73「真の実力」
うん、この草餅美味しいな。俺がルルティナからもらった餅をもちゃもちゃ噛んでいると盤上にひらりと降り立ったアランがある提言を行った。
「さきほどの不戦勝、おれはまったくもって納得がいかない。わざわざこの草深い村にやって来たのは、身が震えるような強者とやり合えると期待していたからだ」
アランはぐっと拳を突き出すとヴラジミールと会場の観客すべてに聞こえるよう主張している。ま、気持ちは分からなくもないけどね。
「――が、判定は長老会の審議を行った厳正なもの。それに、この武闘大会は神事である。それに異を唱えるというのか? まさか、組み合わせをもう一度やり直せと?」
腕組みをしながら余裕を保っていたヴラジミールがつむっていた片目を開けて応じた。
「そうではない。おれがいいたいのは、実にシンプルだ。アンタのような強者と腕を競いたい。おれは三回戦において、ほぼなにもしていない。こんなんじゃ納得できない。いや――」
そこまでいうとアランは溜めを作って天を仰いだ。
「おれの血がおさまらないのさ」
ヴラジミールが腕組みを解いた。ロミスケは気圧されたようにわたわたと腕を振って後退る。オイオイ。
「アンタもそこの木地師の少年が相手では物足りないだろう? そこで、こういいたいんだ。おれとあんたがやり合って、勝ったほうがそこの少年と戦う。ま、おれたちがやり合えばどちらもタダでは済まないだろうが、武術の心得がない少年にはいいハンデになるんじゃないか?」
アランの突然過ぎる申し出にヴラジミールがはじめて興味を示し、鼻をヒクヒク蠢かせている。やる気満々みたいだな。
どっちにしろロミスケの存在は紙のような軽さに思われているのだ。怒っていいぞといおうとしたら、とりあえず試合がさけられたと思っているのかあからさまにホッと胸を撫で下ろしている様子が目に入り腰砕けになった。
ラナも熱いロミスケのガチバトルを期待していたのか口をもにゅもにゅさせながら眉間にシワを寄せていた。草餅食べる?
「私はその提案に異存はない。が、すべては長老会の決済次第だな」
「ああっと、ここで王者ヴラジミール選手がアラン選手の提案を呑んだ形となりました――! 確かにバランスからいえばそのほうがいいかと思われますが、ここはやはり長老会の審議が必要になってくると思われ――」
「ん、採用」
「なーんと! 凄まじいまでに早い長老筆頭ヤーコフさまの鶴の一声。これにて四回戦は変則試合となり、アラン選手とヴラジミール選手の一騎打ちが決まりました。これはなんという好カードでしょうかあああっ」
「……よしっ」
ロミスケがぐっと両拳をうしろに引いて寿命が延びたことをよろこんでいる。あのなぁ、それじゃあダメでしょうよう。ねえ、ラナさん?
「ん! おくびょうはいけないって、ととさまとかかさまがいってた!」
武勇を貴ぶウェアウルフの娘もこういってますよ。
とかなんとかいっている間に、盤上に上がったふたりの選手は張り詰めた緊張感の中、互いの距離を徐々に詰めはじめていた。
ヴラジミールは姿勢を低くして握った手のひらを閉じたり開いたりしている。抜群なリラックスさ加減だ。いざというときに、身体が強張っていると柔軟な対応ができないからね。
対するアランは巨大なふたつのヌンチャクを携えながら首を左右に振って、コキコキと音を鳴らしている。
ヌンチャクという武器は基本的に同程度の長さである棒を鎖などで連結して用いるものだ。
が、アランの持つヌンチャクは確かに棒であるが、異様なほどに先端が太い。あえて打撃時の破壊力をアップさせているのだろうが、見るからに重たげで喰らえばさしものエルムにも有効だろう。
アランはよくあるカンフー映画のようにやたらにヌンチャクを振り回したりせず、両手に持ったままゆるく地に落としている。
武器の使用は認められているが、元来エルムは素手のほうが攻撃力が高いのだ。あれほど騒がしかった観客も息を詰めて両雄の激突を今か今かと見守っている。ヴラジミールは構えたままで腰を落とし、ジリジリと間を詰めてゆく。
「ごきゅり」
唾を呑む音が隣からかわいらしく聞こえた。
ラナがふるふると身体を震わし、犬耳をぴんと立てているのが視界の隅に映った。
戦いの潮合がここに極まる。
「ほちゃあああっ」
双竜の二つ名を持つアランは両手に持ったヌンチャクを激しく旋回させながらヴラジミールに打ちかかった。
赤黒くみっしりと芯の詰まった重たげなヌンチャクがヴラジミールを襲う。
ぬおお、ありゃあ痛い!
