64「両雄対峙」
この村で巫女は信仰の対象であるとともにちょっとした医療の分野も受け持つ知識人でもあるのだ。
アドリエンヌはクロムローブというマジックアイテムを使って見かけはクマそっくりのエルムを装っているのだが、中身は普通の女の子。
いや、この世界ではなにが普通かはわからないがシロクマに転生する前は人間だった俺からすれば人とクマとの間に生まれたハーフエルムのほうが感情移入はしやすいかな。
「あっ」
おっと。手をすべらせたのかアドリエンヌが栄養剤の入った小瓶を落としそうになるので咄嗟に受け止めたがその際に互いの指先が触れてしまう。
アドリエンヌは目線を逸らしてどぎまぎするのが今となっては必要以上にかわゆく思えるぜ。
「あ、あの。もう大丈夫ですから」
乙女の手に俺のようなシロクマが気軽に触れちゃいかんよな。
そう思ってそっと離れると突き刺すようなルルティナの視線を感じた。
めっちゃくちゃ凄い目で睨んでるんですけど。
誰にでも愛想がよい天使のような彼女であるがなぜかアドリエンヌに対しては一線を引いたところがある。
フッ、モテる男はツラいぜ。なーんちゃって。シロクマがそんなに好かれるはずもないから、ルルティナのはちょっとしたヤキモチだろう。
知り合いの親しいお兄さんが取られちゃうとかそんなよーな。まだまだ子供だなぁ。
「もうほとんど熱も引いたようですし。あとはあまり激しく身体を動かさずゆったりしていれば自然に治りますよ。子供は回復力が大人よりも早いですから」
聞くところによるとアドリエンヌも本職ほどではないが昔村に滞在したエルフ医者にひととおりのイロハは習ったらしい。
「ラロ。アドリエンヌのいうとおり今日一日くらいは静かにしてなきゃダメだぞ」
「うー。クマキチしゃま。でも、ラロやっぱりおそとであそびたいよう」
ベッドで仰向けになっているラロの頬をやさしく撫でながら語りかけると渋々ながら承諾してくれたみたいだ。よかった。
「私がいってもちっとも聞きわけてくれないのに」
と愚痴るルルティナもほぼ治癒したとアドリエンヌに太鼓判を押され安心したのか表情はやわらいでいた。
「でもねラロちゃん。今日一日お休みすれば明日の前夜祭には出られるから我慢してね」
「じぇんやしゃい?」
ラロと同じようにキョトンとする俺たちの視線に気づいたのかアドリエンヌが目を細めた。
「聖熊祭りの本祭の前には必ず前夜祭を執り行うのです。子供たちが好きな屋台や各地から集まって来た芸人たちが多彩な技を繰り広げますので、むしろ遠方から来る方々はこちらを楽しみにしてやって来る方も多いのですよ」
「そうそう。姉さんのいうとおり。ちびっ子ちゃんたちも今日はおとなしくしていればお姉さんとロミスケが明日はお祭りを案内したげるよっ」
「おおーっ」
「しゅごーいっ」
「ラロ、がまんするっ」
ジュリキチはそういって三つ子ちゃんたちを説得すると俺に向かって目くばせをした。
わざとらしいやつ。
姉であるアドリエンヌと俺を交互に見ているのはデートにでも誘えと促しているのだろうが、そもそも彼女は彼女で忙しくてそんなことをしている暇はないだろうに。
「あの、よろしければクマキチさま。明日の前夜祭はわたしとふたりで回りませんか?」
「えっ」
……え?
