55「聖熊祭」
アニ村は結構な広さだった。
なんだか知らんがお祭りが近いということで、中央広場には巨大な催し物が行えそうな舞台が建てられており、あちこちには物売りの屋台が続々と軒を連ねている。
小学生に満たない背丈くらいのエルムの子供たちがわぁわぁいいながらはしゃぎまわって大人の作業に見入ったりして雰囲気は日本のそれとほとんど変わらない。
いいなあ、こういうの……と思っていると、やがて俺たちはアドリエンヌがいう聖熊神殿に到着した。
村の建築様式から考えて日本の神社のようなものを想像していたのだが、見かけはギリシャ建築に酷似したパルテノン神殿のようなものだった。
中に通されてあたたかみのある木材のテーブルに着くと、やはり白い上着を羽織ったクマの巫女さんがふたりぶんのお茶を運んできた。
ずずりと啜るとどこかハーブティーに近いなんともえいない馥郁たる香りが鼻腔に広がってゆく。普通に美味いぞ。
「で、聖熊祭ってのはそもそもなんなんだい?」
「聖熊祭はわたしたちがお眠りをする直前に行われる大々的な収穫祭なんですよ。秋に取れて貯蔵した野菜やお肉などを使って村を上げての宴を行い春まで眠る栄養をたっぷり蓄えるのです。わたし、かなり太っちゃうんで苦手なんですけど、でもそうしないと冬は越せませんから。このあたりはかなり雪が凄くて、そのうちおうちから出られないほど積もっちゃうんですよ」
「えええ? だ、だいじょうぶかな俺たちは」
「クマキチさまは人間の街までほど遠くない場所に住んでいらっしゃるんでしたっけ?」
ああ、そういや途中でそんな話を彼女にしたな……。
「でしたら下のほうはそれほどまでに積もりませんから。でも、このあたりのエルムは旅商人をやっているものを除けばまず村から出ることはありませんから、春までばいばい、になっちゃいますね」
アドリエンヌは「ばいばい」のところで小さく手を振ってみせた。いちいち仕草が乙女なんだけどクマなんだよなぁ。
ま、つまるところ普通のクマのようにアニ村のエルムたちは厳冬期から雪解けまで冬眠して過ごすのかな。
クマの冬眠は死んだように眠るのではなくて、うつらうつらのとろとろ眠りだが、カロリーの消費を抑えるためには必要な賢い儀式なんだろう。
お祭りは冬を越すためのカロリーを得るための宴を大々的にやるって感じかな。
「このお祭りはお眠りを行うためだけではなく、伝説の聖熊アルスルさまの偉業を讃えて来年の幸せを願う行事なのですよ」
「アルスル?」
「ええ。聖アルスルさまはアニ村を開いたといわれる三〇〇年ほど前のエルムです。言い伝えによるとかの聖熊はこの地に救う悪竜を退治し谷を開いて住めるよう尽力したといわれており、その毛皮は冬に降りしきる雪のように真っ白なものだといわれています」
「純白の毛皮……!」
「うふふ。おかしいでしょう。第一、白い毛皮のエルムなんてわたし見たことありませんし、古老の伝承では村を救うとかあるいは村に災厄を招くとか両極端すぎて。あら。でもクマキチさまは遠くの村からこのあたりに移り住んだのですよね。もしかして、白いエルムの方に会われたこととか……?」
「ま、まぁ白い毛皮のエルムなんてほとんどいないみたいだよね」
「そうですよ。あは、おかし……」
やばい。流れでなんとなくだが濁してしまった!