一方のヴラジミールは長身を屈めるとボクサーのように両腕のガードを上げ防御姿勢を取った。
「おおっと、先制攻撃はアラン選手だっ。双竜と呼ばれる二つ名となったヌンチャクの嵐がヴラジミール選手を一方的に攻撃するうっ。武器の使用は許されておりますが、さすがのエルム族もこの攻撃は痛そうだーっ!」
カルメンシータが声を嗄らして叫ぶ。
ヌンチャクが肉を打つ音が高らかに間断なく鳴ってアランの怒号が耳朶を打った。
――どうするヴラジミール。このまままじゃ嬲り殺しだぞ。
「悪くはない」
旋風のようなヌンチャクの乱打を縫ってヴラジミールのつぶやきを俺の聴覚が拾った。
激しく回転していたヌンチャクの動きがぴたりと止まった。
スゲェぜヴラジミールのやつは!
あの速さで動くヌンチャクを一瞬にして掴み取ったのか。
「ああっと、試合は一方的に進むかと思われましたが、ヴラジミール選手、なんと嵐のように振り回されるアラン選手のヌンチャクを止めてしまったあああっ!」
戦いは拮抗状態に陥った。
無論、ヴラジミールがアランのヌンチャクを受け止めたことによって乱打攻撃が無効化されたからだ。
二頭のクマが巨体を揺すり合ってふーっふーっと唸り合うのは圧巻だ。両者とも一歩も譲らずヌンチャクを掴む腕に満身の力を込めているのがわかる。分厚いに毛皮の下で途方もない筋肉がうねっている。闘気という闘気を互いの満腔の毛穴という毛穴から噴出させて睨み合っている。理性を放棄したとしか思われないギラギラした瞳の輝きは、傍から見ているだけである俺の内にあった闘争心に火をつけたのか、柄にもなく武者震いを引き起こした。
――が、拮抗は永遠に続くものではなかった。
もの凄い音を立ててヌンチャクを連結していた鎖が飛び散った。
ここぞとばかりにノーモーションでヴラジミールが前蹴りを放つ。それを見越していたかのようにアランは両の手のひらを重ね合わせて肉のミットを作ると破壊力を殺した。
しかし強烈な蹴りのエネルギーまでは殺せなかったのか、衝撃で後方に吹っ飛んでゆく。
ここから細かな差し合いが続くかと思いきや、勝負は一瞬だった。
ヴラジミールが黒い肉体を躍動させて一気に間合いを詰めた。対してアランは手に残ったヌンチャクの先端を垂直に立てたのが見えた。
長い両腕が蛇のように伸びてゆく。ヴラジミールが得意の組み打ちで一気にケリをつけるという鋼の意志が会場に伝わった。
対するアランはがばと胸元に組みつかれた状態で手にしたヌンチャクの先端をヴラジミールの額へと目にも止まらぬ速度で打ち下ろした。
それも一度では終わらない。ガツッガツっと骨を打ち砕く異様な音が鳴り響く。抱きついているヴラジミールの巨体がゆらりと揺れた。黒い体毛からわかりにくいが額からおびただしい血が流れはじめている。
「ごうあっ」
なにかに恐怖するかのようにアランが吠えた。
中空に掲げられたヌンチャクの先端が血塗れになってぴかりと光った。
ダメ押しとばかりに、今一度、打ち下ろしが行われる。
けれど状況はアランが臨んだようには進まなかった。
ヴラジミールは一瞬の気のゆるみを狙っていたのか、流れるような動きでするりとアランの背後に回った。
「なんとーっ。ヴラジミール選手このままアラン選手の攻撃に倒れるかと思いきや、素晴らしい動きで背後に回った! あああっ、両腕を伸ばしてアラン選手を後方から羽交い絞めに――ッ! これは、出るか、大技が出てしまうのかーッ!」
会場が割れんばかりにドッとどよめく。観戦していたラナの興奮もマックスに達したのか、俺の頭の上に攀じ登って唸り声を上げている。
