59「熱病」
「旦那、ここは潔く謝ったほうがいいと思いますぜ」
ヨーゼフ、殺すっ。
ふと、くいくいと腰のあたりを力弱く引かれて背後を振り返る。
なんだ、ラロかと思って視線を向けると胃の腑がキュッと縮こまったような気がした。
「クマキチしゃま、なんか、あたしからだがあちゅいよう……」
「おい、ちょっと待った。ラロの様子がおかしいぞ」
「ふんだっ。そういう手には引っかかりませんよーっだ。え――嘘、どうしたの? ラロ、ラロッ。あなた顔真っ赤じゃない!」
俺に組みついていたルルティナは素早く離れてラロを抱き合げると悲壮な顔で見返して来た。
たちまちに争いは止んでその場一同の注意はラロに集まることとなった。
いつもは雪のように白いラロの頬が熟れたリンゴのように真っ赤になっている。
そっと手のひらを額に当てると燃えるように熱かった。
風邪か――?
そういえば三つ子の中でもラロは特に身体が弱く体調を崩しやすい子だった。
俺はラロを抱え上げて部屋に戻るとベッドに寝かせ、ヨーゼフに頼んで外へと医者を連れてくるよう頼んだ。
「ルルティナ。さっきまで特に変わりはなかったよな?」
「え、ええ。昼間はララやラナと元気よく追いかけっことかしてたのに、なんで急に――リリティナにアルティナ? なにかこの子で気づいたことある?」
急に問いかけられても特に思い当たることはなかったようでふたりは悲しそうに顔を左右に振ると沈み込む。
俺はタライに汲んだ冷たい井戸水に手拭いを浸し、ラロのちっちゃな額に乗せるがほとんどときを置かずしてぬるくなってしまう。
食堂からベッドに運び込んで三〇分と経っていないだろうに、ラロの病状はみるみるうちに悪くなってゆく。
ララとラナは感染しないよう念のため部屋の外に出してあるが、扉の隙間から姉妹を心配してかみゅうみゅう啜り泣く声が漏れ聞こえてくる。
「旦那、ダメだった。アニ村に医者はいるみてぇだがちょうど峠を越えた隣村に往診に行ってるらしく不在だ」
とうに酔いは醒めたのかヨーゼフは息せき切って部屋に入って来ると俺だけを廊下に連れ出しそういった。
くそ。
扉の隙間から中を見て歯噛みする。
歯噛みするが事態はどうにもならない。
「ラロ、苦しい? 苦しいよね。でも、すぐお医者さまが来てくれるからね。頑張ろうね」
ルルティナがラロの手を握ってしきりに呼びかけている。
アルティナは涙ぐんだ瞳ですがるように俺を見ているが病気が相手ではどうしてやることもできない。
「クマキチさま。これ、本当にただの風邪でしょうか」
蒼ざめた顔で濡れ手拭いを絞るリリティナが問うてくる。確かにただの風邪にしては高熱過ぎるような気がする。
「ねぇさまぁ……くるちぃよう」
「大丈夫、大丈夫だからっ。すぐ治るからねっ」
ルルティナはラロに頬擦りしたかと思うと、真っ赤になった頬や額をぺろぺろ舐め出した。
傷ではないし、そうしたところで熱が下がるわけでもないだろうが、彼女たちウェアウルフの習性なのだろう。
あとは村の長老たちはアドリエンヌたちに頼んでなんとか医者でなくても医術を心得てる人に伝手を――。
「あ、クマキチさま。それにヨーゼフさん、お医者さまは見つかったんですか?」
俺とヨーゼフが気まずそうに口ごもると聡いルルティナは察したのか泣き出す寸前のように歪めた。
「はいはい、失礼しますよ」
どうすればいいんだと拳を握り締めていると、廊下でざわつく野次馬の中からひとりの男がずかずかと部屋の中に入って来た。
一見してネズミそのものの亜人であった。
背丈は一四〇かそこらで小柄であるが服装は旅商人そのものといった年季の入ったものを着込んでいた。
チョロチョロと跳ねるしっぽは細く長く、動作は機敏で俺たちが呆気に取られているうちに、その男はひょいひょいとベッドに近づくと顔を近づけラロの呼気を嗅ぎ出しだ。
「アンタは……?」
「いえね。わたしはまぁこの宿をお借りしてる、いってみればあながたと同じな祭りの見物客でございます。ええ、ラッタッタ族のゴーチエと申しまして。以後お見知りおきを」
ゴーチエと名乗った旅商人のネズミはかぶった帽子を脱ぐと長い前歯を見せて如才なく笑みを浮かべる。
俺は自分の名を名乗るとわらにもすがる思いで問いかけた。
「ゴーチエさん。もしかして、アンタはラロの病気がなんなのかわかるのか?」
「ええ。わたしはこう見えても各地の村々を回っていますからねぇ。下手な医者よりかはこういった土地ごとの病気には詳しいつもりで……こりゃあラジオル病でございますね」
なんだそれは……?