ま、まぁ、今の俺は蝦蟇大王の呪いで黒ヴァージョンになってるから、ね、ねぇ? 別に白さがバレたってそれはそのときにいえば、いいよね。あかん、俺は誰にいいわけをしているんだろうか。
「そういえばさぁ……!」
不自然さを打ち消す代わりに話題の転換をすかさず図る俺。
しばらく森の話やルルティナたちとの日常で起きた笑い話を続けると、娯楽に飢えていたのかアドリエンヌは上品そうにコロコロと笑った。
焦りが頂点に達していたのとやたらに喋ったせいで激しく喉が渇く。ずずいっと茶をひと飲みにすると目敏くそれを見たアドリエンヌが椅子から腰を浮かしかけた。
「あ……おつぎいたしますね」
「わ、悪いね」
彼女の黒くてもふもふした手がティーポットに伸びるよりも早く、背後で控えていた給仕のクマ巫女さんが素早く動いてアドリエンヌからそれを取り上げた。
「巫女さま。そのような雑事は私どもがいたしますゆえ」
やんわりとであるが有無をいわせぬ毅然たる態度である。むう。役割分担というものがあるのだろうがちょっと強硬的に感じちゃうな、そのいい方は。
「そう……ですわね」
小柄なクマ巫女さんは俺の空いたカップにとぽとぽと追加の茶をそそぐと再び邪魔にならぬようにそっと背後に退いた。よく考えればなんか監視されている気がしないでもないな。
むう。アドリエンヌさんどこかしょぼんとしてらっしゃる。
が、俺としてもやはりちょっと長居し過ぎた感があるな。
ルルティナたちのことも気になるし、そろそろお暇しようかなと思い辞去を告げるとアドリエンヌはどこか寂しそうに笑って神殿の入り口まで見送ってくれた。
「クマキチさま。聖熊祭りはもうまもなくはじまりますので、その、よろしければ見てゆかれるとよろしいですよ」
照れているのだろうか。彼女はもふもふした丸みのある身体をもじもじさせながら控えめな声でいった。
「うん。それじゃあお言葉に甘えてしばらく村にいさせてもらうよ。ええと、俺たちわりかし金欠気味なんで、宿代は勉強してくれると助かるかな」
「そんなっ……ロミスケを助けてくださった方から対価など受け取れませんよっ」
「わっとと」
「きゃっ」
アドリエンヌは勢い込んで飛び出すが石段を踏みはずして転びそうになった。素早く抱き留めると重みのある肉がもたれかかって来た。
うーん、やっぱボリューミーかなと思いきや意外や意外彼女はものすごく軽かった。
これは俺がシロクマ化したせいで力持ちになったせいかなと思っているうちに、上目遣いになっていたアドリエンヌと視線がかち合った。
「あ、あの、あのすいません……わたしったら」
なんか大きなぬいぐるいみみたいでカワイイなぁ。
俺はもふもふ好きの血が騒ぐのが気づけば彼女の頭をなでなでしていた。
「あ……その、困ります」
は! しまった。ふと視線を上げると入り口で茶を給仕してくれたクマ巫女数名が抱き合うような形となった俺たちをジッと見つめていた。
そうだな。アドリエンヌは村では宗教的に重要な位置づけでもある巫女さんなんだ。踊り子さんにはお手を触れないようにではないが、流れエルムのような俺が気軽にもふもふしたらまずいだろう。
「じゃ、じゃあなっ!」
素早くパッと離れると聖熊神殿をあとにした。
さあ、みんなが待ってるから早く戻んなきゃねと駆けていると、通りを曲がったところで足元に真っ黒なものが突き出されるのを見た。
足払いだな。
「とやっ」
気づいた時点ですでに跳んでいた。
ふふ、シロクマでも俺の身軽さは中々のものなんだぜ。
「やっぱりやるじゃない。あたしが見込んだだけの男ではあるわね」
そこには胸元にジャリジャリと目立つ飾りを下げたジュリキチが超ドヤ顔で立っていた。
なんだよ。また俺とひと勝負しようってのか? もうさすがに勘弁だわ。
「違う違う。そーじゃなくて、ああ、もお、ルルティナに約束した手前カッコつかないなァ。ねえ、クマキチ。あたし持ってまわったいい方好きじゃないからストレートに聞くわよ。あなた、ずばり姉さんをお嫁さんにもらう覚悟はあるの?」
ええと。この娘さんはいったいなにをおっしゃっているのでしょうか……。
「もうっ煮え切らない男ね。あたしがいうのもなんだけど、クマキチってばあたしの攻撃をさけるだけのことはあって中々の男と評価しているんだからっ。それにさっきの見たわよ」
「見たって、なにがだよ」
「神殿の入り口で姉さんと抱き合ってたでしょ! あの堅物の姉さんが男にあそこまで接近を許すなんて、今まで一度たりともなかったんだから。姉さん村一番の美人なのにすっごい消極的なのよ。アニ村の男どもはヘタレばっかりだし。ま、あなた毛並みの色はいまいちだけどルックスはわりかしイケてるからってとこもあるけど、それらを踏まえても及第点なのよね」
なんら意図が掴めないのであるが、どうやら彼女は彼女なりに姉の先行きを案じているようであった。
けど、それをいうなら自分の頭のハエを追ったほうがいいんだよなあ。
「及第点もなにもおまえはいきなり殴りかかって来ただけだろうに」
「ふっ。あたしにはねわかるのよ。拳を一度まじえれば。それがいいやつか悪いやつかくらいは簡単にね」
なんだこの娘。北方謙三か夢枕獏の世界からやって来たのか?