ヴラジミールの身体が綺麗に反った。
相手を羽交い絞めの状態に捕らえたまま投げを打ったのだ。
アランはさけようと身体をよじってもがくが極まり方が完璧すぎてどうにもならない。まるで教科書のような美しいフルネルソン・スープレックスだった。
「決まったあああーっ。決まりましたーっ。またまた放たれた大技の投げが有利に試合を進めていたと思われたアラン選手を一転して地の底に沈めたーっ! 床石が砕けんばかりの大技に観客席も、そしてこの私も興奮しきりで爆発する感情が抑えきれなーいっ! カウントか、いや、カウントではないっ! アラン選手、立った! 立ちましたっ! ありえない事態に茫然としていたのか、今度はヴラジミール選手を負けじと正面から抱きかかえたっ!」
相当なダメージが残っているはずのアランはすぐさま立ち上がるとヴラジミールを抱きすくめて、頭突きを見舞った。
ごおんと物凄い音が鳴ってヴラジミールが怯む。アランは額から流れ出た血が目に入ったヴラジミールの隙を衝き、彼の両腕を自分の両脇に挟み込んで後方に投げ落とした。
今度は閂スープレックスかよ!
――そして激闘は果てることなく続く。
「両者ノックダウン――ッ! って、この結果は結局のところどうなるのでしょうかね? 再び長老会にて審議を行いたいと思いますので、観客席の方々と選手のみなさま方は今しばらくそのままでお待ちください」
カルメンシータのアナウンスが会場に響き渡る。
結果としては、盤上にアランとヴラジミールのふたりが長々と伸びていた。つーか、これが決勝戦でよくね? と思うほどの手に汗握る熱戦だったよ。
最終局面においてはお互いに足を止めてのガチの殴り合いに終始したが、最後に互いの右ストレートを交換し合っての気絶は言語を絶するものだった。
「クマしゃま、あたしはとてもとてもかんどうしましゅた……」
ラナはリングサイドでこの世紀の一戦を見ることができたのがよほどうれしかったのか、胸の前で小さな手を合わせて祈りの言葉を唱えている。
うーん、S席チケット十万払っても惜しくない試合だったな。
「えー、大変お待たせいたしました。ただ今の試合、長老会にて厳正な審議の結果、アラン選手及びヴラジミール選手の負傷具合を規定に鑑みまして、準決勝進出はロミスケ選手といたします」
――予想はしていたけど、もの凄いブーイングだったがロミスケ本人は観客の非難よりも試合をさけることができたことによる安堵で一杯みたいだった。
うむむ、いかんせんこの展開マズ過ぎるだろう。
「え、えへへ。クマキチの兄ィ、オラ、なんだかツキがあるみてぇで」
ロミスケはホクホク顔でどこか踊り出しそうなほどうずうずしていた。
「で、次の試合はテディとかいうやつと兄ィでさ。なら、コイツは兄ィが勝つに決まってる。え、えへへ、そうなりゃあとはヨロシク頼んますよう」
どうやら、すでにロミスケは決勝まで俺があたりまえのように勝ち残り、八百長で自分に勝利を譲ってくれるものだと思い込んでいる様子だった。
確かに、最初はそういうつもりであったが懸念は幾つもある。まず、ロミスケはフードファイトには勝ち残ったものの、この決勝トーナメントではただの一度も戦っていないということだ。
もちろん、運も実力の内である。タソガリーヌが勝負を放棄したのも、アランとヴラジミールがダブルノックアウトしたのも、ほとんど神の導きとしか思えないツキの凄さだ。