まるで聞いたことのない病名にヨーゼフと顔を見合わせた。どうやら彼もまったく知らないらしい。
「あの、あのっ。ゴーチエさん、ラロのかかったそのラジオル病はどうやったら治せるんでしょうか?」
男同士の話に婦女子の嗜みとして嘴を突っ込むのを我慢していたルルティナがとうとう痺れを切らして前のめりになった。
「おう、これはウェアウルフのお嬢さん。そうですな。妹さんの病気は、ここいらではそれほど珍しいたぐいのものではないのですよ。エルムなら、みな子供のころ一度はかかる。失礼ですがそういったことはあなたのほうがお詳しいのでは?」
「いや、俺はアニ村のものじゃないしラジオル病にはかかったことがない」
そもそもが俺の体毛が未だ黒いのは旅の途中で戦ったガマ野郎の呪いのせいなのだが、今ここで話しても意味がないので黙っておく。
「そうですか。確かにエルムの子がかかったとしても重篤になることはほとんどありません。それどころか、風邪の症状になることすら普通はないというのです。エルムの方々は基本的に体力がありますからな。わたしも以前こういった状況をほかの村で見たことがあったのですぐ気づけたのですが……ほらご覧になってください。この子の耳のあたり、細かな水泡がわずかにできている。それに呼気は胃液が若干逆流しているのでしょう。独特に臭いがあります。適切な手当てをしなければ、今日、明日が峠になってしまうかもしれない」
「そんな……!」
ルルティナは口元を手で覆うと大きな瞳を潤ませ大きく顔を歪めた。リリティナやアルティナもそれに倣う。
「それなら今すぐにでも隣村に行って医者を連れてこなけりゃ――」
「この村の医療は素人に毛が生えた程度のものですよ。重度の病にかかればエルムたちは高価な薬を遥か北方にあるダークエルフの村から取り寄せますが、この子は薬が届くまで体力がもたないでしょう。ならば方法はひとつしかない。アニ村から西にある山の頂にはコリオリの木が生えていると聞きます。その木に生る“熱さまシード”という実の種を煎じればたちどころに病は快癒するでしょう」
「だったら、今すぐ俺が山に登って取ってくるよ!」
「あ、ちょっとお待ちなさいな」
「西だな、西にあるんだなっ」
制止するゴーチエに構わず部屋を飛び出すと入り口には宿の客がわさわさと溜まっていた。
「なあ、アンタ。このあたりの土地のもんか?」
「あ、ああ、そうズラが……兄さん、娘さんの具合はどうズラ?」
どこか田舎臭いエルムのオッサンが戸惑ったように目をパチクリさせている。
「アニ村から西にある山までの行き方を教えてくれ。俺は、今っから山頂までひとっ走りして熱さまシードっていう木の実を取ってこなきゃなんねぇんだよ」
「兄さん、そりゃ無理ズラ。あの山にゃあ昔からある薄っ気味悪い遺跡が中腹に立っとるし、てっぺんにゃワイバーンが出るっちゅう話ズラ」
「ンだンだ。ワリィこといわねだ。お医者のセンセが隣村から戻るまで辛抱するズラ」
「兄さん、それがいいズラ」
「そんな悠長なことしてたらラロの命はもたねェよ!」
人……ではなくエルムがいい土地のものたちは俺を止めようともたれかかってくる。
「だいじょぶだよっ。お兄ちゃん、ぼくが案内するよっ!」
「おまえ……誰だっけ?」
小学校低学年程度のエルムの子はカクッと身体を傾けズッコケかける。
「ぼくだよ、パン屋のヨエルだよっ。昼間助けてくれたじゃんかっ」
おう、そうだっけっか?