「その、実はわたし、今までずっと巫女をやっていた関係で村の前夜祭はあまり参加できなかったんです」
えーと。
「いえいえ、ご心配なさらずに。自分の仕事はキチンと片づけておきましたから、本祭まで差し当たってやることもないのですし、こういってはなんですがクマキチさまとの出会いを大切にしたいと、そう思って――」
「ちょっと待ってください!」
あー。まあそうなるとは思っていたが、ついに黙っていられなくなったルルティナが前に進み出るぷるぷる震える拳を握り締めアドリエンヌと対峙した。
「アドリエンヌさん。クマキチさまは明日私たちと――いいえ、私と前夜祭を回るのです。いきなりそのようなことをいわれてもクマキチさまだって迷惑に決まっています! だ、だいたいあなたはいきなりポッと出てきてなんなんですかーっ」
「それでは逆にお聞きしますがルルティナさん。あなたとクマキチさまの関係をお聞きしてもよろしいですか」
「私はクマキチさまの妻ですっ!」
「嘘ですね」
「嘘はよくない」
「うん。すいません。それは嘘です。本当は家族ですっ」
ルルティナはリリティナとアルティナに否定されると即座に言を翻した。
うん、流れるような打てば響くこのテンポ。
さすが姉妹といったところか。
でも嘘は吐いちゃダメだよ。
対照的にアドリエンヌは目を細めてジッとルルティナを凝視している。
腰に両手をやって仁王立ちしていたルルティナはいきなり嘘を看破されたことに気勢を削がれたのか、よろよろと二歩三歩後退する。
頑張ってルルティナ……!
「と、とにかくっ。クマキチさまはその前夜祭? ってやつですか。私と約束しているんですからアドリエンヌさんとふたりっきりで出かけることはできないのですっ!」
「嘘ですね」
「嘘はよくない」
「うん。すいません。それは嘘です。本当は約束なんてしてないですっ」
リリティナとアルティナに即座に否定されると――って学習力ないんかい。
「おかしな話ですね。ただの家族であるならばわたしがクマキチさまとお出かけしてもなんら問題ないのでは? それにあなたは妹さん方と仲よく回ればいいじゃないですか」
「いえいえ。お気になさらず。それよりも巫女であるアドリエンヌさんが特定の殿方と親しくされるのは好ましからざることではないのですか?」
「アニ村のエルムたちはそれほど頑迷固陋ではありませんわ。それどころか他所から血を入れることには積極的でして、特に問題ないかと」
す、すごい……!
ルルティナとアドリエンヌはジリジリと距離を詰めながら笑みを湛えているが、その背中には一撃必殺も辞さないほどの必殺のオーラがほとばしっている。
あまりよくない状況だぞ。下手をすればこっちのほうまで災難が降りかかって来るやもしれん。
助けを乞うようにロミスケやクマタウロスに視線を送ると彼らは後難を恐れるかのように視線を逸らして遠くを見る目をしていた。くうう、恩知らずどもめ。
「いよーう。これはこれはお歴々の方々、本日はおそろいで……?」
と、まるで空気を読まない態度でヨーゼフが姿を現した。あ、そういやコイツどこ行ってたんだろ。
ま、こんなんでもいないよかマシだな。
俺の防波堤になるがいい。
「えーと、旦那旦那。コイツは一体全体どうしたことで?」
ルルティナとアドリエンヌは互いにメンチを切り合うのが精一杯でヨーゼフが戻って来たことに気づかないのか部屋の中央で睨み合ったままだ。俺はヨーゼフの背に隠れるようにして両脚の膝を両手で抱え込み体育座りをする。
「ん? そういえばおまえはなにを買って来たんだ?」
見ればヨーゼフは両手一杯の紙袋をガサゴソと動かしていた。
「え、あはは。いや、明日は前夜祭やるってみたいで設営を軽く手伝ってたんで。どうも俺はガキの頃から祭りっていうと身体が疼いて黙ってらんねー性分なんでね。へへ。で、こいつは設営を手伝ったお礼ってんで的屋の連中に貰ったんでさ」
うーん。祭り好きのダークエルフね。ヨーゼフってばどう見ても生まれついての陽キャだしねじり鉢巻きと違和感なさそうだな。そうやってするりと地元の人間もといエルムたちの懐に入り込めるのも人徳ってやつなのか。
「ラロは病み上がりだし、こんなもんでもラロたちの慰めになりゃあいいかな、と思ったんで。おーい、ちびっ子ども。おやつやオモチャを仕入れて来たぜ!」
「えええっ」
「すごーいっ」
「わああっ」
ヨーゼフが手を上げて白い歯を見せると三つ子ちゃんたちは今の状況など最初からなかったようにどどっと駆け出してお土産目指してまっしぐらだ。
これには睨み合っていたルルティナたちも気勢を削がれて緊迫した空気がフッとゆるむ。
ふと視線を転じるとヨーゼフは手にしたリンゴを齧りながら器用にウインクをした。
おまえ、まさかすべての状況を把握していてふたりの仲を仲裁してくれたのか……?