ロミスケもちょっと考え直したほうがいいのではないでしょうか。
ジュリキチは瞳を輝かせながら「しゅっしゅっ」と呼気を吐き出しシャドウボクシングを行っている。
人間の美少女がこれをやっているならばかわいらしいと思えるのだろうが、俺から見ればクマさんが仁王立ちでパンチを素早く繰り出しているに過ぎずたまらなく怖し。
「要するにだ。お嬢ちゃんは俺とアドリエンヌの仲を一方的に勘違いしてくっつけようとしているってことでファイナルアンサー?」
「ちょ! 違うってば。あたしだって伊達に姉さんの妹十六年もやってない! それに姉さんが男の人にあんな顔したのだってはじめて見たんだから……」
なるほど。悪気はないんだよな。ただそれが空回りしているだけというか。
「とにかく! クマキチは聖熊武闘大会に出場して優勝すること! 優勝者は長老会に願いごとをなんでもひとついえるからそれを使えば奥手の姉さんだって承知するに決まってるの!」
「聖熊武闘大会――?」
「そ。聖熊武闘大会はアニ村で行われる腕試しよ。森のあちこちから腕自慢の猛者が集まって一番強いやつを決めるの。ワクワクしてこない?」
ぜんぜんワクワクしてきません。
おまえは宇宙戦闘民族かよ。
「て、いうのは建前でほとんどは婚活みたいなものなの。優勝者は意中の女性を嫁として選ぶことができるし、長老たちが願いを聞き届けなかったことは今までの歴史でないの。大会成績上位者は村の娘を選び放題だし――もっとも姉さんは対象の範囲外だったけどね。聖熊の巫女を選ぶことは禁忌とされているし、それを行う不信心な男はいなかったの。でも、クマキチ。あなたがそのタブーを破ってまで姉さんを指名すれば断るはずはないでしょうね」
「ちょっと待った。俺はまだその聖熊祭に出るともいってないぜ」
「あのねぇ。アンタそれでも男なの? そりゃルルティナみたく綺麗なお嫁さんがいれば目移りすることもないでしょうけど、強い男がより多くの血を残すのは責務よ。女としては噴飯物だけどね」
なるほど。ジュリキチが俺のいない間ルルティナとなにを話していたかはだいたい想像はついた。
けど、それよりも――。
「人のことはどうでもいい。それよりもジュリキチはロミスケとのこと、どうするんだ?」
「は? なんでここでロミスケの話が出るのよ」
ん? なんか話が繋がっていかないような。ジュリキチはロミスケの許嫁みたいなもんだったよな。話の流れ的に。俺がそのことを伝えると、ジュリキチは大口を開けてつま先立ちになり激しく狼狽した。
「はぁ? ちょ――待って、えええっ。うそうそうそっ! あたしがあいつといい仲? はぁ? 重ねてはぁーっ? なんですけどっ!」
いや、俺に苦情をいわれてもどうにもならんのだが。
だが、ここまでついてきてロミスケの想いがズタズタにされんのもどっか気持ち悪いし、ここはひとつ精神的な兄貴分としてプッシュをしておこう。
「ま、こんな形であいつの気持ちが伝わるなんて不本意かもしれんが、おまえがロミスケのこと嫌ってなきゃ身を固めるのもいいことだと思うぞ。あいつは木地師だったけっか? ちゃんと仕事してるなら早く結婚したほうがいろいろと都合がいい」
「そんなことで結婚なんて――簡単に決められないわよっ! いや、あたし、別にあいつのこと嫌いってわけじゃないけど」
「結婚なんてもんは周囲がある程度押さなきゃ本人も踏ん切りがつかないもんだよ。ジュリキチも特に好きな男がいなきゃパパッと決めちまったほうが楽だぞ。縁なんてそんなもんだよ」
