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54「アドリエンヌ」

 アニ村は道々ロミスケが森一番のエルムの村と豪語するほど栄えた土地柄だった。


 村人……じゃなくて村エルムか、ややこしいな。

 とにかく彼らが住む家は素晴らしい。


 俺が見よう見まねで作った丸太造りのログキャビンなどとは比べものにならないほど洗練された手で建てられていた。


 家々は見るからに頑丈な造作でがっしり建っている。


 これならば巨体のエルムたちが住むのにふさわしいといえた。


「わぁ、クマキチさま。ずいぶんとたくさんの方がおられるのですね」


 ルルティナが村の大通りを行きかうエルムたちをキョロキョロ見回しながら小声でささやいて来る。


 まあ、なんだ。あっちを向いてこっちを向いても

 クマ、クマ、クマ、と。


 クマばっかりで北海道のクマ牧場に来た気持ちになるでゴザルな。


 おっと、あの黒くて丸い自販機で売ってるクマにあげる謎エサは売ってはいない。


 クマたちも当然ながらクマフードおねだりのM字開脚もしないんだぜ。


 俺たちとロミスケはアドリエンヌに連れられ村の長老へと帰還と初お目見えのあいさつに向かった。


「お、おお。ロミスケ。よう戻った、よう戻った。無事でなによりじゃわい」


 長老衆は全員で八人ほどおり部屋の一段高い場所でひざかけをかけながらもごもご震える声を出す。


 あらかじめアドリエンヌから事情を聞いていたのだろうか、ロミスケは咎められることもなく、無沙汰の詫びを入れてことの経緯を語り出した。


「ふぅむ。村の仲間を疑いたくないがの。ロミスケはこまいときから正直者じゃて嘘とも思えんわいのう」


 長老筆頭であるヤーコフ爺さんはもごもご口を動かしながら灰がかった口元を指でごしごしやりながらしきりに首を捻っている。


「へ、へい長老。でもオラ確かに背中を押されてイカダから突き落とされたんで……」


「長老さま」


 黙っていたアドリエンヌが促すように視線を向ける。姉に比べて先ほどはあれほどまでに鼻息の荒かった妹のジュリキチはジッと黙りこくっている。どうやら姉に比べて村での地位はかなりの格差があるみたいだね。


「結論を急くなアドリエンヌ。真偽を確かめたいのは山々だがのう。じゃがロミスケとともに出かけていた肝心の四人、アルバート、ドンスコイ、ニック、ポゴポゴは一昨日から家に戻っておらんのよ」


「そんな……!」


 アドリエンヌは袂で口を覆うと丸い瞳を見開いた。


 ロミスケは当然のことながらジュリキチも失踪事態が初耳だったのか驚きを隠せない様子だ。ううむ。事件は混迷を深めて来たね。


「ねぇさまぁ。ララおなかすいたぁ」

「こら、し。もうちょっと我慢するのよ」


 ララが不満を口にすると耐えていたラナとラロもキュンキュン鳴き出した。


 あらら。空腹なんだね。この子たちにお腹いっぱい食べさせるのは至上の命題なので会談がちゃちゃっと終わるのを祈るばかりだ。


「ジュリキチは彼らの行方に心当たりは……?」


「ええっ。あたし? ねえ、お姉ちゃん。そいつらと今回のロミスケの件ってなにか関係あるのかなぁ」


「あのね……」


 アドリエンヌは片手で額を押さえながら目を閉じている。長老やロミスケが困ったような顔をしているのは、今しがた名前を挙げた四名がジュリキチに懸想しているのは村では周知の事実なんだね。


「うむ。とにもかくにも疑わしいことばかりじゃが、失踪した四名のことも含めて長老会で調査はしておく。それとロミスケは早く家に帰って父母に会って来るがよい。あまり両親を心配させるではないわ。と、アドリエンヌとジュリキチはお客人を宿舎に案内して休んでいただくように。小さな方々はどうやら痺れを切らしておるようじゃしの」