イケメンで気配りができて細マッチョで小さな子供にやさしいだなんて。
主人公の資質をすべて備え持っているじゃないですか。
俺が女なら即落ちですわこんなん。
完璧すぎて劣等感もなにも生まれそうにありません。
惚れるわッ。
「で、旦那。結局のところ姐さんと巫女さん、どっちにするんで?」
前言撤回。
おまえなんにも状況わかってねぇじゃねーかコノヤロー!
ああ、再び美少女たちの睨み合いが再開されてしまった。ルルティナとアドリエンヌの背後に具現化した龍虎のオーラが顕現しているよう。
「まぁまぁおふたりさん。喧嘩もそのくらいにしときなせぇ。仲裁は時の氏神っていいやすぜ。そこで俺にひとつ提案があるんで聞いちゃ貰えやせんかね」
「仲裁?」
「どういうことです?」
ヨーゼフの人を食ったような態度に毒気を抜かれたのか両者が話に耳を傾ける素振りを見せた。
「よそもんの俺が巫女さんにこんな口上を並べるのもアレなんですが、前夜祭は丸一日あるってんなら旦那とは午前と午後とで回る相手を代わりばんこにするってェのはいかがで?」
おおっ。ナイスアイデーア! やるじゃないかね、ヨーゼフくん。君はやればできる男だと知っていたんだよ私は。がはは。
「そうですか、順番ですか」
アドリエンヌが考え込むようにスッと自分の顎のあたりに手をやるが、見た目はマジックアイテムを使っているのでクマそのものなのだがなんだかかわいい。
「私は反対ですよっ。こんなもの了承できませ――」
「いいですよ。構いません」
両手をブンブン振り回して駄々っ子のように騒ぐルルティナとは対照的にアドリエンヌはヨーゼフの提案を呑むような態度を見せた。
「くっ――! これじゃあ私がわがままっ子みたいじゃないですか。それじゃあクマキチさまとは交代で回るということで、ここは引いておきます」
「ふふふ」
「むっ。なにがおかしいのですかアドリエンヌさん」
「別に、なにも」
なんだか野郎である俺には窺い知れぬ対立が両者には生まれているらしい。ルルティナはアドリエンヌから離れると、俺のそばに寄り添って見せつけるようにギュッと腕にしがみついて来た。
お。
アドリエンヌがわずかにダメージを受けているぞ。
まぁ、本音もいえない周りばかりで俺とは仲のよい友達に慣れたと思っていたからこういう時間の差を見せつけられるのはショックなんだろうなぁ。でもタダのシロクマぞ。
「で、ルルティナさん。午前と午後、どちらにしますか?」
「ん。あ、はい。そうですねー。私は、私は……あっ。午後、んーっ。やっぱ違っ。私は午前にします。午前の部をっ」
「それじゃあ午後は私ということで。明日はよろしくお願いしますね、クマキチさま」
「負けませんよ」
と、いうことでよくわからんが明日の前夜祭は午前はルルティナ、午後はアドリエンヌと回ることになったのだ。
「ひゅう、ひゅひゅーう。旦那モテるねぇ!」
とりあえずヨーゼフはポカッと一発殴っておいた。
俺は寝相はわりかしいいほうだと自分でも思う。もうだいぶ慣れたのだが、ルルティナたちのほうがこういってはなんだがあまり寝相がよろしくない。ログキャビンで雑魚寝をしながらやたらにへんてこりんな格好で寝ているので幾度毛布をかけ直してあげたことやら。
現在はアニ村の宿舎で暮らしているので、それぞれ個々のベッドがあるので油断していたのだろうか。それともここのところの長旅や戦闘の疲れもあってかぐっすりと寝入っていた。
明け方である。
季節はまもなく冬を迎えようとしているので部屋の空気はぴんと張り詰めていた。
エルムは分厚い毛皮があるので寝るといってもマットのある台の上で横になっているだけだが風がないだけでずいぶんと熟睡できる。
ふと。鼻先に甘ったるい匂いを感じて目をパチリと開くと、そこには両目を真っ赤に充血させ俺の寝姿に見入っているルルティナの姿があった。