どう見ても誰も彼もただのクマさんにしか見えないので許してくださいな。
「中の子、病気なんでしょ? ぼく、お父ちゃんと山の上まで何度か行ったことがあるから案内できるよ!」
どうやらこの村は狭いらしく話は瞬く間に伝播したらしい。
ヨエルはふんすっとばかりに両腕に力を込め眉を一〇時一〇分にしている。
道案内がいればそりゃ頼もしいな。
「クマキチしゃまぁ」
「クマしゃまぁ、ラロだいじょうぶなのぉ?」
見れば俺の脚にはララとラナが心配そうな顔で引っついている。ふたりとも病床のラロを案じてか、顔中を涙と鼻でベタベタにしていた。
「やれやれ。いい出しっぺのわたしが行かないわけにはゆかないでしょうねぇ。それにおふたりではどれがコリオリの木かは見分けるのは難しいでしょうし」
俺が心強い小さな援軍に感謝していると部屋の中から灰色の帽子をかぶったゴーチエが現れしょうがないなぁというふうに前歯を見せ笑う。
「けど、ゴーチエさん。山は結構危険かもだし」
「なになに。こちらも実は欲得ずくで。なにせ、わたしも熱さまシードは狙っていたんですが、危険な山と聞けば同行者も見つからないものでねぇ」
うし。
じゃあ、善は急げだ。今すぐ行動するとしよう。
「旦那、俺も――」
いや。もしものときを考えてヨーゼフはここに残ってもらいたい。女ばかりでは心細いだろうしな。そういうとヨーゼフは胸をドンと叩いて留守を引き受けてくれた。
「クマキチさま、私もゆきますよっ。リリティナ、アルティナ。ふたりともラロたちの面倒をお願いね!」
ルルティナは瞬く間に出かける支度を整えると、俺に向かって強い決意を秘めた瞳で真っ直ぐ視線を合わせた。
「ダメっていってもついてゆきますよ。今回ばかりは……」
幸いにも知らせを聞いて駆けつけて来たロミスケやジュリキチ、そしてアドリエンヌたちが三つ子たちの面倒を見てくれるというので心置きなく出かけられた。
かくして、俺、ルルティナ、ヨエル、ゴーチエの変則四人パーティーはラロを救うための秘薬、熱さまシードを手に入れるため西の山に向かうのだった。
山はアニ村から見てやや西北に位置する場所にそびえていた。
「頂上まではそんなに時間かからないんだ。お父ちゃんと何回か上まで行ったことあるんだよ」
ほほう、それは頼もしいな。
是非とも力になって欲しいぞ。
でも、ワイバーンとかいう怪物が出るんじゃないのか。
「う、ううう。そんなのへーきだよ。もしかしてお兄ちゃん、こわいの?」
こ、怖くなんかないよ。
それにラロを助けるためにはなりふり構ってらんないしな。
「いつもは朝日が出る前にのぼりはじめてお昼には着くんだよ!」
俺を含めて亜人は基本的に視力が人間よりもすぐれているので、夜であっても今のように明るい月が出ていれば充分に夜歩きも不可能ではない。
ヨエルはさすがに山の子といった具合で、次第に斜度がきつくなってゆく山路に入っても臆することなく先頭をゆき軽快に進んでゆく。
対照的に重く沈んでいるルルティナの様子が心配だった。彼女はいつもならば必要以上に話しかけてくるのだが、青い顔をしたまま俺の左手の親指を握り黙ったまま下を向き、つらそうだった。
「ルルティナ、ラロのことは大丈夫だ。俺がついている。いつだってそうだろ? どんなことだって俺が解決してやる。だからそんな顔するな。必ず頂上で熱さまシードを手に入れてパパッと病気を追い払ってやるさ。なんてたって俺は無敵のシロクマだからな」
「クマキチさま……」
俺はルルティナの肩を抱くと遠方に輝く月を睨みながら冷たい土を踏み締め、また歩き出した。