 そういうとヤーコフ長老は欠けた牙を剥き出しにしていたずらっぽくニッと笑った。


 さすが年の功だね。気の利くことといったら伊達に長老やってないよ。


「それとクマキチどの。アニ村を代表してロミスケを救っていただいたこと、これ、このとおり言葉もないほど感謝しておる。無礼を働いたジュリキチには常ならば身体をもって償わせるのが普通であるが――」


「んなっ」


 ジュリキチがじゃらりと胸元の飾りを揺らして俺を非難の目で見た。ロミスケは激しく動揺した瞳で長老と俺を交互に見やりあわわと口を開閉させている。


 ルルティナたちは強烈な怒りのオーラをびしばしぶつけて来た。


 おい、ジジィ。俺がなにしたってんだよ。クマさんはアウトオブ眼中よ。


「とそんなことをすればロミスケに儂らが恨まれかねんからのぅ。差し当たってはクマキチどの接待役を姉であるアドリエンヌに代理で頼むとするかの。ふぉっふぉっふぉっ」


「長老――そんな戯れクマキチさまに迷惑ですよっ」


「おお、怖い怖い。冗談じゃ、冗談。近頃とんと赤子が増えぬでの。我ながらないすあいでーあと思ったのじゃがな」


 アドリエンヌは「もうっ」とぷりぷりしながら怒っているが、俺と目線が合うと恥ずかしげに顔を伏せた。そういう仕草は年頃の娘さんぽいんだよね。見た目クマだけど。


「クマキチさま。あまり長老さまのご冗談を真に受けないでくださいね……?」


 ちょ!


 隣ではいつもは菩薩のようなルルティナが夜叉のような形相で俺を睨みつけている。そのうしろではヨーゼフがニヤニヤいやらしく笑いながら、右手の指で輪っかを作り左手の親指をズボズボ抜いたり差したりしてる。


 うん。

 キモオタ風にいうと、アイツあとでぜってー殺す、だな。


「クマキチどの。アニ村はちょうどこれから聖熊祭がはじまる時期じゃて。急ぐ用事がなければゆるりとしていかっしゃい。ロミスケの難事は我らでなんとか都合をつけるでの」






「聖熊祭?」


「ええ。アニ村では冬眠する直前のこの時期に聖熊祭というお祭りを大々的に行っているのですよ」


 冬眠するんだ。


 俺はお祭りのことよりも目の前の彼女たちが普通に冬眠することに衝撃を覚えていた。


「クマキチさまも、そろそろ“お眠り”の季節でございますでしょう?」


「え、クマキチさま眠ってしまわれるんですかっ」


 隣を歩いていたルルティナが頭上の犬耳をぴこんっと立てて大きな声を出した。


 いや、冬眠とか聞いてないぞ。そもそも俺はエルム族とかいうクマ人間かどうかも怪しいしな。


「えー、あーはいはい。あれ、あれね。うーん、あはは。実はさ俺ってば冬眠とかしない派なんだよねー。なんちゅうかヴェルタースオリジナル的なというか」


 必死で誤魔化そうとめちゃくちゃなことをいっていると、アドリエンヌの落ち着き払った表情が疑念の霧にみるみる包まれその隣のジュリキチの顔が「あんたアホじゃないの?」という侮蔑感すら満ちたものに変わってゆく。いいじゃん。なぜならば俺もまた特別な存在なのです。