「んがっ?」
「しーっ、クマキチさま、しーっです。みんなまだ寝てますから」
両手にやわらかい手を当てられながら混乱から徐々に立ち直る。
ああ、そういや今日は前夜祭だっけっか……って外真っ暗じゃん。
「おはようございます、クマキチさま。気持ちのよい朝ですね」
「う、うん。おはようルルティナ」
「はい、おはようです」
先ほどの血走った目つきは俺の錯覚かと思うほどルルティナはさわやかな笑みで応えてくれた。
薄暗い室内を見渡すとあちこちから健康的な寝息が聞こえてくる。昨日はラロの快気祝いにかこつけてしこたま飲み明かしたのか、ベッドに半ケツの上体で倒れ込んでいるヨーゼフの姿が見えた。うむ。酒に飲まれてしまうとはまだまだ修行が足りないな。
「で、ちょっと早いのですけれどさっそく出かけましょうか」
ああ、うん。そうだね。
ルルティナの瞳はめらめらとやる気の炎が燃え上がり、化粧も服装もバッチリなところを見ると気合は充分らしい。よほど今日のお祭りを楽しみにしていたのだと思うと水を差すのもかわいそうだし、なにしろこの身はシロクマゆえに特に準備することもない。
みんなを起こさないようにそろりそろりと宿舎を抜け出し村の中心部を目指した。
まだ薄暗いので誰もいないと勝手に思い込んでいたのだが、すでに出店を出すエルムたちはとんてんかんてんと木槌の音も高らかに活動し出している。超早起きなんだね。
アニ村の情景ややはり昼間見るのと早朝ではまるで違うので、これはこれで趣があるなと感じ入りつつ霜を踏みながらサクサクと歩く。深呼吸すると冷たく清らかな朝の空気が肺を隅々まで満たし心地よい。
「わ。綺麗な朝焼けですねクマキチさま」
スキップしながら踊るように先をいっていたルルティナが明るい声を上げて足を止めた。
冬の日の出は遅いが透き通った空気の中で燃え上がるように現れた真っ赤な塊は俺たちの目を奪うのは充分だった。
牛馬を放牧する囲いの前で隣り合ってその景色を見た。
若干牛糞の独特な臭気が鼻を突くが隣のルルティナを見れば頬を真っ赤に染め感動しているようだった。
そういえばロミスケを助けて以来、ごたごたが多くてルルティナとゆっくり語り合う時間もなかったように思える。そういった意味では今回のお祭りはいい機会だったのかもしれないな。
ルルティナがチラチラこちらを見ながら手を伸ばしているので俺から率先して手を握った。
彼女は一瞬びっくりしたような顔をしたが、すぐにふにゃっと相好を崩し幼さを感じるように淡く唇を歪めた。
それから牧場から離れた草地に設けられた丸太の椅子に腰かけてルルティナの用意した朝食に舌鼓を打った。
「あちち」
「ふふ、クマキチさまったらそんなに急いで食べなくったってご飯は逃げませんよ」
沸かした茶を急いで飲み干そうとし、目を白黒させる俺を見てルルティナが笑う。
「随分と気合が入ってるな」
「そりゃあもう。クマキチさまとお買い物するのって実ははじめてですしね」
あー。まあ、そういわれりゃそうだよな。森にお店はないもんなぁ。
アニ村は峩々たる山脈に囲まれているせいで、比較的寒気は遮られており過ごしやすいがそれでも本格的な冬の訪れはそう遠くない。
ロミスケに起こった事件の全容は未だ掴めておらず、ジュリキチを狙う村長のバカ息子も心配だ。
「あの、クマキチさま。どうかされましたか?」
不安な気持ちが顔に出ていたのだろうか。
うむむ。
俺は両手で自分の頬をぱしぱしと打って気合を入れ直した。
「いや、なんでもないよ。さ、今日は前夜祭をとことん遊び尽くすぞ!」
「はいっ」
ルルティナのすこぶるいい返事。
若いって素晴らしい。
ま、今日のところはそれらを少し忘れて祭りを楽しむとしようかな。




