絶対にかなわないとは思わなかった。


 自分よりもはるかに巨大な魔獣と戦ったときにも感じたことだが、このシロクマの身体は常識が通用しない力が秘められている。


 自分を信じろ。シロクマであるこの俺を信じるんだ。

 頬が熱い。


 強烈な猛打を浴びてガードが下がったところを思い切り張られたのだ。


 負けじと打った。


 右ストレートがカウンター気味にテディの顔面に決まった。


 盤石だったテディの身体がたたらを踏んで後方に下がる。


「ちえええっ」


 床を蹴って跳び上がった。

 身体を捻りながら飛び蹴りを放った。


 が、テディは両の手のひらを重ね合わせて俺の蹴りを受け止めると、自ら後方に跳んで衝撃を上手く殺した。


「やるじゃないか、クマキチ」


 テディは太い指先で片方の鼻孔をふさいで流れ落ちる鼻血を吹き飛ばすと楽しそうに笑った。


 ああ――。


 なんだか俺もちょっとだけ楽しくなって気がする。


 テディが両腕を大きく広げて待ち構えている。俺は半身を開いて重心を落とすと摺り足でジリジリと間合いを詰めてゆく。


 指先から尻の穴まで燃えるような熱が走っている。テディは牙を剥き出しにすると、黒い肉体を躍動させてタックルを仕掛けてきた。


 右脚――!


 太い大蛇のような両腕が俺の右脚に巻きつく。テディが俺を引き倒すために突っ込んできた。右肘を固めて無防備なテディの頭部へと打ち落とす。


 何度も何度も何度も。


 削岩機が硬い岩盤に穴を開けるような執拗さで肘打ちを乱打した。


 これにはたまらずテディの腕がゆるむ。


「おっしょい!」


 俺はすぐさまテディの頭に抱え込むと、そのまま後方に倒れながら投げを打った。


「素晴らしいコンビネーションです、クマキチ選手―っ。あっさりテディ選手に引き倒されるかと思いきや、嵐のような肘打ちの連打からの投げで状況を一変させたーっ!」


 テディの巨体が軽々と宙を舞った。


 ずうん


 と腹の底に響く轟音が鳴って真っ黒な岩山のような身体が沈んだ。


 俺が毬のように転がりながら距離を取って立ち上がると、テディもまた涼しい顔で盤上に立っていた。


 白い牙を見せあってニッと笑う。

 ニッと笑みを返された。


 ゾクゾクした心地よさの中で身体の芯が痺れてゆく。


 ふらふらと近づいてきたテディが長い腕でジャブを放ってくる。


 実にリズムがいい。

 俺も的を絞らせないように小刻みに動く。

 けれど相手のほうが一枚上手だった。


 いいパンチが腕や脇腹へと徐々にダメージを刻み込んでゆく。


 このままじゃあ埒が開かない。


 これほどまでにタフネスな男をやるためには、大技を決めなくては駄目だろう。


 ダメージだ。

 ダメージを与えることが必要なのだ。


 太く分厚い肉を穿って魂をへし折るほどの強烈なダメージが必要だ。


 ほとんど四つん這いに近い位置まで腰を落とした。

 膝だ。

 やつの膝を奪うのだ。


 床を蹴って一気に突っ込んだ。

 防御など考えない。

 防御など考えたら膝は奪えない。


 するっと手を伸ばして掴みかけたところで強烈な膝が来た。


 パッと視界が真っ白になって目がチカチカする。

 熱い。

 鼻から真っ赤な血が滴り落ちている。


 猛然とテディが突っ込んで来た。どうやらやつは組み合いよりも打撃のほうが得意らしい。右、右、左と熟練したコンビネーションを使って来る。単なる打撃戦になれば俺の勝ち目は薄いだろう。時間が経てば経つほど体力は消耗してゆく。