「うーっ」
ジュリキチは自分の顔を手でパタパタと扇ぐと明後日方角を向いて考え込んでしまった。
まさか姉の縁談を勧めに来て自分が嫁入りを所望されるとは思っていなかったのだろう。
「どうだ? 悪くはないと思うけどな。ちょっとしかときをともにしていないが、ロミスケは気のいい男だよ」
「そんなのわかってるわよ。うーん、じゃあこうするっ。ロミスケが聖熊武闘大会で優勝したらその話を受けるわっ」
「おい。それだとおまえの姉さんの話はどうなるんだい?」
「あっ」
ジュリキチは目を丸くして俺を上目遣いで見た。このポンコツ具合……ちょっとロミスケの気持ちがわかってしまいそうだ。
「……勝負ごとってのは厳しい世界なのよね。ま、その場合はどちらが勝っても天命ね」
いやいやいや。もうなにがなんだかさぁ。
「うっさいわね! あんたなんかにいきなり心の準備もなしにすっごいこと聞かされた乙女心なんてわかんないわよ」
ああ、はいはい。そーですかそーですか。
ジュリキチはいいたいことだけをいい終わるとくるりと反転して駆け出しかけたかに見えたが途中で立ち止まると戻って来た。なんなんだろうか。ちょっと緊張する。
「それと、さっきは出会い頭に酷いことして悪かったわね。これはお詫びよ」
「お詫び……?」
彼女は背負っていた袋からひと抱えもある壺を取り出すとぐいぐいと押しつけてきた。
蓋を取ってみると甘くかぐわしいなんともいえないいい匂いがあたりに立ち込める。
目を凝らすとそこには黄金色に輝く蜂蜜がたぷんと揺れていた。
「それ、あげるから。疲れにはよく効くんじゃない?」
ジュリキチはそういい残すと再び駆け足で去っていった。
なんだ。仲直りがしたかったのかな。あの年齢の娘は複雑だなあ。俺は壺の蜜に指先を浸してそっと口元に運んだ。
な! これ、メッチャ美味いよっ!
スーパーで安売りしているようなものとは格が違う。
まったくもって雑味が一切なく、それでいて甘みはスッキリしており後口は爽やかである。切れのいい酒を飲んだように俺はしばしジュリキチから貰った蜂蜜の甘さに酩酊した。
壺に指を浸し口元に運ぶたび、甘さと美味さの二重奏が脳裏に悦楽の音を静かにかつ淀みなく流している。
ふと気づくと俺があぐらをかいて壺を抱えている周りに、ちっちゃな子熊たちが群れを成してジッと指を咥えていた。
大きさは幼稚園年少程度だろうか。
背丈は一〇〇センチそこそこ。
アニ村の子供たちだ。
彼らは瞳をキラキラさせながら俺の抱えている蜂蜜の壺を物欲しそうに眺めていた。
「おちじゃん蜂蜜舐めてるの?」
「ぼくも蜂蜜舐めたいナ」
「いいなあ。食べたいよう」
なんかぬいぐるみのクマさんが喋っているようなかわいらしさがあるな。
俺が手招きをすると子熊たちは人見知りならぬクマ見知りしないのかチョコチョコ寄って来る。彼らのひとりが膝の上に座ってニコッと笑いかけた。同族だと思っているのか、警戒心など微塵もない。カワイイなぁ。
「ホラ、みんなこっちにおいで。お兄さんといっしょに蜂蜜を食べよう」
「わぁい!」
「やった!」
「ありがとうお兄さん!」
現金なやつめ。まあいいさ。
このあと壺一杯の蜂蜜は子熊たちの旺盛な食欲であっという間に平らげられた。
あ、こんなに美味しかったんだから三つ子ちゃんたちにも残しておけばよかったかな。