けれど、俺がテディに勝ち得たとしても、生半可な演技でロミスケに負けたとして、会場のエルムたちや目の肥えた長老グループをどこまで欺けるかというのだろう。
ロミスケがふらふらと会場の外に出て行ったあと、ラナが小難しい顔で顎に手を当て考え込んでいる。
「うーん、クマしゃま。ラナはズルはよくないとおもうのです」
うん、そうだね。ズルはよくないね。
俺はラナの思いを受け取ると同時に、脳裏にひとつの考えを固めた。
とりあえずはロミスケの甘っちょろい考え方に活を入れなくてはならない。
幸いにも次の試合まではまだ時間がある。
「クマしゃま、まってくだちゃいっ」
小走りに会場から出る俺のあとをラナがついてくる。
てか、とにかく今はロミスケを捕まえて話をしないとな。
あんなでかい図体なら見失うことはないだろう、と、うんうんいたいた。アイツってばのんきに出店で買い食いしてやがる。
それにしても祭りっていうだけあって、人混みがすごいな。全然前に出れない。
「クマしゃま、あたしにまかせてくださいなっ」
俺がエルムの波に揉まれている間にも、ラナがするすると人混みをすり抜けて団子を頬張るロミスケに近づいてゆく。
「ロミスケしゃんっ。ごようなりっ」
と、ラナが声をかけるなりロミスケは周囲に視線を巡らせている。足元にいるラナがわからないんだね。
「わあっ!」
「きゃあっ!」
「なんだっ!」
突如として巻き起こった歓声と悲鳴に顔を上げた。
げ、なんだアレは?
視線を転じると、丸太を多数積んだ巨大馬が濛々と砂塵を巻き上げて群衆に突っ込んで来た。
意外に身のこなしが素早いエルムたちは押し合いへし合い、突っ込んで来る馬から逃げようと右往左往している。
じゃなくて! このままじゃあ、足元にいるラナが巻き込まれちまう――!
「どけっ、どいてくれよっ」
泡を吐き出しながら突進して来る巨大馬はパッと見ても体高が五メートルをはるかに超えているバケモノだ。
牽引している荷車には力自慢のエルムでさえ敬遠するような丸太が満載されている。
あんなもんが落ちてきたら俺でもヤバいッ!
直線状にはラナがいることに間違いない。気ばかり焦るが黒い波濤のように押し寄せて来るエルムの群衆を前に距離は中々縮まらない。
絶望と焦燥で脳が焼き切れそうになったとき――。
のそり
と、突進する巨大馬の前にロミスケが立ちはだかった。巌のような身体がズシリと巨馬の前に立ちはだかり、腹の底に響くような咆哮を放った。
ロミスケは一般的なエルムに比べれば、身長も体重も申し分ない。彼は後方にいるであろうラナを意識して突っ込んで来る巨大馬と真正面から組み合った。
もの凄い音が鳴ってロミスケがまともに巨馬とぶつかった。引いていた荷車の重さとスピードも重なって、その圧力は言語を絶するレベルに徹していたのであろうがロミスケは四つに組んで見事に突進を止めたのだ。
前傾姿勢のまま巨馬の胴体を食い止めて、ずずずと五メートルほど後退したがロミスケの怪力のほうが勝っていた。
離れている距離からでもロミスケの身体がひと回りも膨らんだかのように思えるほどの力の込めようだった。
「ええ子だ、ええ子だ」
鼻息荒くなおも暴れようとする巨馬を真正面から抱きかかえながらロミスケがいい聞かせると、やがて興奮が収まったのか静かになった。
おまえ――!
俺は素早く駆けて、まだ茫然と道端に座り込んでいるラナを抱え上げた。ロミスケは俺の視線に気づくと、ちょっと照れたようにはにかんだ。
「兄ィ、ラナちゃんが無事でよかった」
俺は静かにロミスケを見つめると、感謝の気持ちを込めて深く頭を下げた。