「失礼ですが。わたしは今までお眠りをされないエルムの方は聞いたことがありません? もしやクマキチさまはこのあたりのご出身ではないのでしょうか?」

「うん、まあ、そうね。実はヴァリアントの生まれじゃないんだ」


「そんなの聞いてないです……」


 ルルティナの耳がぺたんと垂れくふぅんと悲しそうに声が漏れた。ううう。まあ、正確には日本人だし、企業戦士は二十四時間戦わなくちゃだと牛若丸三郎太もいってたよ。


「へぇ、クマキチはお眠りしなくてもオッケーなんだ。珍しいね」


「こらっ、ジュリキチ。なんという口の利き方を――!」


「えー、だってあたし堅苦しい口の利き方嫌いだし。それにクマキチだって他人行儀な喋り方よりいいでしょ。ねっ」


 わだかまりがとけているジュリキチは俺の肩をぽんと叩くとけらけらっと明るく笑った。


 ま、俺、距離を取られるよかこのほうが対応しやすいからいいけどさ。


「呼びたいように呼んでくれれば俺は構わないぞ」


「ん。おじさん意外と話が通じるねー。村の男どもとはやっぱちがうね」


「おじさん……」


「ちょっと、ちょっと待ってください。ジュリキチさん。いくらなんでも年上の殿方にその態度、私は看過できませんよっ」


 俺が密かにショックを受けていると天下のクマキチご意見番であるルルティナがぷりぷりと頬を膨らませ抗議に出た。


 が、ジュリキチは一転して目を細めるとルルティナを離れ場所へ連れてゆき、こしょこしょと内緒話をはじめた。


「ねえねえ。ルルティナさんだっけ。あなた、あのエルムのお兄さん好きなんでしょう? よければあたしが協力しちゃうけど、どう?」


「ななな、なにをいっているのですか――! わ、私にはそのような不埒な思いは」


 どうでもいいけど全部丸聞こえだからな。


「姉さーん。クマキチーっ。あたしたち先に宿舎に行ってるからねーっ」


 うむ。あのジュリキチはかなり強引なのかルルティナをずりずりと引っ張りながら先へ先へと歩いてゆく。そのまわりをリリティナたちが小衛星のようにぐるぐる回って移動してゆくのが見えた。


 で、残ったのは俺とヨーゼフとアドリエンヌお嬢さまだ。


「お。へへへ。じゃあ旦那、俺はちっとばっか村ン中見物してくっからあとは自由行動でってことで」


 ヨーゼフはしゅびっと目のあたりで敬礼を決めるとしゅばばっとその場から風のように立ち去って行った。


 まーたなんか勘違いしてるなアイツは。あとで意見してやらんと。


「うらやましいです、あの子は」


 ふうと傍らでアドリエンヌが嘆息する。


 彼女が上半身に羽織っている上っ張りがゆるやかな風に煽られてゆらゆらと揺れていた。


 あれ? 今、一瞬、すっごい儚げな美少女を幻視したのだが。アントシアニン不足かな。ブルベリーいっぱい食べなきゃだわ。


「あの子って、妹さんかい?」


「わたしとちがってあの子はすぐに誰とでも仲よくなれるんですよ。それに比べてわたしは」


「君だって妹さんとそう年が離れていないならルルティナたちと同年代だろ? 仲よくしてくればいいじゃないか」


 アドリエンヌは遠ざかってもう見えなくなったルルティナたちの背を見つめながら静かにふるふると首を振った。


「わたしは、ダメですよ。お役目がありますから」

「役目って?」


「クマキチさま。わたしは巫女なんですよ。聖熊神殿の」


「聖熊神殿?」


「少し、お時間いただけますでしょうか。いろいろと案内できますよ」


 うーむ。離れてしまったルルティナたちやロミスケのことも若干気になるが、ここは村の中だし、まぁ大丈夫だろう。


「じゃ、お願いできっかな」

「はいっ」


 俺が頭の後ろで腕を組みながら「了」と答えるとアドリエンヌは若い娘らしい元気のよい声で返事をした。うむうむ。元気のよい子はオジサン好きですよ。


「これはこれは巫女さま。ご機嫌麗しゅう」

「今年もお祭りの奉納舞お願いしますよ」

「相変わらずお美しい」


 連れ立って歩くとアドリエンヌに対する村人の信望の篤さがよくわかった。アドリエンヌはいちいち声をかけて来る村人たちに小腰をかがめて丁寧に時候のあいさつをかわし、丁寧に俺のことまでロミスケの危機を救った恩人というように説明してくれたので、にわかに村人たちからの無言の視線がおだやかなものになった。


「アンセルムおじいちゃん。寒くなったから身体を冷やさないようにね」


「踊りがお気に召すかわからないですけど、精一杯務めさせていただきますね」


「うふふ。お世辞はやめてくださいな。わたし、意外と調子に乗っちゃいますよ」


 ん。この子いい子だな。パッと見は真っ黒なクマ子だけど、人間じゃねえやもといエルムは顔かたちじゃないよね。心根が重要なんだよ心根が。



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