「だりゃっ」


 前蹴りを放った。


 予測していなかったこの攻撃をまともに喰らってテディがカッと左目を開いた。


 距離を取って呼吸を整える。


 イチかバチか誘いをかけるため、わざと左右にふらついてみた。


 案の定、怒りに染まったテディは猛然と迫って来る。


 素早く右腕を伸ばして首筋の奥襟部分を掴み、左腕で右手を掴んで腰車をかけた。


 この未知である技には対処ができなかったのだろうか、テディは面白いようにくるりんと宙を舞って背中から床に落下した。


 がふっ、と血反吐を吐く声が響く。

 その瞬間に俺はかけた。


 なんとか四つん這いになって立ち上がろうと頭を左右に振るテディに猛然と襲いかかった。


 悪いが寝技になればおまえたち異世界のやつらにゃ絶対に負けない――!


 俺はうねる蛇のようにテディの身体に絡みつくと、たちまちに身体を仰向けに修正して腕挫十字固めを極めた。


「おおっとーっ! 両者の白熱した戦いも佳境に入ったかーっ! クマキチ選手の関節技が見事にテディ選手の自由を奪ったぞーっ! これは決まってしまうのかーっ?」


 歓声と怒号が入り混じって耳朶を打った。

 満身の力を込めて腕を引き絞る。


 折ってやる。

 必ず折ってやるぞ、と。


 そのくらいの意志を込めねばたちまちに弾き返されそうな力を感じ取った。


「テディ、ギブアップしろ! 俺の技は完全だ。この状態からじゃ誰がどうやったってはずせねぇーッ!」


「冗談を、いうなーッ!」


 仰向けになったテディの身体と俺が直角になり、テコの原理を応用して極めるこの技は、まず完全に入ればはずすことは不可能だ。俺の両太腿はガッチリとテディの腕を極めているし、この寝転がった状態からは力だけでは逃げ出すことはできない。ギリギリとテディの腕を自分の胸にくっつけ引き絞るように腕を逸らすと苦痛の呻き声が轟き渡った。


 みちみちとテディの筋肉の一本一本が悲鳴を上げて成仏してゆく。だが、よほどに我慢強いのか、吠えることはあってもまったくもって降参の意志を見せず、それどころかこの姿勢から無理やり腕を引き剥がそうとするので、こっちも気が抜けない。


 夢中でしがみつく。

 こいつをはずされたらヤバい。

 本能的にわかるんだ。


「ぐおおおおっ」


 力を振り絞って高々と吠えた。


 不意に、みりみりと音を立ててテディの腕が閉じてゆく。


 させぬ――。


 視界が白熱してなにもかもわからなくなる。


 次いで。

 鋭い衝撃がほとばしった。


 気づけば俺は横倒しになって床に転がっていた。

 すぐさま立ち上がってテディを睨みつける。


「おまえ……」


 テディの左腕。雑巾を無理やりねじったような見るも無残な姿に成り果てていた。


「ああっとーっ。脱出、脱出しましたーっ! テディ選手、脱出不可能と思われたクマキチ選手の関節技を力尽くで食い破り立ち上がったーっ! だが、だがっ。その代償は大きいぞーっ。だらりとぶら下がった左腕は完全に使い物にならなさそうだあああっ。ここから、どうやって反撃するのかあああっ!」


 来い。


 かかって来いとテディの目が強く訴えかけていた。


 無理やりに俺の腕挫十字固めを破ったせいで左腕が使い物にならなくなっている。


 もういい。

 もういいんだ。


 今すぐ俺が引導を渡してやる。

 呼吸が荒い。


 俺自身もかなりの体力を使い果たしている。膝がわずかに笑っている、気を抜けばすぐさまその場に崩れ落ちそうなほどだった。


 深く息を吸い込むと、姿勢を低くして前のめりに突っ込んだ。


 抵抗はほとんどない。


 俺は真正面からテディの身体を両腕で抱きかかえると天高く跳躍した。


 八〇〇キロを超える巨体はさすがに重かったが俺の気合がすべてに勝った。


 中空から真っ逆さまに墜落しながらテディの身体を背面から床へと叩きつけた。


 オクラホマ・スタンピード――。


 肉を叩きつける轟音とともに俺は勝利を確信した。





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